レキササイズ:歴史散策でダイエット

2014年4月から重い荷物を軽くしました。

1.お寺巡り

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こんにちは。
今朝、早起きをして、ヤゴ捕りに行ってきました。
妻が庭でホテイアオイを育て始めたので
その中の住人探しに、近所の小川に行ってきました。
いつも童心なので、童心に戻るというよりは、地のままで
戯れてきました。

ホテイアオイの鉢に7匹のヤゴが泳いでいます。
ザリガニも取れたので、水槽を出して、別宅に住まわせています。

昨日、土曜日は、恒例のチャリ巡礼
横浜市のHPから長津田の探索マップを入手して出かけてきました。
http://www.city.yokohama.jp/me/midori/midori/nakatsutajyukkei.html
全部まわろうとしましたが、暑さでリタイヤしてきました。

電車抜きで、オールチャリでまわってきました。


横浜にもまだまだ山や畑が残っています。
東名高速道路の周辺は、トトロの村に来たような景色が広がります。
目指すは神社仏閣、古い者たちです。

ひまわりの葉っぱです。
道路の脇に1本だけありましたが、
排気ガスを栄養にでかい葉っぱに育っていました。

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チェーンで通せんぼされていますが
この先に神社があります。
車止めと解釈して侵入しました。

100mほど進むと神社がありました。
母校が見えましたが、当時はこんな神社があることも
こんな田園風景があることも興味がありませんでした。

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田園風景が多いところだけあって
神社や石仏も結構あります。
こんなやぶの中にあるのかというところにも
神社はありました。
結構いいかげんな地図を頼りに進むので
なかなか目的地にたどり着けません。

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残念?ながら、開拓も盛んで
住宅地もどんどんできています。
新しい道もどんどんできています。
その中に古いものも残っているというところです。

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2009年6月27日訪問

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秋にビートルズの聖地に行こうと決めました。
パスポートが昨年夏に期限切れになってしまったので
本日会社を休んでパスポートを申請に行ってきます。


久しぶりに晴れた19日の土曜日に小田原城までチャリで行ってきました。
小田急電鉄『渋沢』までは電車で行き、
そこから上杉謙信や武田信玄が小田原攻めをしたコースで向かいました。

『渋沢』はもう少し山の中かと想像していたのですが、
平らなところが多く、ダイエット効果は今一という結果になりました。


渋沢の駅のバス停には山登りの申請書用のポストがありました。
!これは場違いなところに来てしまった・・・。
と一瞬思いました。

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国道246号線に出て、まずは『松田』に向かいました。
峠越えを覚悟してきたのですが、小さなアップダウンだけで
横浜市内より楽チンコースです。

畑の中を走る小田急電鉄が印象的だったので
踏み切りで写真を撮ろうと電車を待ちかまえました。
カメラを持って、電車を待っている人が二人いました。
いいポイントなのでしょう。

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コンパクトデジカメで構えていたのですが
反応が遅く失敗です。
次の電車こそと思いましたが、先が長いのであきらめました。

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『松田』からは小田原城まではほぼ一直線です。
酒匂川を下ることになります。

実は小田原城に行く途中にある勝福寺もこの日の目的です。
坂東33観音霊場5番目の札所です。
いずれ境内は紹介させていただきます。
以下、印象に残った者達です。
拝んでおられるのは二宮金次郎さんです。

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小田原城に入城する前に腹ごしらえです。
今年になってのチャリ巡礼は、ワンコイン、マグロ丼が定番になっています。
この日も定例どおり、すき家でマグロ丼480円にすることにしました。

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小田原城では天守閣に行きました。
21日の天地人では北條氏政のところから真田の娘が逃げてきていましたが、
当時、秀吉が争いを禁じていたにもかかわらず
北條氏政が真田にちょっかいをだしたことに秀吉が怒り
小田原城攻めを行ったようです。
真田の娘が逃げたのがいさかいの原因だったのでしょうか?
・・・なんて想像しながらNHKを見ていました。

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天守閣の展望から矢印がついて
一夜城の方向が示されていました。
秀吉が一夜のうちに立てさせたお城と聞いていましたが
こんな逸話が心地よく感じます。

