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肩書き未練の発想が大間違いだ。
仕事をしていてもいつかその仕事人生にも終わりは来てしまう。もちろん年齢という概念からくるものなのだが、日本には定年退職という文化がある。全ての人が個人事業主や経営者でない限りどうしてもこの制度によって定年を迎える日が来てしまうのは言うまでもない。ただ、定年をした後に何をするのか。今まで持っていた肩書きがなくなることによって喪失感を得てしまう人も一定数いるらしい。ではなぜこんなことが発生してしまうのか。今回のブログではその点について話をしていきたいと思う。
『会社を定年退職した。辞めてみたら、肩書きも権限もなく、ただの人になってしまった。これが寂しく、無気力状態。どうすればいいでしょう・・・。こんな悩みを抱えている人がいるという。私にはにわかには信じられなかった。何十年もの勤めから解放されて、さぞかし、自由を満喫していることだろう、羨ましい限りだと思っていた。ところが違うのだという。』
定年退職をして肩書きがなくなった、今まではどこどこの誰々さんという名前だったがそれがなくなったことによって寂しい思いをしているという人もいる。これは驚くべきことではないだろうか。自分の仕事の人生を肩書きによって満足感を得てきた特殊な人であると言えよう。本来仕事というのは、何を達成してきたのかという観点で測るべきだ。肩書きがあったからといって何を実現したのかということには全く繋がらない。肩書きに何かを求めているというのはそもそも間違っているのだ。私も安田氏と同様に、仕事をやっと務め終えたのだから、開放感で満ち足りているのかと思っていた。
『また、ある人は定年で会社を辞め、再就職先を探しているが、一社は大手企業だが肩書きなしで、もう一社は零細企業だが一応部長の席が用意されている。どちらがいいか。大企業の平社員のほうが雇用条件はいいが、肩書きのつく零細企業の部長の方がいいでしょうか、と悩んでいるという。これもにわかには信じられなかった。』
肩書きを気にする人はこういうところでも迷うのだろう。私からしたらなんの意味もないところで悩んでいるように見えるが、この人にとってみればこれはとても重要なことなのだろう。
『両者とも考え違いもはなはだしいのではないだろうか。第二の人生に踏み出そうにも趣味もなく無聊を・・・というのならわかるが、肩書きも権限もなく寂しい、という感覚は私には理解不能だ。その人が会社でどんな役職にあったのか知らないが、地位が上がればあがるほど責任は増し、その責務に応えるべく一生懸命にやっていれば、いい加減に疲れて、もう重責から解放されたい、自由になりたい、と思うのが人情である。』
毎日が何かに必死で、それを昨日までやり続けてきたなら、大きな達成感があるだろう。もうあの辛い責任感に悩まされることもないと安堵をする人もいるだろう。私は将来の自分がこのように満足を得られる人生にしたいと思っている。また、多くの人にとってもそのような思いをして欲しいものだ。
『ある横綱が引退してなにが一番うれしかったか、と聞かれて、明日から相撲を取らなくていいこと、と答えていたが本音だろう。厳しい勝負の世界で、しかも横綱を張っていれば、緊張感も重圧も相当なものにちがいない。それから解放されて心底ほっとしたことだろう。』
下記参考文献より一部抜粋 参考文献:土壇場の逆転力 〜瀬戸際の勝ちを拾う人生戦術書〜 安田隆夫 著
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