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スーパー銭湯で体重計測をしたら82,25kgでした。 ダイエット再開時5/15に83.95kgだったので、1.7kgダウンです。 しかし、先週/今週と土曜日は雨で運動は限りなくゼロです。 ペースは落ちましたが油物、卵系、獣肉、ご飯控えめで微減しました。 今週は、週末に飲み会が控えているので増加の可能性があります。 昨日は午後に雨が上がったので 妻が新しく買ったコンパクトデジカメの試し撮りに付き合いました。 近所の追分公園に花を撮りに行きました。 普段気がつかない小さな虫たちがたくさんいました。 モデルには事欠かなかったのですが、 もっと腕を磨かねばと思って帰宅しました。 ネタは5月に鎌倉巡礼したものです。 環状四号線に戻り、朝比奈方面に向かいます。
東上郷町に白山神社を訪ねました。 住宅街を抜けていくコースとメイン道路を行くコースとあります。 行きはメイン道路を選びました。 『動物注意』とタヌキの絵の画かれた道路標識がありました。
こんな道路標識がまだ横浜にあるんですね。 こころがちょっと明るい状態になったような気がします。 地図を見ると神社の裏側は瀬上市民の森と氷取沢市民の森が並んであります。 いつまでも残して欲しいエリアです。 ヒーコラヒーコラとチャリを押しながら長い坂を上ります。 ほとんど頂上に白山神社がありました。 門の石柱には昭和三年建立と彫られていましたが
恒例の案内板の確認です。 案内板です。
白山神社御由緒 御祭神 伊弉冊尊 例祭日 九月二十七日 伊弉冊尊は伊弉諾尊の妃神にして、神代に始めて陰陽夫婦の神として顕在し給い、皇祖天照大神を始め、森羅万象を生成化育し給う大神なり。 抑々、当白山神社は、証菩提寺文書の白山権現縁起等に由るに、人皇三十五代舒明天皇の御宇、本郷総鎮守として鍛治谷神戸の地に勧請し奉る大社にして、源頼朝鎌倉開府の時幕府良の神として深く崇敬され、仁治元庚子年三月五日執権北条泰時は長尾郷飯島村に神領二町歩を寄進すと云う。 人皇九十五代後醍醐天皇正中元甲子年九月十五日光明谷山巌山に遷宮し奉り、旧地に因み神戸と称すその地は縁起に由れば、境内神領良之方は峯を境、坤之方は田岸を境、巽之方出巌を境、乾之方坊前山下を境とし、社の東北一町に朝水の池と号するあり。 神木森々として松風満耳、神徳現然として国家安寧、五穀豊饒、村中守護の霊地也と記している。 相模風土記稿は、祭神伊弉冊尊神躰九寸六分は舒明天皇の作らせ給いし物と云う。 別当旧くは実応坊、後証菩提寺其職を兼管す。 神職は内田和泉と云うと記し、幾多の宝物神領も有したが現在は散逸して、安政六年建立の前社殿内に藏した享禄元年、天和元年の銘ある扁額が現存する唯一の史料である。 是の如く当地域有数の由緒ある当社も近来衰運に向い、就中関東大震災の折、社地社殿の崩潰にあい、上野村百余戸の氏子一同その復興に努力したるも、故あって神戸に本宮、石原に拝殿を建立し、社地を二分して今日に至る。 而して第二次大戦前後の混乱期を?て両社殿の損傷甚だしく、氏子一同再建を念じつつ三十余の星霜を?たり、然るに近年当地の開発著しく、山林原野○く大住宅地に変貌するに至る。 天なる哉、命なる哉、永年の宿願ここに稔り御神威の発揚と郷土の和平発展の為、現地を最適地と撰卜し、所有者三井不動産の理解を得、前社地と等価交換による譲渡を受け、鈴木社寺工務店の施工により新社殿の完成を見、昭和五十一年十月二十七日秋天に一点の雲なき佳日、史上最高の盛儀による遷座祭を斎行し、神光彌高きを拝す。 願はくは白山大神冥加を垂礼給い、とこしえに守護し給はんことを 昭和五十二年九月吉日 白山神社宮司 小池 泉 謹誌 (句点は適当にいれて、適当に段落を変えています) 昭和五十一年頃に周りの住宅地を開拓している時に
この場所に遷座してきたようです。 鳥居に対して横向きに鉄筋コンクリートの拝殿と本殿があります。 ですから、鳥居から入ると本殿がいきなり見えます。 境内にはきのこのような小さな祠が三つならんでありました。
こんな祠がちょっとした『和み』の感じがします。 2009年5月23日訪問
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