望遠レンズでのぞくと、箱根新道のあたりです。
箱根新道はチャリでは上れないので
(走らせていただいても体力的にもダメですが)
いずれ車で行きたいと思います。

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2009年6月20日訪問

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ちょっとブログを休んだら、あっという間に二週間たってしまいました。
時が経つのは早いものです。

おひさしぶりです。





ネタは5月23日のチャリ巡礼の続きです。
横浜から鎌倉に通じる現在車が通っている『朝比奈峠』ではなく
鎌倉時代の七口の切通しの一つで
鎌倉と六浦港を結ぶ重要な道だった・・・そうです。

横浜に暮らして50年以上経ちますが、
初めて通ることになります。


住宅街を下り、再度環状四号線にでました。
いよいよこの日の本命、朝比奈切通しに向かいました。

環状四号線の坂道をヒーヒーいいながら上ります。
太陽が照り始め、汗もドクドクです。
きっと体重も・・・。

トンネルを越えるのですが、このトンネルは狭い歩道なので、
チャリは車道の端っこを走るしかありません。
『自転車も 乗れば車の 仲間入り』とワガヤの近くの警察署に旗があがっていましたが、
明かりの無いトンネルの車道を走るのはとても怖いです。
『自転車が 絶対いるゾ 気をつけろ』なんて旗をトンネルの入り口に立ててクレェ〜

なんとかトンネルを出て下り坂になりました。
この先の歩道は広いので歩道に入りました。
あとからきたおばちゃんチャリはずっと車道を走って下っていきました。
地元のおばちゃんなのかしら。たいしたものです。

地図を何度も見ながら『朝比奈切通し』の入り口を探したのですが
最初は見落としてしまいました。
案内板が立っていたのに見落とすなんて・・・。

もう一度地図を見ると、少し手前だったようです。
戻ることにしました。
ナ〜ンだ。案内板があり、曲がるべき道もありました。

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朝比奈切通しに向かって進みました。

800年もの昔、鎌倉時代です。
北条泰時が、六浦港と鎌倉幕府をつなぐ道を造ったそうです。
きっと荷物を運んだりするのに活躍した道なのでしょう。

だったらチャリを押しても通れるだろうとチャリを押して進みました。
入り口に『自転車・バイクの通行は止めて下さい』とあります。
押して行くぶんにはいいだろうと、昔の人が荷車を押す雰囲気を味わうことにしました。

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案内板
国史跡 朝夷奈切通 (昭和44年6月5日指定)
 鎌倉幕府は、仁治元年(1240年)六浦港と重要通路として、路改修を議定、翌年4月から工事にかかりました。執権北条泰時自らが監督し、自分の乗馬に土石を運ばせて工事を急がせたといいます。
 当時の六浦は、塩の産地であり、安房・上総・下総等の関東地方をはじめ、海外(唐)からの物資集散の港でした。舟で運ばれた各地の物資は、この切通を越えて鎌倉に入り、六浦港の政治的・経済的価値は倍増しました。
 また、鎌倉防衛上必要な防禦施設として、路の左右に平場や切岸の跡とみられるものが残されています。
 鎌倉市境の南側には、熊野神社がありますが、これは鎌倉の艮(鬼門)の守りとして祀られたと伝えられています。
 鎌倉七口の中、最も高く嶮岨な路です。
 社団法人 横浜国際観光協会
 横浜市教育委員会文化財課
       平成2年3月

案内板を越えるとすぐに石仏がいくつか並んでありました。
いきなりこのようなものがあるとは、先が楽しみです。
庚申塔や道祖神などがあります。

横浜横須賀道路の高架橋をくぐりしばらく進むと
ずいぶん寂しいところだと感じ始めます。
人の気配はなく、前も後ろも誰もいません。
鳴くのが上手になったウグイスの『ホ〜ホケキョケキョ』が響きます。
売店などもあろうはずがありません。

化粧坂と同じような路面です。
平らな場所などなく、岩を削っただけのようにも見えます。
人力で木を切り倒し、岩を削る作業は、
当時、そうとう苦しい事業だったと想像します。

