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通勤経路の桜がほぼ満開となっていました。 4日の花見はちょっと早かったような。 娘が出て行って、部屋がひとつ空いたので 自分の部屋がやっと確保できそうです。 机を持ち込んで、マイスペースを確保しました。 380番目の訪問がこのお寺です。
参道に桜があるのは気持ちがいいものです。 この分かれ道の右側がお寺に続きます。 しばらく進むと山門が見えてきました。
花見で使う七輪を背負って歩いているので 結構きついコースです。 京浜急行上大岡駅から急坂を上ってきたので 足がガクガクです。 山門の横に馬頭観音様がありました。
ここでお参りして、境内に入りました。 鳥居が見えます。
お寺の本堂と並んで神社の本殿が並んでいるように見えます。 お寺と神社(上大岡大明神と書いてありました)がこんなにそばに 共存しているのは初めて見ました。 いろいろなお寺があるものです。 2009年4月4日
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1.お寺巡り
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花見の往路でお寺巡りもしてきました。 横浜通算 379寺目 西福寺 380寺目 日行寺 350を越えたところからペースが落ちましたが じっくりと500寺目指して巡礼中です。 今朝は、お酒が体に残っているのか 結構だるい目覚めとなっています。 久良岐公園の桜は7分くらいだったでしょうか。 お酒がまわれば、そんなの関係ない!ということで 寒さで震えながら楽しんできました。 横浜市内で花見で有名な久良岐公園に
花見に行くときに寄らせていただきました。 西福寺はもとは真鶴にあったそうです。 もともとは檀家のない 海の安全や豊漁を祈る『祈祷寺院』だったそうです。 創建は慶長二年(一五九七) 関東大震災後、縁あってここ上大岡の地にやってきたそうです。 山門の横に六地蔵様がおられました。
竜の絵が背景にあります。 真言『オンカカカビサンマエソワカ』は 他のお寺でもみかけました。 紋は菱形が4つならんだ武田菱?四割菱?
狭い境内ですが、布袋様の石仏がありました。 一番気になったのは、お釜型の雨水鉢(正式名称しりません)です。 なぜ、お釜の形をしているのでしょう。 保土ヶ谷の香象院は入り口にお釜のモニュメントがありました。 何でお寺の入り口にお釜があるのかと思いましたが あぁそうか! 雨水鉢として使っていたものを移設したんだ! ・・・と4年越しのなぞが解けたように思えました。 神社仏閣巡りをしていると いろいろナゾに遭遇したり、 まったく違う場所で、その答えを見つけたり 自分の体で覚えていく楽しみがあります。 2009年4月4日
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なんとか桜も目覚めたようです。 明日は花見日和になりそうです。 通勤途中の桜も八分咲きというところでしょうか。 相鉄線のいずみ中央駅ができてから、
一気に町の姿が変わったように思えます。 泉川も整備され、気持ちよく散策できます。 長福寺はいずみ中央駅のそばにあります。 案内板
長福寺の歴史−伝承泉小次郎親衛縁起 大凡長福寺の歴史を遡るに鎌倉時代 泉小次郎親衛の創建道場と云う。 開山は大覚禅師の法弟・空山円印禅師なり。中興の祖は円覚寺百二世大雅省音禅師にて、応永二年(一三九五年)開創し以来法燈連綿として 今日に至る。 泉小次郎親衛は信濃の国(上田市小泉)の住人にして信濃源氏の嫡流なり。 建暦三年(一二一三年)二代将軍源頼家の遺児千寿を擁して、執権北条家打倒(源氏再興)を企てるも事前に発覚し追手を討ちて行方を晦ます。 小次郎と意を同じくする越後・伊勢・下総の衆三百三十余名に及ぶ。 この泉親衛の乱が口火となり侍所別当和田義盛の乱起り北条体制に不満を持つ相模武士団が挙兵する。(吾妻鏡より) 泉小次郎の行方については諸説あるも、唯一川越市最明寺縁起に鎌倉退出後諸国を転々とした後、武蔵の国三芳野(川越市)の豊田源兵衛を頼り千寿と共に出家、名を静海と改め文永二年(一二六五年)八十八歳で没す。 現在川越市小ヶ谷の墓所は戸泉氏を名のる二十五代当主守れり。 当寺裏山中央公園には、小次郎館跡・馬洗いの池と呼ばれる史跡あり。 また隣接の須賀神社に守護神を奉斎、鬼門除けに神明社、守り本尊として滝の前不動尊を勧請したとの伝承あり。 ここに祀りし板碑は南北朝時代(元徳・建武・康永・貞和・延文等)の墓石で豪族や武士が供養の為建立せしものにて古き歴史を物語る。 この度長福寺開創六百年を迎えるにあたり泉小次郎親衛の伝承を記すと共に有縁無縁三界万霊安らかならん事を祈念するものなり。 (資料提供 いずみ郷土を知る会) 平成五年六月吉日 天王山 長福禅寺 附記 和泉周辺には小次郎ゆかりの諏訪の立梶を家紋となす家多く小次郎と川越に同行した内田氏は戸塚本陣と同家紋である。 長福寺は泉小次郎親衛が建てた道場の跡である。
