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「バッハへの旅」加藤浩子著、若月伸一写真。東京書籍。絶版。
これは、よく画集にある上質の紙を用いて、写真をふんだんに盛り込んだ、少々贅沢な定価で3,000円(ただし
絶版なので古書で購入)の、製本が変に上等過ぎて、途中を広げておくのに一苦労する本でありますが、もしかしたらバッハの入門者にも心酔者でも、写真を中心にして読み進むことができるかもしれませんね。
けれども、やっぱり大バッハの音楽を複数知っている―聞いているーひとで、もしかしたら教会の内部に興味のあるひとでないと面白くなく、食傷気味になるかも。
彼の生地から永眠場所までの足跡を丹念にたどりながら、そのたびに作曲された作品を紹介しつつ、主として旧東ドイツの各都市を旅した、かつて放送していた番組のタイトルを借りれば「わがこころの旅」といったところでしょうか。
いくつか知ったことを紹介します。彼は確かに家庭的な家長でありましたが、それ故にというべきでしょうか、名誉というよりかは正当なる報酬、といことは地位、を常に音楽という世界に身を置いて、真っ向勝負をして人生を歩んだ芸術家といえるでしょう。現在の尺度では推し量れない低い演奏報酬、十分でない演奏集団、音楽家としての地位の低さがありましたが。
晩年の内省的なのを除いても、おしなべて彼の曲は、自在にはばたいているとはいっても、鋳型のなかにきちんと収まっていて、そのぶんいささか息苦しさが感じられなくもないのは、時代や宗教のせいばかりでなく、環境や自然、気質によるのでしょうか。
享年65歳。1750年に永眠しましたが、一般的に忘れ去られていきました。時代はすでに彼を過去形に扱っていったからですね。復活はメンデルスゾーンの尽力でしたが、今はそれを語るときではありません。
彼の墓は、音楽監督兼指揮者と作曲者をしていたライプティッヒの聖トーマス教会にあるのですが、ずっと別の教会に葬られていて、19世紀にそこが取り壊されるときに、なんと掘りおこされて移されたのだそうです。そのときの頭蓋からとったデスマスクからの類推して、現在流布している晩年の肖像画に近いということでした。
著者の後書きの一部を紹介しておきます。素直な、ある意味で女性ならではの印象を受けます。著者をよく知りませんが、音楽を愛する女性はこうあるべき・・・・・・、というと男性本位かなあ。というよりも、バッハを愛する人はこうあるべきなんですね。
―いったいどれほどの人たちが、あなたの音楽に励まされ、慰められ、癒され、勇気づけられたきたことでしょう。
はるかな時空の彼方から、私たちに寄り添いつづけてくれているあなたの音楽に出会えた幸せを、私たちは改めて噛み締めています。
読み終えたときは快晴の夕方。東にそびえる高山が夕日をうけていて、イヤな気分だったこともあった日が終わっていくと思いましたな。
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読んだ本
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悪名高きアウシュビッツ収容所から奇跡的に生還できた、ユダヤ人精神分析学者フランクルの体験記であると同時に、あまりにあまりにも苛烈で残酷な体験を経て得た人生哲学の書とも呼ぶことのできる本です。
私たちは、内村剛介著『スターリン獄の日本人』、会田雄次著『アーロン収容所』、大岡昇平著『俘虜記』を日本人として読むことが出来ます。一世代か二世代前の体験を経たのを読むことは、現実の南京事件の死者の規模、慰安婦の補償を論ずる前に、まず必要と思っています。
更に人種は違っていても、この本―アラン・レネの静的なトーンのドキュメンタリー映画『夜と霧』と同名のタイトルでいいのかと思う点を別にすれば―も当然加えられていいでしょう。
フランクルは言います。ひとは、いかなる時であれ決断する存在だと。私のようにぬるま湯につかっている身で、シェスタをする、食事をとる、眠る場合でさえも、これを応用することができると考えられます。そうだとすれば、怠惰であれ勤勉であれ、過酷な戦時であれ、また平和な時であっても、生きていくための指針ととることもでき、意味があるともいえます。
