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2004年 9月
子ども達は学校が気に入った様で、順調な滑り出しだった。(これほど親として嬉しい事は無い。)
息子は直ぐに学校にのめりこんだ。が、勉強は嫌いだった・・・あぁぁぁ・・・。
娘は「日本に帰りたい〜!!」と日々叫んでいた。が勉強だけは好きだった・・・ぉぉおお!
ある意味、娘の「日本コール」は当たり前だった。
夫の会社で9月から「駐在」する人間が4人いたはずだが、唯一100%蘇州にいる人間は、私と子ども達だけだった。(社員じゃないんだよ〜!?)
「明日から日本」なんて事を聞きつければ「私も連れて行け!って言ってるのに!プンッ」だった。(いわゆるホームシック)
正直宥めるのに苦労した。
↑この様子を毎日見ていた長男は、全てに関してノーコメントだった。
(自分も言いたかっただろうにね。)
子ども達の学校の事を考えて、新学年スタート時(こちらは9月から新学年)には絶対蘇州にいたい、と勝手な親の判断だった故仕方が無いが、3人での生活は結構笑えた!?
当時は、食料調達も今ほど便利では無かった蘇州。
そして、もちろんアイさん(お手伝いさん)はいない。全部自分でやっていた。
トラブルが多く発生する為、いつ大家さんが来ても良い様に、綺麗に部屋をしておかなければならない。
毎朝2時間掛けての掃除は、結構きつかった。(これって日本なら当たり前の域?)
あぁ、私って偉い♪
って言うのには訳がある。当時周りで常に工事をやっていた為、2時間も窓を開けておけば、そこらじゅう土埃。きついんだよネェ!?
(季節によって、土埃さんようこそ。しかもこんなに沢山で!?にもなる。)
とある朝、掃除をしていると「ジジジ」
?と思うと音は消え、暫くすると「ジジジジジジ」」
???と思ったら今度は臭いと煙つき。
がぁぁぁぁ!ガス漏れ報知器のコンセントが焼け焦げてる〜!!!
私が居なかったら、火事になってたんじゃないの?あぁぁ恐ろしい。
理由は簡単。上階から水が漏れて、壁伝いに水進入。挙句、真っ黒こげな・・・。
それからが大変だった。
毎日毎日大家さんと工事関係者・上階のご主人と工事関係者をお出迎え。
何処が悪いのか見つけるまでに時間が掛かった。
キッチンの屋根を取り外し、隅から隅まで。
(水漏れした場所がキッチンだった。お陰様で家の構造が良く分った。)
その時、大切なトレーを割られた(涙)今の私なら確実に文句を言う所だが、当時は言えなかった。
そんな事が一週間も続き、何処にも出られない・・・(涙)
そうこうしているうちに、久しぶりに日本からの電話。
夫だ!ラッキ〜!(丁度上階のご主人と話していて、分らない事があった。)
上階のご主人さ、英語が話せるんだけど、意味不明な事があるからちょっと変わるね。と言ったら・・・
「ん?別に話す事無いから。」
とアッサリ、しかも即答。
この時ほどガックリ来た事は無い。
あぁぁそうかいっ!?別に無いんだっ!!!!(←心の声)
ちなみに、もの凄い形相になった事を、上階のご主人は知っている!?
結局、受話器を無理やり上階のご主人へ。恐ろしいと思ったに違いない。
その後、上階トラブルだと言う事が分り一安心。
だと思ったら、今度は日々夜の9時まで工事だ!
(ここでは、夜8時9時まで平気で工事をする。工場やお店の建設なんて24時間営業(!?)だ。)
一家団欒(3人だけど)なんて出来ない・・・だって声が聞こえないんだから。
全ての配水管が床下を通っている為、床を全部剥がして、そしてまた元に戻す・・・。
壁と床が薄い蘇州の住宅。断熱材なんざありゃしない。しかも上下左右筒抜けだ。
上階のTVの声が聞こえるんだよ、と言えば、どの位の音が下階に来るのか想像できるだろう。
フッ、こんな事は夫は知らない・・・半分は話したけどぉ!?
そして、教訓!
ここは中国、何があるか分らない!?コンセントはマメに抜こう!!
例えガス漏れ報知器でも!
だって「誤作動」でピ〜ッなんて、よくある話!?
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