|
ちょっとブログを休んだら、あっという間に二週間たってしまいました。 時が経つのは早いものです。 おひさしぶりです。 ネタは5月23日のチャリ巡礼の続きです。 横浜から鎌倉に通じる現在車が通っている『朝比奈峠』ではなく 鎌倉時代の七口の切通しの一つで 鎌倉と六浦港を結ぶ重要な道だった・・・そうです。 横浜に暮らして50年以上経ちますが、 初めて通ることになります。 住宅街を下り、再度環状四号線にでました。
いよいよこの日の本命、朝比奈切通しに向かいました。 環状四号線の坂道をヒーヒーいいながら上ります。 太陽が照り始め、汗もドクドクです。 きっと体重も・・・。 トンネルを越えるのですが、このトンネルは狭い歩道なので、 チャリは車道の端っこを走るしかありません。 『自転車も 乗れば車の 仲間入り』とワガヤの近くの警察署に旗があがっていましたが、 明かりの無いトンネルの車道を走るのはとても怖いです。 『自転車が 絶対いるゾ 気をつけろ』なんて旗をトンネルの入り口に立ててクレェ〜 なんとかトンネルを出て下り坂になりました。 この先の歩道は広いので歩道に入りました。 あとからきたおばちゃんチャリはずっと車道を走って下っていきました。 地元のおばちゃんなのかしら。たいしたものです。 地図を何度も見ながら『朝比奈切通し』の入り口を探したのですが 最初は見落としてしまいました。 案内板が立っていたのに見落とすなんて・・・。 もう一度地図を見ると、少し手前だったようです。 戻ることにしました。 ナ〜ンだ。案内板があり、曲がるべき道もありました。 朝比奈切通しに向かって進みました。
800年もの昔、鎌倉時代です。 北条泰時が、六浦港と鎌倉幕府をつなぐ道を造ったそうです。 きっと荷物を運んだりするのに活躍した道なのでしょう。 だったらチャリを押しても通れるだろうとチャリを押して進みました。 入り口に『自転車・バイクの通行は止めて下さい』とあります。 押して行くぶんにはいいだろうと、昔の人が荷車を押す雰囲気を味わうことにしました。 案内板
国史跡 朝夷奈切通 (昭和44年6月5日指定) 鎌倉幕府は、仁治元年(1240年)六浦港と重要通路として、路改修を議定、翌年4月から工事にかかりました。執権北条泰時自らが監督し、自分の乗馬に土石を運ばせて工事を急がせたといいます。 当時の六浦は、塩の産地であり、安房・上総・下総等の関東地方をはじめ、海外(唐)からの物資集散の港でした。舟で運ばれた各地の物資は、この切通を越えて鎌倉に入り、六浦港の政治的・経済的価値は倍増しました。 また、鎌倉防衛上必要な防禦施設として、路の左右に平場や切岸の跡とみられるものが残されています。 鎌倉市境の南側には、熊野神社がありますが、これは鎌倉の艮(鬼門)の守りとして祀られたと伝えられています。 鎌倉七口の中、最も高く嶮岨な路です。 社団法人 横浜国際観光協会 横浜市教育委員会文化財課 平成2年3月 案内板を越えるとすぐに石仏がいくつか並んでありました。 いきなりこのようなものがあるとは、先が楽しみです。 庚申塔や道祖神などがあります。 横浜横須賀道路の高架橋をくぐりしばらく進むと ずいぶん寂しいところだと感じ始めます。 人の気配はなく、前も後ろも誰もいません。 鳴くのが上手になったウグイスの『ホ〜ホケキョケキョ』が響きます。 売店などもあろうはずがありません。 化粧坂と同じような路面です。 平らな場所などなく、岩を削っただけのようにも見えます。 人力で木を切り倒し、岩を削る作業は、 当時、そうとう苦しい事業だったと想像します。 タイヤのあるものだと押すのに苦労しそうです。 当時は、馬にでも乗せて荷物を運んだのでしょうか。 きっとそれが一番楽だったのだと思います。 熊野神社への分かれ道がありました。
ここで白いシャツを着た散策の人を見つけました。 熊野神社のほうに消えていきました。 写真を撮っていたら 後ろから二人の女性がきました。 彼女たちは十二所の方に進んで行きました。 訪れる人はポツポツいるようです。 ワタシも熊野神社に向かう参道に入りました。 大山の阿夫利神社とは比べ物にはなりませんが 山奥の神社は、街中の神社と異なり 神聖度合いが深く感じます。 湧き水?でところどころ濡れている参道は滑りやすく チャリを押しながら要注意です。 参道を進むと再び分かれ道です。 さきほどの白いシャツの方は神社と反対側に見えました。 ワタシは案内板の神社方向に進みました。 グーグルアースで標高を調べると118mでした。 旭区希望が丘の春の木神社が横浜で一番高い(92m)とありましたが 熊野神社はギリギリ横浜市なので、ここのほうが高いと思われます。 参道の木々の隙間から鳥居と石段が見えました。 鳥居のそばにマウンテンバイクが見えました。 汗をかいている男の人がいました。 寂しい神社なのですが、ポツポツと参拝者がいるようです。 『こんにちは』 『お疲れ様です』 こんな挨拶ですれ違います。 案内板
