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お久しぶりです。 PCを変えて、PC環境が良くなったのですが サボリ癖が身についてしまい、サボっていました。 最近の天気は寒かったり、暖かだったり、 結構体調には厳しいものがあります。 昨年嫁いだ娘が、10月にジジになると連絡をもらい 少しはテンションが上がってきました。 さて、4月から5月のGWが12連休になるので、 伊豆にでも、温泉とレキササイズで出かけようかと計画しています。 <伊豆横道巡礼> この三十三観音巡礼コースは、最近初めて知りました。 承安三年(1173年)、文覚が伊豆奈古谷に流されました。 彼は同じく伊豆に流されていた頼朝に源氏再興を促し 大願成就を祈願し、南伊豆の寺々を巡礼することを勧めました。 彼らは、南伊豆の三十三礼状を巡り、頼朝は源氏再興を達し、鎌倉幕府を開きました。 それ以降、文覚と頼朝が巡礼した観音霊地を巡る信仰が盛んになったといわれているそうです。 伊豆を巡る楽しみをまた見つけてしまったので、
いずれ、この巡礼を始めようと思っています。 |
レキササイズ伊豆
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新しいPCの設定やら、フリーソフトをインストールしたりで アップできませんでした。 先週は寒い一週間でした。 雪も降ったり、天気がよくても昼も寒い日が続きました。 週末はどこかに行こうと思っていましたが、 昨日もPCの環境を設定していたので レキササイズできずでした。 次の週末も天気が悪そう・・・。 さて、2009年4月に訪問した東伊豆です。 頼朝と恋中の八重姫の一族、伊東家。 葛見神社です。伊東家の守護神社です。 約九百年昔、葛見の庄の初代地頭工藤祐高が社殿を造営したということです。 相撲の技、48手に河津掛けとありますが、 これは伊東祐親の嫡男、河津三郎祐泰の技だということ 曽我兄弟の仇打ちは「曽我物語」で知られているし 大きな勢力を持っていたんだそうです。 大きな故に一族内での領地争いも激しいものがあったように思えます。 そんな家系だったので、頼朝を受け入れることができなかったのだと思います。 一方、頼朝は 伊東家の大きさも理解していたのでしょう。 流人の頼朝を支援していた比企一族との血縁もあったし 三浦一族との血縁もあったので、蛭ヶ小島からは、当時の交通では 比較的遠距離にもかかわらず、熱心に通っていたことを考えると 将来的に大きな戦力として期待していたように思えます。 そんな思いを寄せながら神社散策をしました。 神社仏閣などで写真を撮っていると、 ときどき、意外なものに出会います。 シャッターを切った瞬間に、何か写った!と思うことが時々あります。 歴史ある大木を写真に収めていると ここでは白い光が写りました。 太陽も雲にかかっていたので、逆光でもないし、 といって、不気味な雰囲気もなかったし。 とはいうものの、長いはするなヨ・・の意味かとも思い、 神社を後に、伊東祐親のお墓に向かいました。
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2/14 バレンンタインですが、ほとんど縁がないワタシです。 しかしながら、義理チョコ歴15年の方からお情けをいただきました。 蓋を開けるときに落としてしまい、ひとつがひっくり返ったままでした。 レキササイズ伊豆 さて、レキササイズと名前を変えてから さっぱりと歴史散策をさぼりっぱなしです。 3月には伊豆に散策に行こうと思います。 去年4月に会社の仲間と伊豆の伊東で親睦会をしました。 夜遅くまで騒いでいたのですが、次の日の朝は5時前に目覚めました。 お腹が空いていたのですが、朝食は7時半ということで、 酒臭い部屋を出て、さわやかな伊東の町を散策することにしました。 ホテルのフロアーに伊東の観光MAPがあったので 神社仏閣にでも行ってみるかというつもりで ホテルに一番近い神社に、まずは行ってみました。 小さな神社でしたが、なんとここが、 あの頼朝と八重姫の待ち合わせの森ということでした。 小説で読んでいたので、二人のことは知っていたので 大感激でした。 小さな本堂がひとつあるだけで、社務所もない神社です。 案内板だけが、二人の物語を語っています。 日暮神社とありました。 伊東佑親の一族は一族内での争いに根深いものがあり 『曽我兄弟の仇討』も伊東一族の争いだし、 一族の内部の摩擦を気にしていて 世の中の流れまで目がとどかなかったのだと思います。 八重姫が頼朝と結ばれたことを、 一族という切り口でしか見れなかったのでしょう。 八重姫を監禁し、頼朝を抹殺するぞと追い出しました。 そんな物語を思い出しながら、発見を喜びました。 誰かがワタシを導いてくれたものと思いました。 |
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