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柏崎市の游文舎で「木下晋展」が開かれている(25日まで)。 昨年7月、同市を襲った新潟県中越沖地震の爪痕はまだ残っている。 長引く不況で地方は疲弊している。柏崎も例外でなく、地震が追い打ちをかけた。 こうした中で、市民の手弁当文化運動、游文舎の活動には敬意を表したい。 今展は游文舎のオープンを記念した第1回企画展である。游文舎については末尾を参照されたい。 17日、出かけた。 会場に「心の時代」という小冊子があった。 木下が北陸中日新聞に週1回、1年間(52回)に渡って連載した回顧録である。 1回600字の短い読み物ながら、なかなかの力作である。 30年以上、おつきあいをいただいているが、初めて知る話も多く興味深かった。 その中で、木下を見出した現代画廊主にして私小説的美術エッセイストの洲之内徹に触れている項目がある。 ただし、1回限り。 洲之内が木下に与えた影響力の大きさに比べ、1回は少ない。この扱いは不当である。 ここに木下の洲之内に対する屈折した「思い」をみる。 木下は2007年2月11日付で次のように書く。 「(洲之内の)臨終の瞬間に立ち会った。正直言ってホッとする気持ちがあったことが記憶に蘇る。 が同時に、もう絵を見てもらえる人物がいないという寂寥感は現在も埋めようがないのである」 木下 晋 「洲之内徹氏の肖像」(紙に鉛筆) この話は木下からも直接聞いている。 「そりゃ怖かったさ」―木下は何度も言っている。 洲之内の死は木下に「自由」をもたらした。 池田二十世紀美術館の「木下晋展」は木下芸術に対する世間の評価を飛躍させた。 洲之内が生きていたら、「決して許さなかっただろう」 木下はしみじみ述懐した。それくらい、木下は洲之内を恐れていた。 「心の時代」の記述は、以前からもやもやとしていた「あることに」明解な答えを導いてくれた。 そうか、あれは洲之内の嫉妬だった。木下に対する恫喝だったのだ! 「あること」とは何か? 1冊の本がある。 「洲之内徹の風景」(春秋社)である。 1987年、洲之内は74歳で死んだ。 死後9年、1996年に追悼文集が刊行された。 92人が書いている。 白洲正子、米倉守、瀬木慎一、窪島誠一郎、野見山暁治、難波田龍起、大原富江…ら。 木下も書いた。 「洲之内徹の視点」である。 新潟日報の書評。 「一読して驚くのは、物書きのプロではない画家たちの文章の新鮮さである。 絵には『省略と誇張』が必要だが、画家たちの何人かは、 文章作法でもこの秘密を会得しているように思われる。 一時、新潟に住んだこともある木下晋は、洲之内との二十年近いつきあいを、わずか一日の描写で、 みごとなまでに洲之内の本質に迫った」(1996年2月5日付、文化欄) 「わずか一日」とは1980年のある日である。 木下はニューヨーク在住30年の彫刻家S氏を洲之内に紹介するべく現代画廊に同行した。 もちろん、事前のアポはとってある。 しかし、画廊には「飛び入り」の先客がいた。 「私達は待機する羽目になってしまう。しかし、日本の滞在日程が短期間であるため多忙を極めるS氏は 先客の用件が長くなる様子にシビレを切らし(中略)私を残し帰っていった」 先客とは、「人柄の良さを感じさせる」風貌の画家とその細君であった。 「洲之内氏は私に気遣いながらも千枚はあろうかと思われる作品群の一枚一枚を手に取り、時間をかけて 丹念に見ていった」 「二人は固唾を飲み洲之内氏の発する言葉を待っていた。 そうした緊迫感に押し潰されそうになりながら、絵を見てもらっている至福の喜びを彼らは全身に漲らせている」 木下は居心地の悪さに耐えきれず「席を立った」が洲之内は一言「君も!」 この言葉に木下は金縛りになった。 「結局その場から逃れることが出来なくなった」 続けて木下は書く。 「それにしても、自分の原稿締め切りやニューヨークから訪ねて来た客の約束を放り出して、まで見なければならない作品の正体とは何か」 木下は画家の絵を洲之内の背中越しにのぞき込む。 「作品の質は箸にも棒にもかからない。それでもなお、洲之内氏の視線は絵から離れようとしないのだ」 半ばあきれながら結局木下は「朝まで付き合わされて」しまう。 喜んで帰る画家夫妻を見送った。 その後の洲之内との会話がすごい。 「君はどう思う…」と洲之内は問う。 木下は答える。