鹿児島てくてく見てある記

そろそろ紫陽花の季節がやってきますねぇ

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2018年の大河ドラマが「西郷どん」に決定しましたね。

明治維新150年記念ということだそうですが,おそらく今年から来年にかけて

たくさんのひとたちが鹿児島や西郷さんを話題にし,鹿児島を訪れるのでしょうね。楽しみですねぇ。


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鹿児島市 南州神社駐車場から桜島を見る



というわけでってことではないのですが,ひさしぶりに西郷さんのお墓詣りに

鹿児島市上竜尾町にある「南州神社」に行ってきました。


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鹿児島市大竜町



天璋院篤姫が暮らした大竜町の今和泉島津家跡前のバス停から

山手にむかって歩いていくと,南州神社に登る長い石段があって

そこを登って最上段に立つと,おおきな鳥居のむこうにたくさんの墓石群がみえます。


ここには,西郷隆盛ひきいる薩摩武士団と新政府軍が激突した西南戦争において敗れた,薩軍の将兵たちが眠っています。

1877年,城山の岩崎谷で戦死した西郷さん以下40名を仮埋葬していたこの土地に,その後鹿児島市内や九州各地に埋葬されていた遺骨も移し「南州墓地」としたのだそうです。

その後,墓地の北隣に参拝所がつくられ,これが西郷さんを祀る「南州神社」となったんですね。


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南州墓地



墓地の正面にあるひときわおおきい墓石が,「西郷隆盛」で,そのまわりに「桐野利秋」「篠原国幹」「村田新八」といった薩軍の士卒たちの墓石が桜島にむかって整然と並んでいます。

そしてそのまわりには,西郷さんを慕って出征した人たちなのでしょうね,いくぶん小さめの墓石群がとりかこんでいます。

まるで西郷さんを中心に隊列を組んでひざまずいているようにも見えます。


西郷さんのすぐ隣の桐野さんの墓には,香水の瓶がふたをあけておかれていました。

桐野さんは,示現流の達人ながら伊達者で,きらびやかな軍刀や服装,香水に凝ってたって話ですからね・・・ちょっと胸があつくなりますね・・たいせつに供養されているんですねぇ・・・

以前,このブログでもとりあげた「西郷さんに1日接すれば1日の愛生じ・・・」の「大分 中津隊士」の墓もあります。

福岡藩士とか県外や離島からのものもあります。それぞれに物語があるんでしょうね。

園内にはボランティアのガイドさんがいて,西郷さんや薩摩のことをいろいろ解説してもらえますよ。



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南州神社



林立する墓石の間を歩いていると,またまた西南戦争について考えちゃいますね。これまでこのブログでは,何度も取り上げてきました。

これまでとりあげた西郷さん関連のリンク先を最後に掲示します。時間のある方は見ていってくださいね。

幕末から明治維新,新政府樹立,そして西南戦争における西郷さんや多くの薩摩士族の行動は,なかなか他県のひとには理解しがたい部分が多くて,逆にそのことが,ある意味「薩摩の魅力」になっているのかもしれません。

たとえば西南戦争について考えると,いくら西郷さんに人間的な魅力があったとしても,なぜこれほどまで大規模の反乱になったのか?

しかも薩摩士族のほぼ全員が,薩摩軍や政府軍として関係しています・・・いってみれば薩摩の内乱にも見えます。

また,幕末にあれほど影響力の大きな革命家であった西郷さんなのに,なぜ暴発する私学校の若者たちをおさえようとしなかったのか?とかね・・・

司馬さんは,これらを理解するヒントは,薩摩の「郷中制度」にあるのではないかとしているのです。


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西南戦争 墓碑銘



以下「司馬遼太郎が考えたこと」9―南方古俗と西郷の乱― 新潮文庫
「街道をゆく」8 ―熊野・古座街道― 薩摩の話 朝日文庫から引用,参照しました。

「私はここ数年,西郷隆盛とその反乱について考え続けている。・・・

西郷が,西南戦争のような形で暴発することに終始反対しつづけていたという証拠はふんだんにある。

それでも私学校の暴発をおさえきれず,説得しても無駄という段階になってから,西郷は自分の体を呉れてやろう,といって御輿(みこし)に乗るようにして乗った。」

「この間,西郷の思考には飛躍があり,ふつうなぞとされていた」が,このことについて(司馬さんは)「西郷の決断はかれの理性によるものではなく,薩摩の慣習にあった」のではないかと考えている。



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南州墓地から鹿児島市内を見る



「考えてみると,私学校というのは一万数千の鹿児島県士族社会における若衆組なのである。

薩摩藩は江戸期を通じ,藩士社会の居住区ごとに「郷中」(ごうじゅう)という南方的な若衆組織をもっていたことで特異であったし,かつよく知られていた。」

「薩摩の郷中制度では,妙円寺詣りという強行軍の行事もあり,曾我どんの傘焼きという勇壮なものもあり,また,関ヶ原の日には古老の話をききにいく。」といったことが日常,青少年教育としておこなわれていた。

こういう郷中制度という南方島嶼の若衆組の風習がそのまま藩体制の中に居すわり,その青少年教育を一手にひっつかまえたという重要な組織をもつのは,三百諸侯の中では薩摩藩しかなかった。」



