野路の道づれ

冬は暖冬だそうですが、こういう時の西からの雨が雪をもたらすことがよくあります。

短歌に近づいて

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初心者程度の

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 やめないことだけが取柄で、少しずつ歌い始めて2年目。後退はないものと思うが、そう進歩というものもなさそうに思える。ここ2か月ばかり、家人の入院にまつわる事柄の処理が暫時降りかかってきて、定期的な集まりを欠席することになった。ひとのことは決して言えた義理ではないが、耳の遠い方やカツラの方、花や植物の文字になると途端に一般にはほとんど使われないところの読みにくい漢字をお使いになる。当方も含むのであろうが、何処となく空気が澱んでいる気がして、気分が重くなっていたことも事実なのである。
 他方、わかりやすいこと、一読して明快であること、など当方のようにアマノジャクな者にも高評価になる為の方法として参考になることはある。
 以下は、欠席したときの歌。( )は、当方の作意を含め、評といえば評の内容。
 
 ようやくに「平均律の1番」を弾き始めている3年目の秋
 (「平均律」を技術習得曲と解釈されていて、そういう面も確かにあることを否定しないが、20世紀にそういう一面が大幅に見直され、名だたる多くのピアニストやチェンバリストが世に問うて、評価を定着させたといえるだろう。という知識の前提にもたっていて、「ようやく」なのだが、ただ時間がそうやって過ぎているだけのことだと解釈できるらしい。)
 
 飲む酒は労働後が美味しくて働かぬときは不味いと思う
 (「美味しい」の美味は当て字ではないかという指摘があったので、多少びっくりして、複数の辞書を調べた。すると
古い版ほど載せてなく、新しい版程載せている。但し、常用外となっているものが多い。従って当て字とは古い情報なのだということがわかった。一般的になっていると思うのは、「美味しんぼ」というように使われていることもある。どういうアルコールの飲み方が、働く者の場合美味しくなるのだろうかというのを考えたとき、想像よりも実感でいったものだが、まあ働くことの大切さやアルコールをたしなまないひとの評だろうか。)
 
リスクより成功率の高さを信じバイパス手術の情報開示を聴く
 (家人の手術の前に、事前説明が行われた。夜も遅くなっていた。)
 
他者(ひと)の為より自身の為と妻に言った胸部切開手術の朝(あした)
 (その日の午前9時が手術室の重い扉の向こうへいく時間であった。8時過ぎ、荷物を整理し終わって、それでも実感がわかぬという彼女に向かって言ったことである。)
 

なんとかんとか習作に

障害を 背負う他者がいる故に わが回り道 幾程のこともなし
 
微細なる 音の聞き分け出来得ても 背後のハイブリッド車を 振り返らぬことあり
 
 

表現に制限があるか

 正しくない言葉使いがあって、そう解答すると国語の試験とかでは罰点であろう。そういう基準をもっていないと、何もかもが乱れていくのだろうか。個人的見解では、変わっていくのは仕方がなく、許容せざるを得ないということである。たとえば、そうだからといって主語と動詞がひっくり返る使い方が多くなってしまうとは思えない。
 「おれ、勉強するよ」と言い、「勉強するよ、おれ」とも言う。両方とも口語で使う場合があるが、後者を文章語であらたまって書いたとしても、また口語でも大勢ではないだろう。
 時の流れとともに言葉は変化してゆく。そのことに非寛容でないと、短歌を詠えないのだろうか。そうではあるまい。受け入れても、なお残りうる、あるいは耐えうる言葉を用いよということではないだろうか。
 更に題材。公序良俗に反する事どもは当然に排除されるとして、あるいは特定の中傷とかも論外としても。
 写生、すなわち生あるいは生活を写す(または写し取る)。ということは生の総体が可能なのであって、どこか写生主義というものは狭量な気がする。
 
 唐突だが古色蒼然、セクショナリズムに陥ることなく、自分の歌を詠いたいと願っている。今は「私小説」ならぬ「私短歌」をつくっていて、それも当然にしてレベルが低いのだ。
 姜尚中の『オモニ』程ではないが―全く足もとにも及ばないのだが―、「母親をダシにして本を書いている」という意地悪い評を、自分に置き換えて「母親をダシにして短歌をつくっている」といえばいえそうである。
 いや、開きなおって私は母を詠うことで、いつか死ぬであろう彼女への挽歌にしたいという思いがある、と言うと、かなりカッコつけ過ぎですかねえ。

体験をつづる

 これという題材は、気をつければ見つけることができるのだが、表現のための技量が、いくら時間をかけても(今後の長い年月という意味も含む)伴い得ないと考えている。従って某氏のように某有名新聞に選ばれて載るなどということはまずあり得ない。ローカルのそのまたローカルなら大いにあり得るだろう。と、2首くらい入選したものを、中央紙、地方紙のまた地方紙上で読み比べて思うのである。
 面白くなけりゃあ止めればいいのに、それでも社会的なり得ると思っていて、拙い表現であるだろうが体験と視点には、自分で言うのも何だがいくらかの自信がある。というのを根拠にして、失礼ながら自身も含めていささか塔の立った御年配方のなかに入っている。そうやって、月に一度出かけていくのである。
 
 今日の2首。
 
 静謐を「岩窟の聖母」に見出してダ・ヴィンチに浸る陶板画の前
 
 このようにと浮腫んだ脚を見せられてもよく眠れとしか母には言えず
 
 
 

12月には

 あえて母のことは詠うことをしなかった。何か私小説的だと考えていたからである。それでも、そんなに無理をしなくてもいいかな、と思うようになった。
 
 いくつになったかなと問う母に十数回目の返答をしてハンドル握っている
 
 有吉は恍惚の人と言うけれど母故に人生の黄昏と言おう

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