小笠原風景日記

移住者・ヒロの島日記です

父島散策〜集落・歴史・文化〜

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台風2号は去りました。
特に被害もなく、何より「あれ?来たの??」って感じで風がビュウビュウ唸り声を上げ吹き荒れるわけでも、横殴りの雨が降るわけでもなく静かに去っていきました。
しっかり養生をしていた島の人間にとっては少し拍子抜けするくらい、何事もなく通過していきました。
一安心です。

昨日の夜仕事を終えた後、雨が降り出し風やや強くなっていた中、僕は船客待合所へと歩いていました。
毎週月曜日と水曜日は「小笠原太鼓」の練習の日なのです(初心者は主に月曜日のみ)。

「小笠原太鼓」は八丈島太鼓の流れをくむものといわれ、かつて八丈島をはじめとする伊豆諸島の人々が小笠原へ渡ってきて伝えられたそうです。
一つの太鼓を平置きして2人が両面から叩くというこの太鼓、現在では、祝いや歓迎、集いなど様々な場面で披露され、また「おがさわら丸」が出港するときの見送りでいつも演奏されています。

僕は昨日でやっと3回目。
まだ初心者もいいとこです。
が、もう既にはまりつつあります。
太鼓が発する響きはビリビリ体中に染み渡ります。
そのエネルギーを感じながら、バチを振り皆で太鼓を奏でていると心がそれにどんどんのめり込んでいくのを感じ、そして同時に感じる気分の高揚。
まだまだ「はっぴ」を着て人前で演奏は出来ませんが、それでも毎日でも叩きたいくらい。
そのぐらい「熱い」小笠原太鼓です。

写真:父島での見送り風景のワンシーンとなっている、小笠原太鼓。僕も早くあそこで演奏できるようになりたい・・・。頑張ります!!見送り時のおがさわら丸船客待合所。父島。

歴史・文化探訪

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村からの委託事業で、僕が企画・運営に携わっていた「小笠原歴史・文化探訪モニターツアー」が約一ヶ月間のモニタリング期間を経て、3月の25日で終了しました。
現在はその報告書作りも段々と形になってきたところ。
アンケートの結果を集計したりしてみると、色々と見えてくるものがあります。

もともとのこのツアーの趣旨は、島外からの観光客の皆様に小笠原の歴史・文化に触れて頂き、ゆくゆくは観光プログラムとして小笠原の観光の幅を広げようというもの。
でも蓋を開けてみると父島の参加者の2割は島民でした。母島も1割くらいは島民。
思いの外、島の人達の反響が大きかった。
勿論、無料のモニターツアーということもあったんでしょうけど・・・。
でも宿のスタッフ皆で勉強の為にとか、島のことを深く知りたいなどの意見が多く聞かれて、それはそれでとても小笠原にとってはプラスになることだと思います。
自分を含めて、普段何気なく通り過ぎている場所に思わぬ歴史や不思議が潜んでいたりということを、この一ヶ月間のモニターツアーに参加した、父島や母島の多くの島民の方々が感じることが出来たはずです。

観光立島・小笠原
今回の歴史・文化のツアーはこの島で生活している人達にとっても、自分たちの島を見つめ直すいい機会になったのだと思います。

写真:小笠原に残る唯一の“シュロッパ家”。シュロッパとはヤシ科の固有植物・オガサワラビロウのことで、昔の小笠原ではこの葉を使って家屋の屋根を葺いていました。母島

濱江丸

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父島・境浦に「濱江丸」という座礁船があります。
昭和19年、サイパンの沖でアメリカの爆撃を受け、その後更に父島近くで魚雷の雷撃に合い境浦に座礁した貨物船です。
今ではもう朽ちて、上から見るとかろうじて船の形を確認することが出来るくらい。
魚の集まる場所になっていて、スノーケリングのポイントでもあります。

父島の周辺には百数十隻の船が沈んでいると言われています。
その中には濱江丸のように戦争の影響を受け沈んだ軍艦や民間船なども。

戦争中でもきっとこの小笠原の海は美しかったはずです。
当時この海を通って硫黄島などの戦地へ赴いた兵士達や物資を運んでいた人達の目には、この小笠原の海はどう映っていたのでしょう。
境浦の濱江丸を見る度に、そう思います。

写真・境浦の道路脇、展望スポットからの二見湾景。右下に見えるのが濱江丸の残骸。父島。

戦争で見る小笠原

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日露戦争後、日本は南洋方面への発信基地として小笠原に着目し始めました。
そして大正3年(1914年)、父島に「父島北特設望楼」が小笠原発の軍事施設として建てられ通信業務を始めてから、小笠原では軍の施設が徐々に整備される事になります。

太平洋戦争に突入すると、小笠原の軍事色は一層強いものとなります。
父島や母島だけではなく、映画「硫黄島からの手紙」、「父親達の星条旗」の舞台にもなった硫黄島にも軍の配備が進められていきました。
戦史上稀に見る激戦地となった硫黄島では日本軍はほぼ全滅、戦死者20,129を出し,今もなお11,800名余りの方のご遺骨が眠っているそうです。

また太平洋戦争中の話として、当時米空軍のパイロットだったブッシュ元アメリカ大統領(現在の大統領の父)が父島の空爆に参加した際に撃墜されました。
撃墜され東島付近(父島と兄島の間)に落下したブッシュ元大統領は、その後アメリカ軍の後方支援の潜水艦に救出されたそうです。
この時の空爆に参加し撃ち落とされて救出された乗員はブッシュ元大統領だけ。
もしこの時に他の隊員と共に小笠原で命を落としていたら、世界の情勢は今とはちょっと違ったかも知れませんね。

直接の戦地とはならなかったものの、空襲を受け町の大部分が消失した父島。
今も島の各所で戦争の爪痕を見ることが出来ます。
朽ちた砲台や車の残骸、ガジュマルの林に飲み込まれた兵舎、島を見下ろす高台に残る壕やひっそり佇む陸軍の弾薬庫、そして海軍重油倉庫・・・。
様々な戦績が小さな島の中で静かに当時の面影を偲ばせているのです。

写真:(上)父島要塞大村・弾薬庫 (下)大根山墓地公園内にある戦車の残骸

森の中の水族館

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父島南部、亜熱帯農業センターの近くにある「わしっこ」。
ここは、和紙で作られた魚やイルカやクジラ達が飾られているギャラリーです。
森の中にある静かなギャラリーで、喫茶店にもなっています。
晴れた日の昼下がり、窓から差し込む陽の光が何とも暖かな、そして穏やかな雰囲気を醸し出してくれます。
そのギャラリーに飾られている魚達はどれも見事で、本当に綺麗。
まるで森の中の水族館にいるような、そんな感じです。

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