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1953年公開のモノクロです。ナボコフ御大は「芸術作品に自己を重ねるなどもってのほか」と言ったのですが、今回もまた同調することができないでいます。
というのも、この映画は、おおきくは育っていくこと、自立してゆくことによって―とても重要なことで、そうでなくては困りますね―古い日本の、いやもしかしたらこの国以外にもとうに当たり前になっている国もありますが、家族の形が大きく変っていくどころか崩壊していく姿を、いかにも自然に、しかし残酷に温かい目線で描いたものです。
笠智衆(りゅうちしゅう)と東山千栄子の老夫婦が実にいいですねえ。何人もの子供たちを育て上げ―兄弟姉妹はそれぞれにあるいは家庭を、職業をもっていますー悠悠自適で、子供たちに会いに尾道から上京してくるのですが、意外にも子供たちは温かいようで冷たい。これこそ現実ですね、
世の中そんなもんですよ。私もかつて老母にはそうだったし、親の因果が子に報いで、高齢の仲間入りを始めたらしい私たち夫婦にも似たようなことが時として起こっています。そういうところが、様々目もくらむような名優が演じていて見事というほかないのですが、山村聰の事実上長男の鷹揚、長女の杉村春子の当意即妙、軽快な意地悪さと悲しみのうまさなどがあげられますが、なんといっても、11月に他界した原節子演ずるところの夫の戦死で寡婦となった30代前半の会社員の姿
であり、演技でありましょう。
もっともこの女優が、日本的というのはよくわかりません。独身を通していくことへの不安と寂寥を、明朗で親切、家族のなかでも血族外でありながら最も気が利き、はっきりとわずかの時間で見せる表情と姿というものは、ひとの孤独感というよりこういう境遇の女性が本質的にもっているエロスを思ってしまいます。私が男性で低俗かもしれませんが。もっとも高橋治著の「絢爛たる影絵」を読んだところによれば、脚本を書いているこの場面では、脚本家同士でそうとうに性に踏み込んでの直截な物言いをし合ったようですね。
それにしても、老妻を亡くし多くの家族が去った後の笠智衆の寂寥感というものは、身につまされました。そう、40年も前の亡父の葬式の後のように。
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