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1979年に入社、そうして2014年に定年退職。
35年も経ってしまったサラリーマン生活。 あと5年、嘱託生活が追加になったので、トータル40年間働くことになります。 当時の記憶 その1
昨日のことでさえ詳細な記憶などないので、35年前のことなど微塵も覚えていないかというと、そうでもないです。
新鮮な気持ちで、初心な新入社員だったのでしょう。1年目の記憶は、けっこう覚えています。 工場事業所のある開発部門に配属されました。
自分用の机をもらい、業務開始となりました。 この頃、日本のどこでも珍しくなかったのでしょう。机に座りながらタバコをモクモクと吸うのが普通の景色でした。 ワタシが配属になった部署のほとんどの人がタバコを吸っていました。ワタシもタバコ吸いだったので、皆と同じような態度で吸っていました。今では考えられない事務所風景です。 コーヒーも、当時は粉のインスタントコーヒーです。今のようにドロップ式のものなど記憶にありません。 当番で、みんなのコーヒーを入れることもあったのですが、自分がコーヒーを飲まないので、ワタシの作るコーヒーは評判が悪く、君の入れてくれるコーヒーは薄いとか、いろいろ文句を言われたのも覚えています。 当然、PCもワープロもない時代なので、資料はすべて手書きです。 文字盤などという文具があって、数字やアルファベットはそれで書くこともありました。 コピーも上質紙へのコピーではなく、青焼きというアンモニアの香りがして、すごく湿っぽい紙だったです。これが日に当たると変色して、字が薄くなってしまうこともありました。 ワタシが資料作りのパシリをやっている頃、500円玉が発行されました。
青焼きコピーを準備するには、工場の一角で、事務所一部屋分くらいの大きな機械で焼いてもらいます。 そこには専門の方がいて、依頼書と原紙を持っていくと、焼いてもらえます。 その焼いている待ち時間に、「あんたもう見たか?」って500円玉を見せてもらいました。 初めて見る高額コインでした。大きくて立派なコインだという印象だったのを記憶しています。
いまでも、たまたま当時の柄の500円玉を見ると、その日の光景が浮かんできます。 ワタシが20台中盤で、青焼きをしていた人は50台。そうしたら、今ワタシが60に、あのおばちゃんは90台か。 |
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昨日、某中華料理屋で役職放免のお祝いの会を開いていただきました。
見せに行く途中、お相撲さんの団体。
琴○菊とか、名の知れたお相撲さん含め、いい体をしているのですが
名前もしらないお相撲さんもたくさん。
こんなにいい体をしている人がたくさんいるんんだと、やはり横綱になるのは超大変なこと。
サラリーマンでコツコツやってこれてよかったと、こんな場面でそう思って。
地方巡業のお相撲さんたちから離れ、指定のお店へ。
やれ、涙なしでは聞けない送る言葉を受け取っての2時間。
最後の方は、何をしていたのか記憶にありません。
そうして、最近飲み会のあとに行くカラオケに。
ナツメロをみんなでシャウトして、爆発してきました。
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