大きく生死を分けたところとは何だったのでしょうか?とにもかくにも何らかの希望をもつこと―親、伴侶、子供、孫、故郷、仕事、学業、そして神―何でもいいから、生き残ったときに得たいもの、ことを思い描き、また待っているに違いない何ものかに希望を託し、決して自暴自棄にならぬことだったと言っています。
名にたがわぬ名著であるのは間違いありません、よくわかりました。
けれども、旧訳新訳のそれぞれの翻訳者が、太平洋戦争における日本の特攻作戦を中止できなかった総責任や、アメリカのイラク戦争に突入する為の根拠なき大義名分である宣伝戦への多大な責任といったところに言及しているのは、意見自体に反対しないけれども、いささかお門違いじゃないでしょうか。そんな責任論をフランクルが言ってないのは、賢明な翻訳者たちに分からなかったのでしょうかねえ。
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上は見慣れているかもしれないJ・S・バッハの肖像画です。上段は壮年の頃のー真偽がはっきりしないそうですがー下段は生前ので、音楽をこよなく愛し、ポリフォニックな音楽の集大成と新しい音楽スタイルの幕開けを知りつつ、65歳の生涯を全うした雰囲気がよくでています。もっともかなり頑固一徹な感じがしますね。なお頭髪は17世紀風アデランスというのか、ファッションとしてのかつらだそうです。
「バッハ」角倉一郎著。音楽之友社。初版は1968年で今は絶版。
今まで部分読みしかしてなかったのですが、今回しっかりと読み通しました。音楽史家が、その頃の最新の研究のもとできちんと書いた立派な研究書のひとつという実感がありました。私のように主観的での思い入れのない、客観的な記述です。
なにしろバッハの生きた時代は、日本では江戸時代にあたり、近松門左衛門や与謝蕪村がいたときですから、東西の違いがあるとはいえ、おおよそ3百年前を想像してみないといけません。
生まれたのは中部ドイツで1685年。ルターの宗教改革が不統一であったドイツにしっかりと根付いていた時期でした。家系は大音楽家家系。主として協会のオルガにストや演奏家を代々にわたり出してきている音楽一族であります。少年時に父母を失い、叔父に預けられますが、このひともオルガにストであって音楽の雰囲気にはこと欠かず、加えてそう豊かな家計でなかったにもかかわらず養育したのは一族に互助精神の伝統があったということでした。なかなかできないことです。
教会の合唱隊の一員から合奏団のヴァイオリニスト、傍らにというか本意だったというのかオルガン曲の筆写ばかりでなく、演奏もしてきていて、両親もいず、そうはいっても居候であることには変わりなく、自活を常々考えていたのでしょう、オルガニストとしての職を得ていきます。
当時のドイツの先輩たちの曲をしっかりと学んだのはもちろんのこと、南はイタリアの、西はフランスのを、協奏曲、舞曲、宗教曲等々と次々に吸収し学んでいきました。その後の1,000曲以上に及ぶ(失われたのは別で)作曲活動の結果は瞠目に値し、巨魁を仰ぎ見る他ないという気がします。
この本であらためて学んだことがいくつかあります。以下のように。
①二人の夫人(先妻は病死)との間に20人の子をもうけたが、半数は亡くなってしまっています。とても家庭を大切にし、なかでも音楽に満ちた家庭であったことで、そこに音楽の泉、ミューズの神が宿る場所であったということです。更にこんにち重要なことに、現在練習曲と称される曲集は技術の習得=芸術的作品であって、やらされてかなわぬ技量習得のための楽集ではなかったということ。現代が不幸な時代なのでしょう。
②ゆりぎないルター派のキリスト者が中心にあって、作品がそれに関わる宗教音楽であるのは事実だが、熱心でゴリゴリの宗教音楽家というシュバイツァーなどの言ったのは間違い。宗派でくくりきれない、あるいはそこから離れた音楽作品も多いということです。
③常に仕事―オルガにスト、合唱団と合奏団指揮、作品献呈―は家計を十分に維持することのできる俸給でなければならず、それを属する教会や学校、市議会や
領主に正当に要求し、一歩も引くことはありませんでした。中年の頃には辞職へのペナルティーで判事宅に2ヵ月の謹慎処分を受けたこともあった記録があるようです。
こういう言い方はあまり適当ではないかもしれませんが、カンタータには教会の祈祷や記念日の為に作曲していったので、どんどんと映画音楽をつけたり、流行作家並に原稿や漫画を書きとばすのに、いささか似てなくもありませんが、案外に宗教心の他に給料の為というてんも多くを占めていたに違いありません。にもかかわらず、素晴らしいのがたくさんあり、そこが大バッハと言われるゆえんでしょう。