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墓地裏の遊歩道から



薩摩では十四・五歳になり元服すると二才(にせ)となり,結婚するまでのあいだ町内の若者組織に所属して,郷中頭の指導をうけます。

若者の教育については郷中頭(ふつう十八歳くらい)が責任を持ち,その権限は「絶対」にちかいもので,若者たちは両親よりもむしろ郷中頭に服従する習慣があったのです。

西郷さんはよほど評判が良かったのでしょうね,下加治屋町の郷中頭を二十四という,いわばトウの立つ歳までつとめていました。

今で言えば,大学を卒業した社会人が中学生たちを指導していたって感じですかね。


西郷さんが幕末の風雲期に,京都で革命外交を展開していたときも,そしてまた明治維新が成立し新政府が樹立されたときも,西郷さんをとりまく幕僚や官僚たちのほとんどは,このとき西郷さんを頭として仰いでいた下加治屋町の二才たちだったのです。

いってみれば,明治維新などというのは薩摩の一集落である下加治屋町の青年団が主導してなしとげられたともいえるのです。


地区の角力大会では郷中頭が賞品を手渡すのですが,子供たちは西郷さんから賞品をわたされることがただごとでなくうれしかった。

そういった機微というか,空気というかそういったものを知らなければ,その後の明治維新,新政府,西南戦争における西郷さんや薩摩士族たちの行動はなかなか理解できないと思うんですね。



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西郷という人は郷土主義者としての面もありましたから,そのため薩摩藩を最高だと思っていたし,どうしても同じ藩の士となれば安心できたんで,気心の知れた同藩士に相談し,命じたということなのでしょうけどね・・・


また,薩摩の藩風として,その人物が理想的な首領の風があるとなれば,これをはなはだしく尊重し,かつぎ,ついにはその人物のために命も要らぬということになってしまう。

西郷さんはそれにふさわしい風を持っていたということですが,しかし逆をいえば,薩摩の藩風がなければ(他藩であれば)西郷さんはあれほど巨大な存在にはならなかったと司馬さんはいいます。

「もし西郷さんが他県に生まれたとしたら,「変に体の大きな人がいる」で終わったのかも知れない」とも書かれているんですね。



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「薩摩の郷中制度には,「オセンシ」(大人衆?)という言葉があって,慣習のなかで強い権威を持っています。

オセンシの命令は絶対というにちかく,しかもこれらは藩の職ではなく郷中の暮らしのなかにありました。

「オセンシがいわれた」となれば,事情はわからないがともかく銃を執って戦場にゆくというものであり,この意味からいっても西南戦争は薩摩藩でしかおこらず,また,おこせないということにもなります。

さらにいえば,城下の方限(町内)や郷中には,それぞれに,「その小区域の西郷」ともいうべき「オセンシ」が,伝統として存在しており,このことは,薩摩藩,西南戦争,西郷を理解する上で,とても重要なことでした。

維新後の鹿児島県にあって,西郷さんは,多くのオセンシの頂点に立つオセンシだったということなのです。

西郷さんは,二才たちに担がれ,自刃に追い込まれる最後の時まで,鹿児島の郷中にいきる薩摩武士だったってことなんですかねぇ・・・

選ばれた西郷さんにもその苦悩があったんでしょうけど・・・


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南州墓地駐車場から鹿児島市内を見る



南州墓地の駐車場からは,桜島がよく見えます。

ここから見る桜島は,鹿児島の街をかかえるように座っているんですね。

長いこと鹿児島に住む我々でさえ,改めて「鹿児島らしい風景やね」と思うそんな絵ですよ。

皆さん鹿児島を訪れた際には,ぜひお墓詣りにお立ち寄りください。




引用,参考にしました
「翔ぶが如く」三 退去 司馬遼太郎 文春文庫
「街道をゆく」8 ―熊野・古座街道― 薩摩の話 朝日文庫
「司馬遼太郎が考えたこと」9 エッセイ1976.9〜1979.4 南方古俗と西郷の乱 司馬遼太郎著 新潮文庫


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西郷さんに関連する過去のページへのリンクを一挙掲載します
西郷さんの軌跡をおたのしみください

\抄仁汗港(鹿児島市城山町界隈)を散歩
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hiro_tomato/68478245.html

甲突川の桜と大久保利通のこと(大久保さんと西郷さん)
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hiro_tomato/68846135.html

7本県 肥後の国を散歩 その1(熊本城と薩摩と・・ちょとだけ馬刺し)
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hiro_tomato/68501190.html

し本県 肥後の国を散歩 その2(西南戦争と田原坂のこと)
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ゼ児島中央駅西口(武町の西郷屋敷跡)を散歩
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μ声F本の産業革命遺産 寺山炭窯跡界隈を歩く その1(吉野開墾社)
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Щ摩歴史散歩その1(薩摩からみた大河ドラマ「花燃ゆ」)
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薩摩歴史散歩その6 (「花燃ゆ」と薩摩藩 島津斉彬のアジア政策と西郷さん)
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山口県長州路を散歩(大河ドラマ花燃ゆ)長州人と薩摩人
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山口県萩を散歩(大河ドラマ花燃ゆ)桂小五郎と西郷隆盛
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hiro_tomato/67961401.html

鹿児島市城山を散歩・・・ (西郷洞窟と薩軍本営跡)
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hiro_tomato/66178630.html

鹿児島市加治屋町界隈と維新ふるさと館   (1)
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hiro_tomato/66076905.html

鹿児島市加治屋町界隈(西郷と大久保の旧宅) (2)
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臼眸大島的写真4(沖永良部島の西郷さんと牢)
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垣抄燭気鵑里い紳次ΑΡ眸大島龍郷町龍郷2
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汗抄燭気鵑生き返ったところです (西郷隆盛蘇生の地)
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○西郷さんのお墓なのです・・南州墓地
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hiro_tomato/29062978.html

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