ということで、仏教信仰からできたお寺ではなさそうです。 彼は源氏三代から北条家に主権が移った頃に クーデター起こそうとして、失敗したようです。 和田合戦の引き金にもなっているかもしれないということで メジャーの歴史では出てこないような物語にワクワクします。 長福寺の上には泉中央公園があり、 この近くに城を建てたそうです。 2度訪問しました。
4月に来たときに、蓮を見つけました。 茎だけが水の上にありました。 是非花を見たいと、8月に再訪問しました。 蓮は見事に咲いていて 期待を裏切りませんでした。 2006年4月22日/2006年8月15日
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通勤経路の桜はまだ三分咲きです。 週末の花見を心配しながらの出勤です。 相鉄希望が丘駅から北側の丘を上りきったところにあります。
そんなに高いところにきたような雰囲気はないのですが 海抜92mは横浜市内では最も高いところにある神社という案内板がありました。 体感からすれば、西谷の富士山神社など、 メタボ体質のワタシにとって、 ここよりきつい丘の上の神社は ほかにもあるように思えます。 何はともあれ、ここからの眺めはすばらしく 我が家の近所から、丹沢の山々や富士山が見える 貴重なエリアとなっています。 案内板
我が町の神社 春の木神明社、武蔵の国都筑郡二俣川村字三経の地に約四百数拾年前より鎮座して今日に至っています。この地は海抜92米で横浜市で最も高い所とされています。東は横浜の海を控え、南は鎌倉から江の島を遠望し、西に相模平野を隔てて丹沢小 塊、そして霊峰富士を仰ぎ、北に秩父連小を一望することができます。 祭神は「いざなぎの命」「いざなみの命」と「天照大神」が祠られていて家内繁栄、商売繁昌、交通安全、学業成就等諸願にご利益があります。 春の木神明社 また、
密経塚(説によると近くの『三ツ境』の語源とか): 江戸時代に疫病が流行したときに、 家財などを焼き、その灰を埋めたのを密教塚といわれたそうです。 黄金の財宝も埋まっているという言い伝え(伝歌)もあり、 過去発掘したようですが、灰しかでてこなかったということです。 我が家から行くと方向的に
神社の裏口から境内に入ることになります。 表側の参道は左右に住宅が建ち、圧迫感があります。 毎年サッカーの横浜FCが年始のお参りに来ています。 横浜FCが優勝すれば、この神社ももっと盛り上がるでしょう。 2006年1月28日/2月5日他
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横浜の朝は小雨がパラついています。 通勤経路の桜の木は3分咲きくらいになっていました。 泉区の本興寺の駐車場には 白い花の木、赤い花の木、ピンクの花の木が交互に並んで咲いていました。 これも今週がピークになりそうなので、 写真を撮らねばと思っています。 春本番間近です。 座間駅周辺の散策をした時に訪問しました。
ワタシの持っているガイドブックのコースからは 金比羅神社は外れていました。 一方、手持ちの地図には鳥居マークがあったので、 遠回りになってしまうのですが、 お参りしてみようと訪問しました。 座間駅から坂を上ります。
住宅の隙間から丹沢の山々を背景にした大パノラマが広がります。 金比羅様参りのご利益がさっそくあったぞ!と思いました。 恒例?になっているのが、裏口からの訪問です。
正門にたどり着く前に境内、建物がすぐ横にあることが 何故か多いのがワタシのパターンです。 ここでも裏から入ることになりました。 歩いていると、左手に手水鉢が見えました。 境内がすぐ横にあります。 参道の入り口が下り坂の下に見えます。 一度降りて、また石段を上るのはちょっときつい・・・。 まぁいいか!と横から境内に入りました。 手水鉢の横に白い手ぬぐいがぶら下がっていました。
濡れた手を拭くためのものでしょうけれど 近所の方の気づかいだと思います。 案内板などは無かったので、 由緒・縁起など解かりませんでした。 山の斜面に作られた神社というイメージです。
境内は山肌がでていて、 裏山遊びができそうな境内です。 小さな本殿ひとつの神社です。 本殿の前から振り返ると 小さく見える住宅の向こうに 丹沢のパノラマが広がります。 とても素敵な境内だと思います。 2009年1月17日
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