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1/1 皆様、あけましておめでとうございます。 皆様にも笑顔の1年になりますように! お祈り申し上げます。 今年もよろしくお願いいたします。 いつもは実家で元旦の朝を迎えるのですが 父が手術をして間もないので、本日日帰りで実家に行く予定です。 12/26 さてさて、暮れの散策のネタ続きです。 表題の2箇所ですが、同じ場所です。 東叶神社(浦賀には西叶神社もあります)の裏山になります。 源氏再興が叶ったことから、頼朝が叶神社と名付けたそうです。 正月の準備中の神社でしたが、左横の石段を上り ヒーコラヒーコラと頂上まで行きました。 登りきると、狭い広場がありました。 祠も建っています。 ここが勝海舟断食の場の跡のようです。 景色がいいものかと思ったのですが、 木が茂り、木の隙間から浦賀の海が見えます。 咸臨丸での太平洋を横断の航海安全を祈念したとのこと。 一方、時代は遡り、戦国時代の頃 北条氏康が房総の里見氏対策で建てた 浦賀城の跡とも言われています。 写真は頂上から房総方面を望みました。 黒船は左下に停泊していたそうです。 相変わらず、ワタシの散策はマイナーな場所なのか 一人寂しい山登りとなりました。 もっとこの場を宣伝して、お土産でも準備していれば
これだけの場所ですから、町おこしにもなるかもしれません。 坂本竜馬もTVでやるし、この機会を逃したらもったいないと思いました。 |
9.鎌倉散策
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12/31 おはようございます。 新年を前にブログタイトル代えちゃいました。 今日は薬師寺別院にお写経に行き、 築地でマグロを買ってこようと思います。 ご訪問していただいた皆様 どうもありがとうございました。 来年もよろしくお願いいたします。 12/26に浦賀散策です。 専福寺というお寺です。 本堂の横に一茶に関わる碑がありました。 初恋の人『福』の墓があるそうです。 19歳で亡くなったそうです。 辞世の句は 鳥の散らす 松葉や 別れ霜 墓標に書かれてありました。 一茶が彼女を詠んだ句は 夕立の 祈らぬ里に かかるなり いい思い出だけが残った初恋・・・。 結婚30年を過ぎたワタシには、 一茶の句の良さが今一理解できませんでした。 でも、福の句には、人生の土壇場の心境が見えるような気がしました。 現在はマイナーな観光地の浦賀ですが、
黒船だけではなく、いろいろな歴史が残っています。 小林一茶の初恋の人と会えるとは思いませんでした。 一期一会・・・ |
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12/30 おはようございます。 今年も残すところ2日になりました。 今日はボロ車(13年乗っているのでボロです)の洗車、 そして、PCに適当に入れておいたデータの整理でもしようかと。 今年は神社仏閣巡りを卒業して、歴史散策に入門しました。 特に中世の連中の遺したものを見てまわることが愉快になりました。 来年も歴史散策を楽しみたいと思います。 12/26に浦賀を27000歩弱歩いたので そのときの散策です。 京浜急行浦賀駅で降りました。 30年前の景色と同じように思えました。 現在、駅を改修していたので、変わるのかもしれません。 駅を出て、観音崎方面に進んで行き、 浦賀ドックを過ぎて、顕正寺に入りました。 わんちゃんがワンワンと吼えながら迎えてくれました。 案内板を見ると、開港当時の有名人のお墓があるようです。 ・江戸時代中期の陽明学者、中根東里 ・浦賀の代表的歌人、西野前知 ・直木賞作家、山口瞳 ・威臨丸副艦長、春山弁蔵 ・浦賀奉行所与力、岡田井蔵 ワタシの知り合いはいませんでしたが、 一応、お墓に寄ってみようと墓地に行きました。 うろうろ探したのですが、ひとつも見つかりません。 お墓参りにきていた方が 『お墓を探しているのですか?』 声をかけてきました。 『案内板にあったお墓を探しています』 『お墓には何も書いていないから見つけにくいんですよね』 近づいてきて、 『私が案内して差し上げます』 『助かります。ありがとうございます』 『ここが岡田さん、その下が直木賞の山口さん、・・・』 丁寧に案内をしていただきました。 最後に、もう一度お礼を言って別れました。 一期一会・・・ ワンちゃんに迎えられ、お姉さんに案内をしていただき 印象に残るお寺でした。 門を出て歩いていたら、誰のお墓だったか、 もう忘れていました。 |
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11/28 護良親王の物語に縁のある神社・・・。 紅葉日和ということだと思いますが、 人、人、人・・・・ 境内が寂しいと人が恋しくなりますが 多すぎると、多すぎることで不満に思ったり わがままなワタシです。 外国からの訪問者も多く さすが、鎌倉と云う一日でした。 |
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11/28 頼朝の墓の近くに法華堂跡と白旗神社があります。 法華堂は三浦一族自害の場となっています。 もともと北条の脇役で満足していたように見えましたが、 実朝暗殺、和田の乱などの影で手を引いていたようにもチラホラ見えます。 北条安泰のため、いずれ抹殺しようと思っていたのでしょう。 この日は、鎌倉の血なまぐさい一面を散策しました。
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