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ウラディミール・ナボコフは、1899年帝政時代のロシアの名門貴族の家に長男として生まれた。
100年以上続く由緒ある家柄で、母の方針により
英国人の家庭教師がついて英語を習ったという。
これが実は後年の彼のたいへんな武器になったのである。
1917年ロシア革命が起こり、それとともにギリシア経由で家族ともどもいわゆる西側に亡命。彼はロンドンにわたり、ケンブリッジ大学に入ってここを卒業する。この間に、ドイツで父親が友人をかばう形で赤軍の手先によって暗殺されてしまう。
ベルリンに戻って、精力的に作品を発表し、「亡命ロシア人の間」ではよく知られた作家となっていった。だがなかなか小説は売れなかった。
1925年に同じ運命の女性と結婚。テニスや英語、母国語を教えて生計を支えたという。
1938年にはナチスから逃れてパリに住み、その頃の「前衛」の作家たちと交流。ジョイスやミショーなど。このときナボコフ40歳。母がプラハで亡くなり、その4年後には弟が強制収容所で亡くなってしまう。まことに暗澹たる環境だったといわねばならないが、この期間中の1941年には、アメリカに亡命する。
多少前後するが1939年には『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』を初めて―この点が重要である―英語で完成させるのである。いってみればほぼ亡命と同じくして母国語(ロシア語)を放棄したのである。大学での教鞭のかたわら『ベンド・シニスター』―これについては別項にて書くつもり―、そしてかの『ロリータ』がやってくる。
略歴をこうしてなぞっただけでも、月並みだが波乱にとんだ生き方だと言い切ることができるだろう。それにしてもナボコフの作品は様々な面をもっていて、なかなか一筋縄ではいかないのである。それ故にかどうか、ある種の知的な面をいたく刺激するところがあるらしい。その点でふるい落とされないようにしないと、魅力激減という。
それでもなお一面的に言ってみるとすると、「郷愁の作家」と言い得る。例えばロシアでの静かな湖畔でボートに乗る若い男女の場面(『セバスチャン・ナイト・・・』)や別荘の近くの田園を散策する親子(『ベンド・シニスター』)
などは、これ以上想像できないような絵画をみるようである。
家を焼失するとか土地を流失とかを超えて、歴史的に脈々と全身に流れていたところの全てを亡命によって(外圧によって)失うことがどういうことであるのか?回顧でなくあえて郷愁である。これは記憶という無限にちかい豊かさからつむぎだされるもの、とナボコフは言っているように思われる。
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作家論の試み
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