50年前に出会った「絵」と再会した話の続き。
絵は藤田嗣治の油彩画「私の夢」
新潟県立美術館が所蔵している「旧大光コレクション」の1点である。
元は長岡現代美術館にあった。
館長は駒形十吉。母体の大光相互銀行の頭取。
駒形氏は銀行オーナーであり、ワンマンであったから、美術品購入が可能だった。
銀行が美術品を購入することに、大蔵省はいい顔をしなかった。
利益は税金として国庫に納めるべき、との論法である。
しかし、駒形ブレインの巧妙な「法の隙間」は、国の介入を許さない。
稀有で斬新なコレクションは、こうして形成された。
同じ長岡の北越銀行は利益を税金として実直に国に納めた。
地味で堅実、歴代のサラリーマン頭取に引き継がれて生まれた行風でもある。
しかし、派手な旋風を巻き起こした長岡現代美術館は短命に終わった。
大光相互銀行の内紛である。駒形氏は銀行を追われた。
銀行母体の存続も危うくなった。
訪れた大蔵省の役人は、銀行のロビーなど至るところにある美術品に驚いた。
「冗談じゃない」と吐き捨てた怒声を行員は聞いた。
600点以上のコレクションは銀行再建のため売却されることになった。
新潟県が10億円で購入した。しかし国内作家のみの作品群である。
大戦後、アメリカで花開いたポップアートなどの現代作品は「問題外の外」であった。
それが今、驚くほど軒並み高騰している。
例えば数年前、ウォーホル「16のジャッキーの肖像」は16億円で落札された。
ポロック、ローゼンクイストの大作も、似たような高額で取引されている。
その他、1億円級の版画はごろごろだ。全部合わせれば100億は下らない。
当時、これらの作品群は「一括5億円」で「提案」されたが…。
作品群は数点ずつ国内の美術館に買われた。
個人が所蔵したケースもあるが、これは明らかにされていない。
「とんでもない!」「ガラクタになるかも知れない絵に、そんな大金を出せるか」
当時の大方の空気だ。
県知事、県の役人、誰ひとり「現代美術品群」を理解する者はいなかった。
地元の長岡市でも一部に「つぶやき」があった程度だ。
早すぎたのだ。
ともあれ、コレクションの一部が県所蔵品となった。
その1点がレオナルド・フジタの「私の夢」である。
この絵を購入する際、駒形氏は収集品の何点かを売却し資金に充てた。
ずいぶん前置きが長くなった。
話は絶頂期の駒形氏に戻る。
ある年、「私の夢」を氏が経営する銀行のカレンダーにしたことがある。
絵を大きく扱い、絵の下に1月から12月までの暦を配置した。
当時、見た記憶がある。ユニークで珍しいカレンダーだと思った。
ところが、フジタの未亡人・君代さんからクレームがついた。
正確な年度は不明だが、1960年代の後半である。
「自分が買ったものを、どうしようと自由だろう」と駒形氏は怒った。
当時の実務担当者は伝える。
今では著作権の理解も進んできつつあるが、駒形氏の当惑は当然だったろう。
しかし、君代夫人は強硬だ。
開催中の「レオナール・フジタとモデルたち」展にも紹介されている。
君代夫人は「藤田の作品と名誉を守った」という意味の解説がある。
交渉の末、銀行は「50万円」を支払うことで決着した。
当時の大学出の初任給が約3万円だから、「相当な額」ではあった。
この事件、公にされることはなかった。
私がこの話を関係者から聞いたのは、70年代半ばを過ぎてからである。
「著作権」を意識した始まりである。
日本では死後50年とされている。
欧米では70年、ロシアも韓国も同じ。一方で30年の国もある。
フジタの死は1968年1月、2018年が死後50年となる。