タイヤのあるものだと押すのに苦労しそうです。
当時は、馬にでも乗せて荷物を運んだのでしょうか。
きっとそれが一番楽だったのだと思います。

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熊野神社への分かれ道がありました。
ここで白いシャツを着た散策の人を見つけました。
熊野神社のほうに消えていきました。

写真を撮っていたら
後ろから二人の女性がきました。
彼女たちは十二所の方に進んで行きました。

訪れる人はポツポツいるようです。
ワタシも熊野神社に向かう参道に入りました。
大山の阿夫利神社とは比べ物にはなりませんが
山奥の神社は、街中の神社と異なり
神聖度合いが深く感じます。

湧き水?でところどころ濡れている参道は滑りやすく
チャリを押しながら要注意です。
参道を進むと再び分かれ道です。
さきほどの白いシャツの方は神社と反対側に見えました。
ワタシは案内板の神社方向に進みました。

グーグルアースで標高を調べると118mでした。
旭区希望が丘の春の木神社が横浜で一番高い(92m)とありましたが
熊野神社はギリギリ横浜市なので、ここのほうが高いと思われます。

参道の木々の隙間から鳥居と石段が見えました。
鳥居のそばにマウンテンバイクが見えました。
汗をかいている男の人がいました。
寂しい神社なのですが、ポツポツと参拝者がいるようです。

『こんにちは』
『お疲れ様です』
こんな挨拶ですれ違います。

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案内板
朝比奈町鎮守 熊野神社
御祭神 速玉男之命 伊邪那岐命 伊邪那美命
御由緒 古傅に日、源頼朝鎌倉に覇府を開くや朝比奈切通の開鑿(読めず)に際し守護神として熊野三社大明神を勧請せられしと、元禄年中地頭加藤太郎左衛門尉之を再建す。里人の崇拝亦篤く安永及嘉永年間にも修築を加え明治六年村社の列格、古来安産守護に霊験著しいと云爾

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鳥居は石で造られ、裏には昭和十年九月十七日建立とありました。
石段は40段を数えて、拝殿の前に着きました。
建物は綺麗で、そんなに古さは感じられませんでした。
しかし、灯篭の台にほられた石仏はコケが生していて、歴史の重さを感じます。
誰もいない山の上の神社です。
神聖な場所なのでしょうが、ブキミな雰囲気のほうが漂います。

さらに上に向かう石段がありました。
それを上ると本殿がありました。
拝殿よりも一回り小さな建物です。
ワタシが知っている限りでは横浜で一番高いところにある神社です。
その本殿に、いつもお願いしていることを祈願して、
再び、朝比奈切通に戻りました。
鎌倉方向に進むと、すぐに市境がありました。
ここからは下り坂です。
そうとうぬかるんだ道を下るので要注意です。
段差も多く、チャリを押しての下りは往生します。

道の中に小川もできています。
スニーカーでツルツル滑ります。
昔はワラジで歩いたのだろうな?
予備を持っていないと、すぐに湿って切れてしまうのではないかと
昔の人たちの心配などしながら進みます。

若者二人が鎌倉側からきました。
『こんにちは』と軽く挨拶してすれ違います。

頭の上が掛けた地蔵様が見えてきました。
『延宝三年十月十五日』と彫られています。
この切通の改修をした僧が亡くなったとき
その日付を彫ったとも云われているそうです。
石仏にはそれぞれ、思いが染込んでいるようで
一体一体味わいがあります。

更に進んでいくと、道の中で流れていた水流が
気がつくと道の脇を流れる小川になっていました。
道も穏やかになり、普通の山道になってきました。
カラスの声も聞こえます。

道の先に杭が打たれているのが見えました。
ゴールのようです。
切通しの案内板と小さな滝がありました。

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案内板
朝夷奈切通
鎌倉七口ノ一ニシテ鎌倉ヨリ六浦ヘ通ズル要街ニ當リ大切通小切通ノ二ツアリ土俗ニ朝夷奈三郎義秀一夜ノ内ニ切抜タルヲ以テ其名アリト傅ヘラルルモ東鑑ニ仁治元年(皇紀一九〇〇)十一月鎌倉六浦間道路開鑿(歯に殳に金)ノ議定アリ翌二年四月經營ノ事始アリテ執権北條泰時其?(読めず)ニ監臨シ諸人群集シ各土石ヲ運ビシコト見ユルニ徴シ此切通ハ即チ其當時ニ於テ開通セシモノト思料セラル
昭和十六年三月建 鎌倉市青年團

