どかんのグータラ日記 in東京

2016年、我が家の面々は激動・激変の1年をスタート!悪性骨肉腫&転移性肺腫瘍と闘う日々を遡ってUP。…転記って結構大変⁉

「思い出話」の巻き

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昔の出来事・・・忘れない様に残しておこっと。
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2004年 9月

子ども達は学校が気に入った様で、順調な滑り出しだった。(これほど親として嬉しい事は無い。)
息子は直ぐに学校にのめりこんだ。が、勉強は嫌いだった・・・あぁぁぁ・・・。
娘は「日本に帰りたい〜!!」と日々叫んでいた。が勉強だけは好きだった・・・ぉぉおお!

ある意味、娘の「日本コール」は当たり前だった。
夫の会社で9月から「駐在」する人間が4人いたはずだが、唯一100%蘇州にいる人間は、私と子ども達だけだった。(社員じゃないんだよ〜!?)
「明日から日本」なんて事を聞きつければ「私も連れて行け!って言ってるのに!プンッ」だった。(いわゆるホームシック)
正直宥めるのに苦労した。

↑この様子を毎日見ていた長男は、全てに関してノーコメントだった。
(自分も言いたかっただろうにね。)

子ども達の学校の事を考えて、新学年スタート時(こちらは9月から新学年)には絶対蘇州にいたい、と勝手な親の判断だった故仕方が無いが、3人での生活は結構笑えた!?

当時は、食料調達も今ほど便利では無かった蘇州。
そして、もちろんアイさん(お手伝いさん)はいない。全部自分でやっていた。

トラブルが多く発生する為、いつ大家さんが来ても良い様に、綺麗に部屋をしておかなければならない。
毎朝2時間掛けての掃除は、結構きつかった。(これって日本なら当たり前の域?)
あぁ、私って偉い♪
って言うのには訳がある。当時周りで常に工事をやっていた為、2時間も窓を開けておけば、そこらじゅう土埃。きついんだよネェ!?
(季節によって、土埃さんようこそ。しかもこんなに沢山で!?にもなる。)

とある朝、掃除をしていると「ジジジ」
?と思うと音は消え、暫くすると「ジジジジジジ」」
???と思ったら今度は臭いと煙つき。

がぁぁぁぁ!ガス漏れ報知器のコンセントが焼け焦げてる〜!!!

私が居なかったら、火事になってたんじゃないの?あぁぁ恐ろしい。

理由は簡単。上階から水が漏れて、壁伝いに水進入。挙句、真っ黒こげな・・・。

それからが大変だった。
毎日毎日大家さんと工事関係者・上階のご主人と工事関係者をお出迎え。
何処が悪いのか見つけるまでに時間が掛かった。
キッチンの屋根を取り外し、隅から隅まで。
(水漏れした場所がキッチンだった。お陰様で家の構造が良く分った。)
その時、大切なトレーを割られた(涙)今の私なら確実に文句を言う所だが、当時は言えなかった。

そんな事が一週間も続き、何処にも出られない・・・(涙)
そうこうしているうちに、久しぶりに日本からの電話。
夫だ!ラッキ〜!(丁度上階のご主人と話していて、分らない事があった。)

上階のご主人さ、英語が話せるんだけど、意味不明な事があるからちょっと変わるね。と言ったら・・・

「ん?別に話す事無いから。」

とアッサリ、しかも即答。

この時ほどガックリ来た事は無い。
あぁぁそうかいっ!?別に無いんだっ!!!!(←心の声)
ちなみに、もの凄い形相になった事を、上階のご主人は知っている!?
結局、受話器を無理やり上階のご主人へ。恐ろしいと思ったに違いない。

その後、上階トラブルだと言う事が分り一安心。
だと思ったら、今度は日々夜の9時まで工事だ!
(ここでは、夜8時9時まで平気で工事をする。工場やお店の建設なんて24時間営業(!?)だ。)
一家団欒(3人だけど)なんて出来ない・・・だって声が聞こえないんだから。

全ての配水管が床下を通っている為、床を全部剥がして、そしてまた元に戻す・・・。
壁と床が薄い蘇州の住宅。断熱材なんざありゃしない。しかも上下左右筒抜けだ。
上階のTVの声が聞こえるんだよ、と言えば、どの位の音が下階に来るのか想像できるだろう。

フッ、こんな事は夫は知らない・・・半分は話したけどぉ!?

そして、教訓!
ここは中国、何があるか分らない!?コンセントはマメに抜こう!!
例えガス漏れ報知器でも!
だって「誤作動」でピ〜ッなんて、よくある話!?

忘れないうちに、その1の続きといきましょうかねぇ。

2004年 8月下旬 蘇州 in

上海の浦東空港に、お迎えの車が来てくれていた。
そりゃぁ嬉しかった。
その前の下見、タクシーの運転手は蘇州が分らず、地図を広げて夫とあーでもないこーでもない・・・
夫は英語と日本語しか話せない・・・。(蘇州では英語はほぼ通じ無い)

それはさて置き、ホテルに着いたぁ!と思ったら、その車が自転車と接触事故!
ムクッと起きて「×××〜!」と叫ぶ女性。
目が点だった・・・起き上がった事に!?(でも、こっちの事故では普通らしいねぇ)

さてさて、学校が始まる(荷物が届く)まで約10日ホテルに滞在した私達。
毎日3食外食って、疲れるね。
人生で初めて「自分でご飯を作りたい」と思った。この私がだっ!
言葉の通じない場所での3食外食・・・実は結構苦痛だった。

そんなこんなで、学校も始まっちゃうから、「自分の家」に引っ越し。(ホッとしたんだよねぇ)
でもね・・・荷物が無いんだよ・・・

サバイバル生活が始まった!?

