レキササイズ:歴史散策でダイエット

2014年4月から重い荷物を軽くしました。

振り返り

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

当時の記憶 その4

火曜日は夜に会議があるということで、車で通勤してしまい、歩行距離は大幅ダウン。
しかし、その代りというつもりはなかったのですが、帰りが遅くなったので晩御飯はバナナ1本。
次の朝の体重測定は、かなりダウンしていたので、一喜一憂の一喜のほう。
 
久しぶりの車通勤ですが、2か所で家の建て替え。。。というか、今まで見慣れた家が無くなっていました。
数か月で景色が変わっていくことを実感しました。
 
今日は、午後から外出です。
2日つづいた自前オニギリは本日休み。
今日の帰りに具をみつくろってこようと思います。
 
 
入社当時の記憶 その4
 
実は、入社した年、結婚もしました。
会社は、いそがしく、現在の労○基○法からみれば、信じられないくらい働いていました。
そんな法律など、知識があまりなかったし、結婚生活で金銭的には厳しかったので、時間外勤務もある意味、ありがたいところもありました。
日曜が休めればラッキーくらいの仕事っぷり、現在とのギャップはかなりあります。
そんなわけで、新婚旅行も3日ほど。休むことが、職場の方々に後ろめたいと感じながらの状況でした。
そんななかの日々の生活で、ありがたかったのは、スーパーマーケットの安売りです。
今ではディスカウントストアーやら百円ショップなどいたるところにありますが、当時は数えるほどしかなく、家からも遠く、出かけるときは、ちょっとしたイベントになっていました。
食料品、日用品、趣味の道具などの購入に、月に1回はでかけていました。
コンビニもない頃で、近くに小さなスーパーがありましたが、単独の八百屋さん、お肉屋さん、魚屋さんなどをよく利用していました。農家が近くにあったので、無人野菜販売などはあったと思います。

当時の記憶 その3

今日から弁当を持っていこうと思い立ち、自分でおにぎりを作ってみました。
シャケを焼いて、具に。
100円ショップで買ってきたオニギリケースを使って作りました。
コンビニでオニギリを買うのとどっちが安いのだろう?
自分のサイフから出費しなくなった分は、自分のもうけだが
家庭の経済から見ると、シャケ98円、ごはん・・・いくらだろう?
そうして、ゴマシオとふりかけ。
どっこいどっこいかもしれません。
 
しかし、自分で作っていった昼食は満足でした!
 
 
入社当時の記憶 その3
 
ワタシが配属時に歓迎会をしていただきました。
来る人がいれば出る人もいます。
出る人が、冗談で言ったのだと思いますが、「君においだされてしまったよ」って。
当時、聞いてすぐに忘れました。
時空を超え、その日から15年ほどたった時、ワタシが異動していた部署に、なんとその人が異動してきました。
迎える側の立場です。
そのときの彼のあいさつに、その当時のことが入っていました。
ワタシの頭の中もタイムスリップし、「君においだされてしまったよ」って言われた時の景色がよみがえってきました。
ワタシの歓迎会はどこのお店でやっていただいたのか記憶にありません。
ワタシもあいさつで何を話したのか記憶にありません。
しかし、彼の一言だけが記憶に残っています。
今は、チェーン店の飲み屋さんが数多にありますが、当時の宴会のできる飲み屋は、チェーン店でなく、それぞれの店の特徴を売りにしていたように思います。
たいていは、畳座敷の部屋で、飲み放題とかいうシステムもなく、幹事の時はビールの本数をやたら気にしていました。

当時の記憶 その2

昨日、カイロプラテックの講習を受けに駅まで。
なんと3時間。最後に仙腸関節の修正をしていただき、終了。
足の長さが左右で違っていたのが治りました。
 
自分ではわからないのですが、ワタシがモデルになって治療しているのを
数人の方が見ていて、左足が長いのが同じになったとか声が聞こえました。
カイロプラテックすごい!と
 
先生が、今日は関節を動かしたので、そこに溜まっていた老廃物が体に流れます。
水を飲んでください。また、体がだるくなると思いますので、歩くときに注意してください。
そんなことを言われました。
 