長々と朝比奈切通を書きましたが、800年の重みを感じる道です。
神社に電線がきている以外は、昔の雰囲気を楽しめました。
ひとりぼっちで歩いていると、ウグイスの声が異常に大きく聞こえます。
昔は主流の道だったのでしょうけれど、
現在では当時を偲ぶ散策コースとしてひっそりとした場所なのだと思います。

切通は木々に囲まれて暗い感じがしたのですが、
十二所に向かう道は明るい通りとなっていました。
十二所のバス停には数人の人がバスを待っていました。
2009年5月23日訪問

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スーパー銭湯で体重計測をしたら82,25kgでした。
ダイエット再開時5/15に83.95kgだったので、1.7kgダウンです。
しかし、先週/今週と土曜日は雨で運動は限りなくゼロです。

ペースは落ちましたが油物、卵系、獣肉、ご飯控えめで微減しました。
今週は、週末に飲み会が控えているので増加の可能性があります。

昨日は午後に雨が上がったので
妻が新しく買ったコンパクトデジカメの試し撮りに付き合いました。
近所の追分公園に花を撮りに行きました。

普段気がつかない小さな虫たちがたくさんいました。
モデルには事欠かなかったのですが、
もっと腕を磨かねばと思って帰宅しました。


ネタは5月に鎌倉巡礼したものです。
環状四号線に戻り、朝比奈方面に向かいます。
東上郷町に白山神社を訪ねました。

住宅街を抜けていくコースとメイン道路を行くコースとあります。
行きはメイン道路を選びました。

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『動物注意』とタヌキの絵の画かれた道路標識がありました。
こんな道路標識がまだ横浜にあるんですね。
こころがちょっと明るい状態になったような気がします。

地図を見ると神社の裏側は瀬上市民の森と氷取沢市民の森が並んであります。
いつまでも残して欲しいエリアです。

ヒーコラヒーコラとチャリを押しながら長い坂を上ります。
ほとんど頂上に白山神社がありました。

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門の石柱には昭和三年建立と彫られていましたが
恒例の案内板の確認です。

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案内板です。

白山神社御由緒
御祭神 伊弉冊尊
例祭日 九月二十七日
伊弉冊尊は伊弉諾尊の妃神にして、神代に始めて陰陽夫婦の神として顕在し給い、皇祖天照大神を始め、森羅万象を生成化育し給う大神なり。
抑々、当白山神社は、証菩提寺文書の白山権現縁起等に由るに、人皇三十五代舒明天皇の御宇、本郷総鎮守として鍛治谷神戸の地に勧請し奉る大社にして、源頼朝鎌倉開府の時幕府良の神として深く崇敬され、仁治元庚子年三月五日執権北条泰時は長尾郷飯島村に神領二町歩を寄進すと云う。
人皇九十五代後醍醐天皇正中元甲子年九月十五日光明谷山巌山に遷宮し奉り、旧地に因み神戸と称すその地は縁起に由れば、境内神領良之方は峯を境、坤之方は田岸を境、巽之方出巌を境、乾之方坊前山下を境とし、社の東北一町に朝水の池と号するあり。
神木森々として松風満耳、神徳現然として国家安寧、五穀豊饒、村中守護の霊地也と記している。
相模風土記稿は、祭神伊弉冊尊神躰九寸六分は舒明天皇の作らせ給いし物と云う。
別当旧くは実応坊、後証菩提寺其職を兼管す。
神職は内田和泉と云うと記し、幾多の宝物神領も有したが現在は散逸して、安政六年建立の前社殿内に藏した享禄元年、天和元年の銘ある扁額が現存する唯一の史料である。
是の如く当地域有数の由緒ある当社も近来衰運に向い、就中関東大震災の折、社地社殿の崩潰にあい、上野村百余戸の氏子一同その復興に努力したるも、故あって神戸に本宮、石原に拝殿を建立し、社地を二分して今日に至る。
而して第二次大戦前後の混乱期を?て両社殿の損傷甚だしく、氏子一同再建を念じつつ三十余の星霜を?たり、然るに近年当地の開発著しく、山林原野○く大住宅地に変貌するに至る。
天なる哉、命なる哉、永年の宿願ここに稔り御神威の発揚と郷土の和平発展の為、現地を最適地と撰卜し、所有者三井不動産の理解を得、前社地と等価交換による譲渡を受け、鈴木社寺工務店の施工により新社殿の完成を見、昭和五十一年十月二十七日秋天に一点の雲なき佳日、史上最高の盛儀による遷座祭を斎行し、神光彌高きを拝す。
願はくは白山大神冥加を垂礼給い、とこしえに守護し給はんことを
 昭和五十二年九月吉日
 白山神社宮司  小池 泉 謹誌

