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5日の午前3時頃、次女の妹から「お母さんが危篤」という電話がありました。主人を起こし、子供
達を起こし、自分に「落ち着いて、落ち着いて」と言い聞かせながら着替えをし車で病院へ向かいま
した。
真夜中の高速道路は空いていたので、40分ほどで病院に着いたと思います。あまり記憶がありません。
病室に駆け込むと、既に意識のない母がいました。
「おかあさん、遅くなってごめんね。ひろひろだよ!!」と耳元で言いました。かなり大きな声で叫び
ましたが、全く反応がありませんでした。母の手を握り、さすり、何度も声をかけました。でも、母は一
度も目を開ける事はありませんでした。血圧も私が病院に到着した時、上が80で下は測定不能でした。
時間が経つにつれて徐々に血圧が低下し、呼吸数も減ってきました。
私が病院についてから、母が亡くなるまでの約4時間の間、必死に母を呼んだり、もう、苦しまなくて
良いねって言ったり、私の精神状態もかなり不安定だっと思います。
母の足はとても冷たくて、手も冷たかったですが、必死にさすりました。母が戻ってくるように必死で
した。けれど、時間が過ぎるうちに呼吸数が少なくなっていきました。
途中で来た、看護師さんが「心臓より先に呼吸が止まると思います」と言っていました。
7時頃に連絡してあった、母の姉が駆けつけました。母の姉は、母より9つ上です。
母の名前を必死に呼んでいました。「順番が違うでしょう!!!、ダメだよ!!」ととても辛い時間
でした。そして、母の呼吸が本当に少なくなって、最後の呼吸となり、全く空気を吸わなくなりました。
少しして、看護師さんが心臓も停止しましたと言いに来ました。その数分後に主治医の先生が来て、
死亡を確認しました。5日の7時20分です。母が最後に呼吸した時の表情が今でも焼き付いています。
どんなに辛かったかと思うと、胸がいっぱいです。
母の呼吸が弱くなっている時に父が心ない言葉を何度も言っていました。母の枕元でもめたくなかった
ので我慢しましたが「まだ息してるのか」「だいぶ(血圧が)下がったなぁ」そんな事ばかりを言ったり
真夜中の病棟で大きな声でどこかに電話していました。本当に信じられない言動でした。
本当に「殺してやりたい」と思いました。母がこうなてしまったのは、全部父のせいなのですから。
母も生前に言っていました。「私がこうなったのは、全部お父さんのせいだと思っている」と。
本当に恨んでいると思います。母は父と結婚した事で本当に苦労していましたから。けれど、私たち
娘がいた事は、とても幸せだと言っていた事を聞いた事があるので、それだけはという気持ちです。
いつも、いつも私たち娘3人の事を考えていてくれたお母さん。苦労してしまったけれど、産んでくれ
て、そして育ててくれて本当にありがとう。私たち娘3人はお母さんが生きた証として、これからも
一生懸命生きていきます。本当にありがとう。そしてお疲れさまでした。
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