赴任する時、家財道具を買う派と日本からの持込派がいるが、我が家は究極「持込派」だったのだ。
何せ、日本では同居だった故、全部の家財道具がもう1セット日本にある。
買わずに何とかしたいっ!!!!(←ケチ!?)

生活必需品を買って、くじ引きで当てた「タッパーの大・中・小セット」
天の恵み〜!と思った♪
お皿も何も無いが・・・よし、これでやるか!

その後、鍋1つヤカン1つ。そしてを購入。(←これも買いたく無かった。ケチ!)
後は、大家さんが用意してくれた「おこげが出来る炊飯器」で乗り切る。
コップ!?もちろん、頂き物の紙コップよ。

夫と子ども達よ!たんとお昼ご飯を食べておいで〜!と日々お見送り。

いやぁ、この時我が家は4人家族。
3つのタッパーでどうやって食べるよご飯を!?
「時間差戦法!?」いえいえ私はこれが嫌い。
考えた末「一人(私)はおかずだけ戦法!?」にしたのであった。
                     (実はタッパーの蓋にご飯を盛って食べていた。)
でもね、これって「カレー」(もちろん包丁が無いからレトルト)の時、寂しかったよ。
カレーの時は、逆バージョンで私は蓋にご飯だけだった!?(おかず作れよってか!?)

そして、包丁を使わないでOKな食材・・・見つけるのに苦労した。
何せ「チン」して食べられる物は、日本と違って極わずか。
でも、中国の騒がしいレストランより「良い」と思ったんだよねぇ!?不思議だね。

キャンプよりサバイバルだよ!なんて。
何せ、食事もこんな調子だし、お風呂の「お湯」が満足に出なかったのだ・・・

ハッハッハ〜!!!!!もう笑うしか無かった。

2週間もサバイバル生活をした後、やっと荷物が届いた(予定よりも2週間も遅い到着・・・)
と、思ったら・・・「俺、明日から日本だから、荷物の片付け頼むね!?」

なっなっなにぃ〜!

荷物が届いて直ぐですか!?そうですか・・・そうですね・・・

シクシク・・・一人で荷物の片付けか・・・。分っちゃいたけど、何ともまぁ・・・。
そして・・・はまった「ダンボール家具作り」
荷物が入っていたダンボールで、下駄箱を作ったのであった。(←とことんケチ!?)

そして、今度はトラブル続き。日本にいたら、絶対経験できない事だ。
でも、家に引っ越しした初日から「はっ、所詮ここは中国よ。日本を求めちゃいかん!」と思った私。
そして、諦めが肝心!を学んだのであった。ふぅ長いね・・・。

これが、当初我が家の命を繋いだ家財道具↓良い(!?)思い出だよ。
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今日は、何故か昔の事を思い出した。せっかくだから、忘れないように・・・。

初めて中国を訪れたのは、2004年春。いわゆる「下見」

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工場を作る時、この地を選んで進めたのは夫だ。
自分が赴任するとは思っていなかった様だが、各地を回って、住宅・学校・環境の良い所を探した様だ。
なるべく暮らしやすい地は何処かなぁ?と。

どんどん開発され、子ども達も健康で学校が大好き。1年経った今不自由はしていない。
正解!

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「下見」の時は、まだ赴任が本決まりではなかった。
しか〜し、5日間滞在したうち3日間も、委員会とこの地の有力会社の方々がエスコートをしてくれた。

「住宅の下見」1日5件は見て回った・・・お陰様で楽しかったなぁ♪(実はこういうのが好き)
「学校の下見」学校側からかなりの情報をもらえた。こりゃラッキ〜。
「日本料理屋さんの下見」赴任後の駆け込み寺を教えてくれた。
「周辺の下見」市場やスーパーなど、生活には必要だからね。

正直、臭いに敏感な娘の反応が気がかりだった。
汚いトイレなんてもってのほか。日本でも一苦労していたからなぁ。

しかし、一番最初に音をあげたのは実は私。ダハハッ
市場の入り口で「ごめん。入れない。」(いやぁ本当に臭かった。あの時は・・・)

「是非ご家族皆さんでいらして下さい。待っていますよ〜。」
「今度一緒に買い物に行きましょう。電話してくださいね。」
と委員会や有力会社の人に言われたのでは・・・ねぇ!?

まぁ、赴任が決まったら一緒に来るしか無さそうだ、と思っていたから良いのだが。

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ここからが問題だった。
初夏に“やっぱり行く事になった”と。それからがバタバタッ。

私は、自宅でも仕事中でも(すみましぇ〜ん)赴任準備の進め方・予防接種関係・学校関係・蘇州の情報・・・と調べまくった。

何しろ、中国でバックアップしてくれる人はいたが、日本では誰一人居なかった。
と言うか、海外進出する為の知識が全く無い人達が殆どだった・・・。
赴任するにあたり、調べて教えてあげよう、何て気もさらさら無かった様に感じる。

正直言って、なんてぇ会社だっ!と腹が立っていた。(←ボソッと言ったつもり)

でもまぁ、自分達で動いたお陰で、おりこうさんになったしねぇ〜、と思うようにした。
(が、今になってまた腹の立つ事も出て来た・・・。)

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2004年 8月下旬 蘇州 in.

この時、サバイバル生活が待っていようとは、誰一人考えていなかった・・・。

つづきは次回。

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