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ザ・ポップ・グループの2作目
今年最初のレコードは運良く購入できた本作で行きたい。
なんでも紙ジャケットでの発売予定があったそうなのだが延期となったそうで、どうやら現在は本作はCDでは入手困難らしい。
本作のオリジナルはラフトレードより4枚の新聞紙状の表裏に印刷されたポスターが付属された形で流通した。
(レコードコレクターズガイドにも白黒のポスター付属と記載されているので多分これでいいはず。)
オリジナルプレスだけだとさほどレア盤でもないのだが、4種ポスター完品とくると途端に厳しくなる。これまでも幾度かポスター無しや中途半端に2枚付いたものなど見かけて来たが、やはり本作はぜひともオリジナルをとの思いからことごとく見送って来た。
ようやく手にした本作は盤質もほとんど聴かれた形跡がなく、ザラ紙に活版印刷であることから来るポスターの退色劣化(これは致し方ない)やジャケットのかすかな背ヤケくらいと、保存状態の良さが伺えるコンディション。いつもは待った甲斐より買わずにする後悔の方が多いのだが、今回ばかりはよかった。思い起こせば初めてロンドンに行ったとき、ポートベロ近くにあったラフ・トレード・ショップで初めて新聞紙ポスターの付属した本作を見つけた。残念ながら売り物ではなく展示物だったのだが、その時から「いつかは新聞紙ポスター付きを」と思い続けて結構な年月が経過してしまった。
念願だった4枚のポスター(写真参照)だが、4枚のうち2枚は少し厚め、残り2枚は新聞紙的な紙で劣化しやすい。
両面とも印刷されていて、中には死体の写真だったり、アバやビートルズの「ブッチャーカバー」のジャケットに落書きをした内容のものだったり、フリーメイソンの象徴が印刷されていたり、当時よくこんなものが流通できたものだと感心してしまう。同時代のSPKやスロビング・グリッスル等も似たようなプロバガンダをしていたが、ポップ・グループのそれは政治的メッセージという点において彼らとは少し異なっていると思う。
すでにあまりにも多くの人々によって語られているように、本作はロック史に永遠に語り継がれていくべき名作だと思う。
聴く人によって受ける衝撃の大きさは差があるとは思うが、本作は私がこれまで聴いて来たすべてのレコードの中でファーストコンタクトにおけるインパクトという点では抜きん出た一枚だ。個人的にはクリムゾンの「宮殿」やピストルズの「勝手にしやがれ」よりも衝撃度は大きかった。
録音はダブの処理がかかっているため、ほぼ全ての音が特殊な処理が施されていて、スピーカーで再生するとうちの真空管アンプのシステムで聴くと引っ込んだような音になっている。もしかすると密閉型スピーカーや大口径スピーカーをソリッドステートアンプで出力まかせでガンガン鳴らす方が本作の特徴をよく引き出してくれるのかもしれない。それでも本作のグイグイくるベースラインの迫力は昔聴いた時の迫力を上回っており、やすがオリジナルと思わせる音質だった。
プロデュースや録音的な部分を外して考えてみる(この時点でもう既にポップ・グループとは言えないのかもしれないが)とがなり立てるようなヴォーカルスタイルはパンク的にも聞こえるものの、今にして思うとキャプテン・ビーフハートに近い。
バックの音はというと・・・
当時はアンチ・テクニック指向のような風潮があったはずだが、上手いというほどではないが同時期のパンク、ニューウェイヴ系のグループと比較すると、十分なテクニックを持ち合わせていたと言ってよいだろう。ダンサブルではあるが、ベースラインがグルーヴ感をもって引っ張るファンク的な音楽だ。ロフトジャズのフィーリングも感じさせる。この頃現れるビル・ラズウェルのマテリアルらと交流がこの時点であったとは思えないので、このへんはプロデューサーのデニス・ボーヴェルの趣味だろうか。
そんな「ロフトジャズ&ファンク・ミーツ・ビーフハート」だけに留まらないのが現代音楽的要素だ。
フランク・ザッパ等が遙か昔にシュトックハウゼンのようなテープコラージュによるミュージックコンクレートのロックへの導入を試みているが、ポップ・グループも楽曲構成的に楽器のソロ・パートに行くと見せかけてテープによるナレーションが飛び込んでくる(もしかすると楽器ソロを入れるほどテクニックがなかったのかもしれないが、他にフリーキーなサックスソロも入っているので、ソロをとろうと思えば出来なくはなかったはずだ)ような処理や、ミニマルミュージック的なピアノをバックに当時それほど一般的ではなかったであろうラップ的なヴォーカル(ラスト・ポエッツ)を入れるなど、当時10代そこそこだったメンバー達が実験を試みている。イントロのケチャの実況録音も聴く者を驚かせる。今聴くとありがちだが、当時としては十分衝撃的だった。そうした現代音楽や民族音楽的要素をファンクをベースとする腰の強いダンスビートにのせることで、スノッブたちの手から一般聴衆のものとした点も評価できる。
ダイレクトに歌詞に反映された強烈な政治メッセージも合わせると実に様々な要素が投げ込まれた作品で、多くの人々によって語られているように、本作はロック史に永遠に語り継がれていくべき名作だと思う。ジャケットも作品の持つ重要なメッセージ性の一翼を担っていて実に素晴らしい。
こんなグループは長く続くはずもなく3年程度で解散してしまう。
例えばボブ・ディランなどを聴いていても同様におもうが、政治的なことが言いたいのなら最初から政治家になればいいじゃないかという向きもあるかもしれないが、それは違うのだということをこの作品を聴いてつくづく思う。
政治家の演説では伝えられないようなことが、強烈な音楽に乗せた歌詞で一瞬にして伝わるのは音楽家の特権だと思う。
東西対立は今や過去のものとなり果てたが、貧富の対立や南北対立は未だに世界の情勢で変わっていない。
その意味でも本作は発表されてはや30年を経過しようとしているにもかかわらず、未だ輝きを失っていない。
本作についてのもう一つの思い出は1986年、カンタベリーの大学のホールでマーク・スチュアート&マフィアのライブを観に行ったこと。
当時はとっくにポップ・グループは終わっていて、マーク・スチュアートのマフィアでの活動がスタートしていたわけだが、新曲中心の曲のなかで1曲だけ「We Are All Prostitutes」を演奏した時感激したのを記憶している。確か黒人ベーシストが演奏していて、ポップ・グループなどよりはるかに上手く演奏していたのだが、どことなく物足りなさを感じる演奏だった記憶がある。
テクニックがあることはいいことだが、やはりテクニックは音楽の本質そのものとは関係ないのだ。
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