(句点は適当にいれて、適当に段落を変えています)
昭和五十一年頃に周りの住宅地を開拓している時に
この場所に遷座してきたようです。

鳥居に対して横向きに鉄筋コンクリートの拝殿と本殿があります。
ですから、鳥居から入ると本殿がいきなり見えます。

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境内にはきのこのような小さな祠が三つならんでありました。
こんな祠がちょっとした『和み』の感じがします。

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2009年5月23日訪問

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ここ3日、便秘気味で体重を示す値が不利な状態です。
それでも少しは軽くなった気配がしています。

プランターの春菊の葉に夜盗虫の糞らしきものが付いていました。
そういえばだいぶ喰われています
チクショーと思い、プランターをチェックしたのですが見つかりません。
なんとかしなくては。


5月23日のチャリ巡礼です。
この日はどこに行こうかと2,3日前から考えていました。
いつかは行ってみようと思っていた朝比奈切通しから鎌倉に行ってみようと決めました。
京浜東北線はワタシが小学生の時(1964年)磯子駅まで開通しました。
当時磯子に住んでいたので、海が線路に変わったことに衝撃を受けました。
そして1970年に洋光台駅まで開通、1973年に大船まで開通しました。
港南台駅は洋光台駅から一駅大船寄りになります。
ワタシが大学時代は開拓の最中で、大きな道路を造成していたことしか記憶にありません。

駅を降りるとマンションや住宅やスーパーがあったり、浦島太郎状態でした。
抜け道としか使っていなかった場所の面影はまったくありません。

さて、玉手箱を開けて・・・
チャリを組み立て、いつもの地図を確認しました。

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大通りを環状三号線に入り、ジョリーパスタのある交差点を
環状四号線に向かって右折することになります。
環状四号線に出たら、朝比奈方面に向かうと左側に『思金神社』があるはずです。

ジョリーパスタから環状四号線に向かう道は30年前は狭い抜け道でしかありませんでした。
いまや幅の広い大通りの下り坂です。
坂を下る途中から左側を見ると、山や野原の景色がひろがります。
いまだに昔の景色は残っています。
ついついチャリを止めて景色に感動していました。

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坂を下ったところを左折して、左側を意識していたら
すぐに鳥居と長く、高い石段が見えてきました。

広い駐車場の向こう側なのですが、駐車場からは直接の道はないので、
裏側から回ることにしました。
鳥居に着くと石段が待っていました。

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『願いが叶う階段』とあります。
長くて厳しいのですが、願い事が叶うなら上るしかありません。
それではと、願い事を口走りながら上ります。
途中4回ほどとまりましたが、何とか上りきりました。

上りきるとテーブルがあり、お茶の準備がしてあります。
ノートも置いてあって、書き込めるようです。
神社で接待があるのは初めての体験です。

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お茶もノートも遠慮して本殿に向かいました。
本殿からは祝詞?が聞こえてきます。
お寺でお経が流れていたのはありましたが、神社では初めてです。
氏子の親娘さんだと思います。
二人が縦にならんで、祝詞をあげています。

