風来坊の音楽の日々....

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誰が刑場に消えたのか

― 故・尾形英紀死刑囚の手記
 「俺の考えでは死刑執行しても遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりませんし、償いにもなりません。死を覚悟している人からすれば死刑は責任でも償いでも罰ですらなく、ツライ生活から逃してくれるだけです。
 だから俺は一審で弁護人が控訴したのを自分で取り下げたのです。死を受け入れる変わりに 反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族のことを考えるのをやめました。なんて奴だと思うでしょうが、死刑判決で死を持って償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。

 「はじめのうちは心から反省していました。裁判の中で自分の気持ちを言う機会があったので、申し訳ない気持ちと反省の気持ちを言い、傍聴席にいる遺族に頭を下げました。しかし、(検事らに)『死刑になりたくないためのパフォーマンス』と言われたので、何を言っても聞く耳はないなと感じました。遺族にしてみれば当然のことだと思いますし、何を言われても仕方のないことをしたのだとも思います。」

 「でも、俺は本当に申し訳ないことをしたと思ったから頭を下げたのであって、死刑になりたくないとか、刑を軽くしてもらおうなんて気持ちは全くありません。それをパフォーマンスと見られるなら、命乞いのようなみっともない事はやめようとおもったのです。反省の気持ちよりも反発のほうがだんだんと大きくなり、どうせ俺も殺されるのだから反省なんかする意味もないと思うようになりました。

― 憎悪を増幅するシステム
 警察や検察に至っては、自分たちに都合のいいストーリーに仕立て上げるため、調書を捏造までした、と尾形は私(記事の筆者:以下同じ)に訴えている。しかし、裁判はこれも一顧だにしなかった。結果、尾形は贖罪や反省など馬鹿馬鹿しいと思うようになり、死を受け入れるのだから反省など必要ないのだと考えるようになり、公然とそれを表明するように至った。
 それが強がりだったのか開き直りだったのかは、今となっては確認する術もない。極悪人の戯言に過ぎぬと罵声を浴びせるのは容易いし、ひょっとするとすべては尾形の虚言だった可能性も拭えない。しかし、尾形が法の許す抵抗の手段すらすべて放棄し、自ら死の刑罰を受け入れたのは疑いようのない事実だ。
   *   *   *
 七月二八日午前、尾形は東京拘置所内の刑場に消えた。
 私は思う。尾形の心には最後の瞬間まで、一片たりとも反省や贖罪の念は蘇らなかったのだろうか。だとすれば、そんな死刑囚を生み出してしまったものとはいったい何だったのか。警察・検察であり、裁判を頂点とする日本の刑事司法システムであり、そして犯罪や人間と向き合うメディアや私たち自身の、皮相で不実極まりない態度ではなかったか。
 尾形という死刑囚の存在は、死刑という刑罰が結局のところ、報復という薄暗い憎悪の感情と人間の不実を増幅するシステムに過ぎないことを示しているようにも思う。そんな死刑囚=尾形の処刑の瞬間に、千葉景子は法相として初めて立ち会った。「人権派」であり、「死刑廃止論者」だったはずの千葉は、「死を受け入れる代わりに反省の心など捨てた」と言い放つに至った死刑囚の最後を、絞首刑にされる瞬間を、どのような思いで見つめたのだろうか。

―岩波書店「世界・2010年11月号」より

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中途半端な時間に寝てしまい、眠れぬ夜に読んだ雑誌の
猛烈な虚しさを感じさせる記事でした....。

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読んでいて、そうなのかもしれないと思いました。刑をうける人間の心ってそういうのもあるのかもしれません・・・

2010/10/15(金) 午前 7:45 SGT

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話に非常に引き込まれました。
こういうことを考えている死刑囚がいるのだと知り、興味深かったです。

ちなみに僕は、死刑制度がなかったとしても尾形死刑囚の反省は無意味だと思います。
本人がどれだけ自分の悪さを考え認めてみても、被害者はどうにもならないからです。


平穏に生きていたくても突然殺されてしまう、という一方的な構図は非常に怖く、
被害者のことを考えれば加害者に反省をさせたり刑罰を与えたくなるのが人間ですが、
人は消えてしまえばそれまでなのでそのような行為には意味がありません。


この世界は『生きるか、死ぬか』、それだけだと僕は思っています。

2010/10/15(金) 午前 7:49 [ - ]

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SGTさん コメントありがとうございます
当事者ほかいろいろな立場の人の心情を察すると複雑ですけれども、「死刑判決で死を持って償えと言うのは、反省する必要ないから死ねということ」...という言葉に、あらためて「死刑」という制度の持つ意味を考えさせられました。

2010/10/15(金) 午前 7:50 [ 風来坊 ]

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かずとさんへ コメントありがとうございます
被害者はどうにもならない...という観点、「刑罰=復仇」という立場においては「反省」は無意味かもしれません。しかし「刑罰=悔悟・更正」という観点でとらえるならば、受刑者の「反省」こそ「刑罰」の本質であると思います。
「死刑廃止論」は、「刑罰=悔悟・更正」という立場であるという前提であると思うのですが、当の死刑囚本人から「死刑という刑罰においては反省は無意味」といういわば「正論」を突きつけられた格好になってしまいました。「刑罰」とはどういう意義があるのでしょうね...。

>この世界は『生きるか、死ぬか』、それだけだ
人生は、そんなに虚無的なものではないと思います。今はインターネット(このブログもそうだ!)などでインスタントな情報が錯綜していますが、じっくり本を読むなどの思索によって、自分自身が磨かれていくものだと思いますよ。

2010/10/15(金) 午前 8:13 [ 風来坊 ]

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風来坊さん、
風来坊さんの詳しい意見が聞けて良かったです。

僕は自分なりに自分の考え方を持ったり、それについて色々思考するのが好きなので、
こういう話題は面白いと思っています。(`O´)/

2010/10/15(金) 午後 0:54 [ - ]

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かずとさん コメントありがとうございます
またちょくちょく、つまらない記事ですけど覗きに来てください。

2010/10/15(金) 午後 4:11 [ 風来坊 ]

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前からコメントしようと思いながら、遅くなりました。
私は死刑に反対なんです。
特に冤罪の多い日本、検察や警察のメンツもあって、一度疑われると覆すのは至難のわざ、そんな国で死刑?などしてはダメです。
もう一つの理由はまさにこの死刑囚の言葉の中にあると思います。
反省しても無駄だと感じる、開き直った方が自分が楽だと考える、こういう追い詰め方されたら、たまらないでしょう。
私も、「刑罰=悔悟・更正」という観点でとらえるならば、受刑者の「反省」こそ「刑罰」の本質である…という考え方に共感します。
死には死をもって償えというなら、戦争も人殺し。殺意を持って殺しているのに大義名分があれば許されるというのもおかしいです。
また、死刑執行人の立場も憂えます。とてつもなく嫌な仕事だと思います。

2019/4/3(水) 午後 5:51 mimi

> mimiさん
大変遅くなりました。申し訳ございません。
コメントありがとうございます。

実はどんな返信をしようか考えておりました。
いろいろ理由があって、自分も死刑には反対です。

「死刑判決で死を持って償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。」
この発言は、死刑制度と刑事裁判の目的ということを考えさせられます。
しかしなんだかうまく書けないです。ご容赦ください。

2019/4/27(土) 午後 11:49 [ 風来坊 ]


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