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ナポレオンの皇帝時代における栄華の極めを描いたダヴィッドの「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠式」という長いタイトルの大作。約6メートル×20メートル弱。絵としての広大さに圧倒される。待て、大きければいいってもんじゃない!って。いやァ、そのとおりなんだけれど、税金だか占領地の貢ぎだか、搾取に搾取を重ねて人民から搾り取った富を、言ってみれば湯水の如く使って、見よ、絹、刺繍、豪奢な衣装、黄金と宝石と・・・・それらの豪華さ絢爛さに目を奪われてしまう、この美術館の入場料3,500円を高いと思っている自称市井のにわか仕込み知識びとは、「これに比べりゃあ、安いもんだわね」と思うが、さてどうだろうか。
ダヴィッドは、18世紀後半に活躍したナポレオンおかかえの画家である。新古典主義の代表格のひとりで、その作風を私流にいえば「冷徹では虫類的」。は虫類にも悪いくらいに冷ややかな肌ざわりを感じてしまう。そうでもないのは、ちょっと戸惑い気味の自画像と、彼の(彼らの)頭領ナポレオン・ポナパルトを描くときである。
それにしても皇帝夫妻は美男美女ですな。そりゃあ、ぶさいくには描けませんでしたでしょう。こんなのが、何のリアリズムであるはずがなく、所詮ご機嫌取りの大ゴマすりよ、ヴェラスケスを見習え!と言いたくなるけれども、昨今、天が二物を与えたと思ってファンの見るらしい視線をもって、夫妻を撮ったのが以下。
ないものねだりで羨望視線の持主であるこの鑑賞者は、イングランドの結婚式とかの中継を好んで見たりすると、ヨオロッパで長く歴史をもつ王家の儀式とはかくなるものか、と思って感心する。そういう目線で、確かに豪華さというものに驚きはしたが、列席している年増のおばちゃん貴族?(画面左前)の立ち姿や顔つきからは何も見てとることができなかった。
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絵画、写真
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ヴェラスケスの「セビリアの水売り」。満々たる野心家のこの画家は、スペインの宮廷画家となり、騎士の称号を得て貴族の一員となった。王家の家族を描いた傑作群と、城の中の一室(事実上のアトリエ?)で王夫妻をモデルに何人かのいるのを描いている様子を描いた不思議な「ラスメニーナス」の画家の初期の作品という。
3人の人物の光の当たり方と前・中・後にいる立ち位置の陰影がいい。今回は、しかし水に注目。すると、
尊いに違いない亀に入った満々とした水と溢れ出たそのしずく。そして少年の買ったコップ一杯の何たる透明感か。
以降のヴェラスケスの描いた作品のなかには、市井の人物に目を向けていかんなく天才を発揮した画があることを忘れてはならないと思う。そういう視座を決して失わない、人生の成功者ではあったろう。
ダリ曰く。「私の尊敬する画家は3人だけ。ダ・ヴィンチ、ヴェラスケス、そしてフェルメールだ」
ちろん鑑賞者諸氏の好みは、ダリも含めて自由なのであるが。 |
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16世紀ネーデルランドの生んだ大画家―農民画家の異名をとる―ピーテル・ブリューゲルの傑作と言われる「雪中の狩人」。(写真がピンボケしてしまいました。)
前景と遠景。それらを暗に結びつけるように4本の立木が、行進する(帰っていく)犬たちと狩人たちの進む方向に向かって遠近法を見事に示しているのを知るのは重要なことだ。
狩りからの帰途で、犬たちはバテテしまっている。尾や耳はさがり、顔も下を向いたままだ。今回そのうちの一頭、正面を向いている写真中央下の犬に注目した。目がしょぼついて、ゲンナリの顔を今回発見!今まで何を見ていたのか?
獲物は、かつがれたこの狩人の槍にはかかっておらず、罠のような袋のようなものが虚しく下がっているだけである。男の背中や横顔にも疲労感がただよっている。
それらを見て後あらためて全体を眺めてみる。火をたいている。川や池は凍りつき、スケートをしている人々がいる。空をかささぎ(だろう)が飛び交い、冬景色のモノクロの寂寥感が漂うのを、この狩人と犬の敗走の帰還がいっそう引き立てていると思える。
実に様々な寓意による大作を描いた巨匠ブリューゲルだが、人物を必ずしも上手に描けなかった画家かもしれないけれども、この写実は強く訴えてくるものがあって、好きな作品のひとつである。この絵に描かれている冬は生まれ育った私の地方の、狩りは亡父の猟銃による狩猟を想い出すからだろうか。 |
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陶板画による名画美術館である大塚国際美術館へ行ったときの印象の続き。
「群像を描く」ことは画家たちにとって、才能を示すことのできる重要なバロメーターのひとつと考えられる。レオナルドを師と仰いだラファエロは夭折してしまったが、誰もが母なるものの真の姿と認める「聖母子」の画ばかりでなく、このような人物群の大作を描いた。「アテネの学堂」である。ここに古代ギリシャの哲人や科学者の多くを描いたという。
壁一面に絵があるというのが、まず驚く。「最後の晩餐」は確かに大きいが、見た限りかなり静謐であって、修道院の食堂の壁画であると納得させられるのに、である。一般に壁に絵がかかっているというのが固定観念になっているからだろうか。絵の中央にはプラトンとアリストテレスがいる。左のこの人物のモデルは、レオナルドである。上の写真の右下が、残念ながら暗くなってしまったが、女性的な顔の画家自身が描かれている。
ルネサンスの巨人たちが亡くなった後、以降主流となったのは、このラファエロの派という。
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徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に行ってきました。地下4階から地上2階まである広大な建物です。
写真は、丘陵をくり抜いてでしょうか、その中に造った美術館の建物の地上部分。
目玉はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画でしょうが、これを見た当時のライバルのレオナルドが(おそらく無念さを込めて)「どうしてこれら人物たちは、全て筋肉質であるのだろうか」と言ったと伝えられているのに組する私ですから、ただただエネルギーに圧倒されるだけ。
(線がところどころに見えるのは、一定の大きさの陶板を使っているからでしょう。)
所詮はレプリカと言い切ってしまうには、否定的にならざるを得ない点があると、まず思ってみます。まず上質の画集で見ても、この規模と原寸大には及びません。また約3,000年に渡るヨーロッパの絵画史に登場する名画をそれぞれ現地の美術館で見ることなど不可能であるからです。
そういう点を考慮してみて、私はやっぱりレオナルドの作品に逢うことができました。この巨匠の最もよく知られた数点を外して、たいそう驚いた細部を紹介してみましょう。「岩窟の聖母」の天使の部分です。
それにしても、この顔つき、表情は何を物語るのでしょうか。魅入られますか、それとも拒否しますか?
(なおこの美術館を知ったのは、美術通の太田治子氏のラジオ番組による紹介を記憶していたことによります。)
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