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84歳の著者はまだまだ健在で、30篇を越える長編スパイ小説を書いてきている。
「パナマの仕立屋」があまり面白くなくて、久しく追いかけずにいたが、手にとってみる。
理不尽にして過酷である劇的な現実世界に、地に足をつけて堂々と渡っていくヒーロー、といっても大概は世知にたけているが家庭的には不幸で、やもめ暮らしのグスタフ・マーラー好きというような老境に入り始めつつある一見冴えなくみえる男という登場人物を中心においている。
この本では、正義感の強い若く有能な弁護士、亡父の財産=過去の影を引きずった銀行経営者、組織を向こうにまわす―それはその組織こそが利用している―破天荒なリーダー、チェチェン人の若きテロリストといった人々が登場する。
私の行ったことも行くこともないドイツのハンブルグの街が、息をするように描かれるのは、著者自身が現在の姿も過去の様子もよく知っているためだろう。
旧ソ連赤軍、つまりボルシェビキ革命軍の大佐が、この不思議な存在であるテロリストの父であるけれど、私利私欲と強欲によって得た膨大な資金を銀行に預けてあり、それを当然の遺産相続ぶんとして引き出そうとすることを中心にすえて、MI6やCIA、ドイツ当局の水面下の暗闘があるようにみえるが、そう活劇が始まる訳でもなく、案外流れは一見静的である。著者が丁寧に描く群像の一人一人に、じっくり目をやりながら読み進めた方がいっそう面白さを増すという気はする。
この種のエスピオナージを読んでいた方が、今の私には合っている気がする。
読み終えたころ、パリの乱射事件があった。
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以前に文藝春秋社から出ていて絶版になっていたのですが、岩波版で出ていたので、買いなおして―どうしてなくなってしまったのかー読みました。ちょうど読み終わったしばらく後の2日前に、女優原節子の死が大きく報じられて、偶然ながら小さな因果を思ったものでした。
これは、その頃松竹大船撮影所に助監督として入社した著者が、身近にいた巨匠小津安二郎監督を描きかつ作品を論じた、こういう使い方をしなくなったが‘実名小説’でありますーカポーティの作品の頃からノンフィクション・ノヴェルというらしい。きちんとした観察と温かい寄りそい、正当な評価と批評、同世代映画人ー大島、篠田、吉田(すごい面々)−の発言や感想、杉村春子、原節子、岸恵子といった時を代表した女優の姿などを、あくまでもこのローポジ(カメラ位置が低く一定だったということでしょうか)の大家を中心にして描かれるのですが、淡々としたなかにそれこそ劇的なるものを秘めて静的に語られていきます。こういう語り口、文体はとても好きで、読み続けることができました。なるほど「風の盆恋唄」の著者ではあります。
隠すほどのことでもありませんが、隠退した後を知りたいのは私も同じ。そういう興味からすると、1ページのなかに、それこそさりげなく書かれています。
ー某女がいた。こういう書き出しで、どうも著者は後年この女優に会ったらしい。
話のなかで書き留められている会話とは
「私って結局都合のいい女だったんですね」
であり、去っていく後姿の印象とは
―歩き去っていく足首のあたりに年齢を感じた。となっています。
おおよそ理解できるかもしれませんが、いくらか補足しますと―この本から知ったことですが―小津安二郎というひとは生涯独身でした。別の伝記によれば母と実兄のお嫁さんとの激しい確執を見続けてきたせいだと言われています。いわゆる身近な女性で確かなひとは一人いた後、この女優ということになり得ますが、二人目となるにはこの監督の独特な人生観や女性観が邪魔をしたように思われます。それ故、上記の発言になったのでしょう。それですから、この女優の隠退の大きな原因のひとつは、小津安二郎の死ではなかったかと信じて、9月に亡くなったことに冥福を祈ろうと思います。
註;けんらんたるであり、じゅんらんと読みませんように。
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