長かったので、昼食は1時半、駅近くのラーメン屋でつけ麺を食べました。
自慢のメニューというのを選びましたが、メニューの絵とチャーシューの大きさが全然違う。
自慢のタレも、なんかドロドロで口当たりがイマイチ。
麺の入れものも、色気のないドンブリだし。
多分、もうこないお店になりそうです。
イメージ 1
帰ったら眠くてしかたがありません。
治療のせいなのか?暗示にかかったせいなのか?
7時に寝てしまいました。
 
 
さて、表題の当時の記憶
 
入社当時の記憶 その2
 
仕事を覚えるのにOJT(On-the-Job Training)というものがありました。
若い先輩につき、日常業務やら、社会人として必要な常識を身につけるもののようです。
ワタシが指導していただいた先輩は、ちょっと変わった方。
ワタシが同じことで、確認の質問を繰り返すと、無口になるんです。
やりにくいったらありゃしない。
不満だらけで、やる気の萎える毎日でした。
ということで、頭にきて2日ほどずる休みをしました。
そのうち、もう一人の古株の先輩が、いいよ、ぼくとやろうと言ってくれて、そうすることに。
今ではシステマティックになって、OJTの管理もしっかりされていて、途中で担当が代わるなんて、理由とかその説明とかが必要ですが、当時はいいかげん。
おかげで気分よく出勤できるようになりました。
5月病とかの原因のひとつが、こんなことなのかもしれません。
その先輩二人も、ここ何年か前に定年し、それぞれ嘱託で活躍されています。
ワタシが配属された後、何年も後輩の配属がなかったので、ワタシがOJTをやる機会はありませんでした。

当時の記憶 その1

1979年に入社、そうして2014年に定年退職。
35年も経ってしまったサラリーマン生活。
あと5年、嘱託生活が追加になったので、トータル40年間働くことになります。
 
当時の記憶 その1
昨日のことでさえ詳細な記憶などないので、35年前のことなど微塵も覚えていないかというと、そうでもないです。
新鮮な気持ちで、初心な新入社員だったのでしょう。1年目の記憶は、けっこう覚えています。
工場事業所のある開発部門に配属されました。
自分用の机をもらい、業務開始となりました。
この頃、日本のどこでも珍しくなかったのでしょう。机に座りながらタバコをモクモクと吸うのが普通の景色でした。
ワタシが配属になった部署のほとんどの人がタバコを吸っていました。ワタシもタバコ吸いだったので、皆と同じような態度で吸っていました。今では考えられない事務所風景です。
コーヒーも、当時は粉のインスタントコーヒーです。今のようにドロップ式のものなど記憶にありません。
当番で、みんなのコーヒーを入れることもあったのですが、自分がコーヒーを飲まないので、ワタシの作るコーヒーは評判が悪く、君の入れてくれるコーヒーは薄いとか、いろいろ文句を言われたのも覚えています。
当然、PCもワープロもない時代なので、資料はすべて手書きです。
文字盤などという文具があって、数字やアルファベットはそれで書くこともありました。
コピーも上質紙へのコピーではなく、青焼きというアンモニアの香りがして、すごく湿っぽい紙だったです。これが日に当たると変色して、字が薄くなってしまうこともありました。
ワタシが資料作りのパシリをやっている頃、500円玉が発行されました。
青焼きコピーを準備するには、工場の一角で、事務所一部屋分くらいの大きな機械で焼いてもらいます。
そこには専門の方がいて、依頼書と原紙を持っていくと、焼いてもらえます。
その焼いている待ち時間に、「あんたもう見たか?」って500円玉を見せてもらいました。
初めて見る高額コインでした。大きくて立派なコインだという印象だったのを記憶しています。
いまでも、たまたま当時の柄の500円玉を見ると、その日の光景が浮かんできます。
ワタシが20台中盤で、青焼きをしていた人は50台。そうしたら、今ワタシが60に、あのおばちゃんは90台か。

全1ページ

[1]


.
ぶんわん
ぶんわん
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事