ワタシも手を合わせ願い事をお願いしました。

神社の由緒が書かれたものをいただきました。
以下、長いですが書きます。
      思金神社由緒
御祭神

八意思金大神(やごころおもいかねおおかみ)…智恵の神で、天の岩戸事件や天孫降臨にも大活躍した高天原(たかまのはら)の名参謀長である。

くめども尽きぬ高天原の智恵袋
               
事紀には、思兼(おもいかね)と記されていますが、当神社は古事記に記されている思金神名で呼ばれています。「八意」とはこの神格への尊称である。「思金(兼)」、の語は、宣長の「古事記伝」八に「思は万葉三に歌思辞思為師(うたおもひことおもはしし)と云る思ヒにて、思慮なり。金は兼にて、数人(あまたぴと)の思慮(おもいはか)る悟りを一(ひとり)の心に兼持てる意なり」一人で兼ね備えているほど頭のいい神様という意味であります。またの名を思金さんとか八意さんともいいます。高天原に初めて現れたのが天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)次は高御産巣日神(たかみむすひかみ)であるが、生成創造の高御産巣日神の児で、ニニギノ命の母は(萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと))この神の妹という。何と言っても、思金神の名声を上げたのは、須佐之男命の悪業がもとで、天照大神が天之岩戸へお隠れになられた時、高天原では、八百万の神々の会議が開かれ、思金神が議長になつて、諸神に指図した。まず常世の長鳴鳥をたくさん集めて鳴かせ、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて八咫鏡(やたのかがみ)をつくらせ、玉祖命(たまおやのみこと)には八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)つくらせてこれを大榊の枝に飾り立て、ゆらゆらと揺すり、妙なる音を奏でた。すっかり準備が整うと、天性の美声の持ち主である天児屋根命(あめのこやねのみこと)が、祝詞を面白おかしく声高らかに奏する。布刀玉命(ふとだまのみこと)は榊の前で礼拝する。高天原随一の怪力無双の神・手力男命(たじからおのみこと)による岩戸開門の準備は整った。ここで、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の出番、空桶を伏せた上で、踊り狂った為、八百万の神々はドッと笑いこけた。不思議に思った天照大神が、私が岩戸に龍っているのに、何故そんなに笑ってられるのかと問われたところ、あなた様より素晴らしい神がお出になられたのです。と言われたので、岩戸を細めに開けたところ、すかさず手力男命外力を込めて開いた為、再び天照大神が現れた。参謀思金神の筋書き通りに進み、作戦は大成功。
その様なお力のある方がだまされるはずがありません。それは八百万の神々の祈りが岩戸に龍ってられる天照大神様に通じ、真剣な祈り心があってこそ成就するものでなかろうかと思います。
当神社は昭和三年白山神社の拝殿として創建され戦前戦後の風雪に耐え当時の氏子達に守られ昭和四十三年頃より周辺の造成に依り白山神社に合祀され昭和四十九年思金神社として祀られるようになり今日に到る

神社のご利益

その智恵と才能にあやかつて、入試合格・昇進試験・商売繁盛・家内安全・身体健全・良縁祈願・交通安全・地鎮祭・初宮詣・安産祈願等々

戸籍謄本 八意思金大神  本籍地 高天原

   族 天津神     出生地 高天原

寄留地  横浜市・思金神社 茨城県・静神社 埼玉県・秩父神社 新潟県・宝徳稲荷神社 東京都・氷川神社 長野県・戸隠神社

職業 天照大神の相談役兼高天原の総参謀長(国産み・天の岩戸開き・天孫降臨等)大きな事業には必ずお出ましになられております。

実父 高御産巣日神(たかみむすひかみ)

☆ 月並祭 第一日曜日 午後一時斎行
☆ 毎月一日・十五日 御先祖・水児の御祭りをしております
 午後一時 七時(平日のみ)他(随時受付)
神様にも戸籍謄本や族があるのですね。

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霊動石
高知県四万十川源流にて採取され神力(パワー)の有る石であります。
この石に手をかざす事によりパワーを頂き悪しき処がいやされると伝えられている不思議な石であります。

周りに自然のたくさん残るところにある神社です。
改装の予告がでていましたが、周りの雰囲気から浮くことが無いように期待しました。
2009年5月23日訪問

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