「…ハッキリ言ってダメですね」 「そうか、…私もそう思う」 木下はこのエピソードを紹介し「執拗なまでの視線を行使する男、これが洲之内徹なのだ」と結んだ。 この一文はまさに晩年の洲之内像を語って見事である。 あれから、さらに10年余が過ぎた。 木下の「心の時代」を読んで、あるものが見えてきた。 それは、何か。 それは洲之内の木下に対する「嫉妬」なのだ。 今、私は当時の洲之内とほぼ同年齢になった。 それだから、「見え」てくるものがある。 帰ることを許さなかった洲之内の短い言葉「君も!」にすべてが集約されている。 木下に対する「嫉妬」と同時に、激しい「恫喝」が含まれていた。 だから木下は、その場を離れることができなかった。 その「怖さ」が、どこから来ていたのか。木下は気付いていない。 しかし、今の私には洲之内の気持ちが痛いほどよく分かる。 洲之内は、木下に対し、言いたいことがいっぱいあったに違いない。 しかし口に出すほど洲之内はお人好しではない。 「言外の言」こそ、木下を恐れさせたものの正体である。 衰える肉体が若さに対し、激しい嫉妬を燃やした。 だが、ストレートにそれを表現するほど洲之内はばかではない。 たまたま訪れた地方の画家夫妻は、洲之内にとって格好な“武器”になった。 木下に限りない痛罵を浴びせ、鉄槌を下せる千載一遇の好機―。 「洲之内さんが死んでホッとした」 木下の言葉の重さが、よく分かる。 今回の柏崎行きの収穫であった。 ※ 木下展の詳細は以下をご覧ください。 「游文舎」と「長兵衛」で 柏崎タイムス主催 木下晋展、5月10日〜25日 9Hから9Bまでの20種類の鉛筆を使い分け、驚異的な細密描写を行うことで知られる鉛筆画の第一人者・木下晋氏の個展が、中越地区では初めて越後タイムス社主催で開催される。題して「木下晋のペンシルワーク」。5月10日から25日まで(月曜休館)。
会場は二会場。市内新橋の文学と美術のライブラリー「游文舎」(公仁会中央ライフセンター内)では、「生の深い淵から」と題して、越後瞽女・故小林ハルさんや、ハンセン氏病の桜井哲夫さんをモデルにした大作を中心に展示する。木下氏はモデルと徹底的に対峙し、“存在”そのものを凝視するかのような作品世界を展開している。 「游文舎」での展示は、10日から18日までの前期と、20日から25日までの後期で作品を入れ替える。合わせて29点を展示予定。17日午後2時から木下氏によるギャラリートーク「モデルと対峙する時間」を開催。参加費は資料代1000円。申し込みは越後タイムス社(電話23−6396)へ。 市内学校町のギャラリー「13代目長兵衛」(曽田文子代表)では、「トラ吉百態」と題して、木下氏が愛猫“トラ吉”を描いた小品を中心に、25点を展示する。小品とはいえ、毛の1本1本まで描き切る、驚くべき技量を鑑賞できる。また、小林ハルさんを描いたデッサンや、木下氏の自画像なども展示される。 「游文舎」の開館は午前10時から午後6時まで。「13代目長兵衛」の開廊は午前10時から午後5時まで。 今回の木下展は「游文舎」の正式オープンを記念する企画展だ。「游文舎」2階には、文学や芸術にかかわる膨大な量の書籍を納めた図書室も整備された。年会費5000円で「舎友」になれば本の貸し出しを受けることもできる。問い合わせは「游文舎」(電話35−6881)まで。 |
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猛暑に負けずファイトです〜。







今回のお話は大変、興味深いです。おもしろい!
珍しいことですが・・・
州之内さん、お会いしたかったですね。
本を読む限り、そのような厳しい人だとは思ってなかったから・・・
2008/5/21(水) 午前 8:49 [ ao_**18 ]
aoさん、「珍しいこと」とは皮肉がキツい。ま、頑張ります。
2008/5/22(木) 午後 8:14
面白い記事でしたので、引用させていただきました。
2010/12/13(月) 午後 8:57 [ tabrau ]
タブロウさん、初めまして。あなたの記事でしょうか、読みました。力作ですね。
2010/12/13(月) 午後 9:28
ご挨拶失礼しました。読んでいただけたとは恐縮です。偶然おじゃましましたが、コラムの緊張感がすごくて10回くらい読み直しました!心からお礼を言いたい気持ちです。ありがとうございました。(木下展も行きたかったです)
2010/12/14(火) 午前 0:08 [ tabrau ]