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今朝の横浜は小雪が舞っています。 春の花が咲き始めているので 神秘的な組み合わせになっています。 通勤の車の窓に、結構大きな雪粒が当りました。 また一歩春が後退したような朝です。 厚木街道と保土ヶ谷バイパスのクロスするところ。
保土ヶ谷バイパスのすぐ脇の小さな丘にあるお寺です。 石段を上り、本堂に向かうと子供の声が聞こえてきました。
遊んでいる声です。 そういえば、ワタシの子供の頃、遊ぶところは 神社、お寺の周りが多かったような。 住宅街の端のほうに、 ちょっとした木々の生えたオアシスだったように思い出します。 子供の声になつかしさと安心感が出てきました。 案内板
横浜市地域史跡 旗本宅間家歴代の墓所 平成六年十一月一日 所在地 宗教法人 三佛寺(さんぶつじ) 所在地 横浜市旭区本村町七六番地五号 旗本宅間家は上杉一族で、戦国時代は北条家に属し、永谷(現、港南区)を領し、江戸時代、二俣川村を知行しました。 現在、墓所には元和三年(一六一七)から明治十五年(一八八二)に及ぶ計十八基の墓塔と二基の灯篭が遺されています。墓塔は宝篋印塔四基、板碑形十三基、角柱塔一基ですが、元和年代の二基は、切妻破風付の古式な板石碑で、横浜市域では稀少な遺例です。また、安政六年(一八五九)没の憲輔は歌人で、墓には辞世の句が刻まれています。 平成七年三月 横浜市教育委員会 宅間上杉家:
室町時代に勢力があった上杉氏の一族で上杉重兼を祖とそうです。 上杉家は系列がいろいろあるので、書き物を読んでいても混乱してきます。 深追いするつもりはありませんが、 戦国時代は北条家、関ヶ原の戦いでは徳川配下、江戸時代は旗本として二俣川村を知行しているそうです。 開基は宅間治部少輔規富ということです。 1600年頃になります。 二俣川学舎: 明治6年にここに寺小屋なのでしょう、二俣川学舎が設けられました。 筆塚があり、教育の熱心さが伝わってきます。 御詠歌
三佛乃 みのりをとくや 鶴が峰 ひとこえとても よもに あまねし 旧小机領子年観音霊場 第二十八番札所 宅間家の墓と辞世の句については見落としてしまったので、
次回訪問時に確認する予定です。 2006年4月22日
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お寺でかくれんぼをしたのを思い出しました。
そして、縁の下に入って、怖くなって泣いたことまで思い出してしまいました・・・(笑)
2009/3/27(金) 午後 11:14 [ asagaee321 ]