朝比奈町鎮守 熊野神社 御祭神 速玉男之命 伊邪那岐命 伊邪那美命 御由緒 古傅に日、源頼朝鎌倉に覇府を開くや朝比奈切通の開鑿(読めず)に際し守護神として熊野三社大明神を勧請せられしと、元禄年中地頭加藤太郎左衛門尉之を再建す。里人の崇拝亦篤く安永及嘉永年間にも修築を加え明治六年村社の列格、古来安産守護に霊験著しいと云爾 鳥居は石で造られ、裏には昭和十年九月十七日建立とありました。
石段は40段を数えて、拝殿の前に着きました。 建物は綺麗で、そんなに古さは感じられませんでした。 しかし、灯篭の台にほられた石仏はコケが生していて、歴史の重さを感じます。 誰もいない山の上の神社です。 神聖な場所なのでしょうが、ブキミな雰囲気のほうが漂います。 さらに上に向かう石段がありました。 それを上ると本殿がありました。 拝殿よりも一回り小さな建物です。 ワタシが知っている限りでは横浜で一番高いところにある神社です。 その本殿に、いつもお願いしていることを祈願して、 再び、朝比奈切通に戻りました。 鎌倉方向に進むと、すぐに市境がありました。
ここからは下り坂です。 そうとうぬかるんだ道を下るので要注意です。 段差も多く、チャリを押しての下りは往生します。 道の中に小川もできています。 スニーカーでツルツル滑ります。 昔はワラジで歩いたのだろうな? 予備を持っていないと、すぐに湿って切れてしまうのではないかと 昔の人たちの心配などしながら進みます。 若者二人が鎌倉側からきました。 『こんにちは』と軽く挨拶してすれ違います。 頭の上が掛けた地蔵様が見えてきました。 『延宝三年十月十五日』と彫られています。 この切通の改修をした僧が亡くなったとき その日付を彫ったとも云われているそうです。 石仏にはそれぞれ、思いが染込んでいるようで 一体一体味わいがあります。 更に進んでいくと、道の中で流れていた水流が 気がつくと道の脇を流れる小川になっていました。 道も穏やかになり、普通の山道になってきました。 カラスの声も聞こえます。 道の先に杭が打たれているのが見えました。 ゴールのようです。 切通しの案内板と小さな滝がありました。 案内板
朝夷奈切通 鎌倉七口ノ一ニシテ鎌倉ヨリ六浦ヘ通ズル要街ニ當リ大切通小切通ノ二ツアリ土俗ニ朝夷奈三郎義秀一夜ノ内ニ切抜タルヲ以テ其名アリト傅ヘラルルモ東鑑ニ仁治元年(皇紀一九〇〇)十一月鎌倉六浦間道路開鑿(歯に殳に金)ノ議定アリ翌二年四月經營ノ事始アリテ執権北條泰時其?(読めず)ニ監臨シ諸人群集シ各土石ヲ運ビシコト見ユルニ徴シ此切通ハ即チ其當時ニ於テ開通セシモノト思料セラル 昭和十六年三月建 鎌倉市青年團 長々と朝比奈切通を書きましたが、800年の重みを感じる道です。 神社に電線がきている以外は、昔の雰囲気を楽しめました。 ひとりぼっちで歩いていると、ウグイスの声が異常に大きく聞こえます。 昔は主流の道だったのでしょうけれど、 現在では当時を偲ぶ散策コースとしてひっそりとした場所なのだと思います。 切通は木々に囲まれて暗い感じがしたのですが、 十二所に向かう道は明るい通りとなっていました。 十二所のバス停には数人の人がバスを待っていました。 2009年5月23日訪問
|
1.お寺巡り
[ リスト ]





これはこれは〜〜素晴らしい神社に参拝されましたね。
木立のなかの参道がとてもきれいですね。
石灯籠の基壇の彫り物がいいですね。
2009/6/19(金) 午後 5:57
ここは個人的にはトップクラスの好きな場所です。
和田義盛が1日で切り開いた?という言い伝えがあるとか?
ここの近くの滝で大きなモズク蟹(もくず蟹?)が出たり入ったりしてました。
15センチがぐらいはありましたよ。
2009/6/21(日) 午前 6:51 [ 湘南浜童 ]
朝夷奈切通 に行って見たいです。良い場所のご紹介ありがとうございます。
2009/6/21(日) 午前 7:01
私も行ってみたいです。
木立の中の参道を心静かにひとり歩きするのも素敵でしょうね。
2009/6/21(日) 午後 9:55
足もとの悪い中、お疲れ様でした。
それにしても、相当厳かな感じなんですが、歴史があるんでしょうね。
2009/6/21(日) 午後 11:38 [ asagaee321 ]