私が恐れるのは、往診がゲシュタポ化することである。
ゲシュタポ化といってもぴんと来ないかもしれないが、入院を嫌がっているお年寄りを往診して入院させてほしいという依頼があとを絶たないからだ。嫌がっているお年寄りに引導を渡すために往診する。そして次々と入院させる。そんな往診を私はしたくない
80台の独居の女性は、27歳のとき当時付き合っていた同世代の男性が死去してからは、ずっと独身を貫いてきたという。クリスチャンでもあった。肝硬変にて病院に受診もしてきたが、なぜか病院の主治医と折り合いが悪くて、最近は病院に行っていなかった。体力低下も進行して、周囲が見かねる状況になっても、そこそこ一人で身の回りのこと(排泄や移動など)ができるうちは周囲も見守っているしかなかった。
本日の朝のことである。その女性が床で倒れている。発見した隣人は、救急車を呼んで入院してもらおうとしたが、本人がガンといって聞かない。だから往診で説得してほしいと言う電話が私に入った。
往診してみると、女性はすでにベットに移動していたが、一人では身動きの取れる状況ではなかった。私を呼んだ隣人は、「困ってしまいます。何とかしなければ・・・」と言って不安そうだ。本人は、「大丈夫。大丈夫。」と言っている。
一通りの診察を終えて、私が二人に話す。「今は診察では特に問題ありません。しかしこのままここでの生活はかなり厳しくなっています。これからの生活を考えると、常時介護と医療が提供されると言う意味では入院も安心かもしれません。」と強い口調ではないが、本人にそれとなく入院を促す。(こういう場合、私を呼んだ隣人の手前このように話さざるを得ないのだ。)
なんとなくぼんやりしている本人もここは大事な局面だとわかるらしく「このままここがいいです。入院はしません。」ときっぱりと断る。
それを聞いた隣人は「そうはいってもねぇ。」と不安そう。「先生。何とかしてください。」と私に詰め寄る。
「入院によって十分病状が改善する場合や本人が希望している場合はともかく、危なそうな人を見つけてみんな無理に入院させていくようなことはできません。そんなことしたら、私たちはゲシュタポのようになってしまう。一人暮らしで大変そうだから、生活に無理がありそうだからと、みんなをしょっ引くまねはできないし、したくありません。むしろ何とか支えるように努力したい。しかしこのままでは皆さんにとっても不安でしょうから、少しでも本人やあなた方が困らないように私たちが昼に夜に往診するようにします。そして何か困ったことがあればそのつど対応するようにしますからもう少しご本人の希望通りにしてあげませんか。」と伝えると、何とか隣人も納得してくれた。
「それでは午後にまた往診してもらうようにしておきます。」私の朝の往診は終わった。隣人も帰ろうとする私に、安心しました。と深々と頭を下げてくれた。
午後の往診を待たずに、再び隣人から電話が入る。「ご家族が来て、本人を説得してもらいました。入院先を探してください。」
私の朝の努力はたった数時間しか持たなかったのだ。
一人暮らしのお年寄りが、虚弱化していく、そして一人暮らしが維持できなくなる。そしたら入院・入所と言う選択だけではなく、地域でみんなで支えあい。何とか生活を継続できる社会はいつ来るのか?
少なくとも私たちは往診をゲシュタポ化させないで、こらえ続けるしかない。
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