グループ医療への道

いろいろしてきたけど、結局自分が目指しているのは、グループ医療なのかな!

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障害を持つということ

自分だけは病気や障害には無縁と思っていた。
そんな傲慢な自分が今年の8月以降急に自分の体の不調を自覚することとなった。
 
最初は両肩が夜寝れないぐらい痛み、その後両肩の挙上障害、そしてさらに左腕の重い感じと人差し指の運動障害と左手の内転障害、さらに両足の痺れ感などと続いた。
 
診断は、頚椎ヘルニア+頚椎圧迫骨折+頚椎すべり症などが合併したものだそうだ。
手術はどうしても症状がひどければする場合もあるが、そのほかの部位に障害が広がる可能性もあるので安易に行うべきではない。・・・と私が相談した専門医は適切な答えを出してくれた。「
 
ある程度診断がつき、付き合い方がわかってくると、直らないことによる不調を受容しながら生活しなければならなくなる。
 
しかし障害を受容しながら、生活することはまだまだ私には難しい。
 
まず、もっとも生活上困るのはパソコンを打つことだ。
左手がうまく動かない。
以前に比べてさらに仕事上、パソコンに向かうことが多くなっているのに、少しの入力でも時間がかかってしまう。
こんな自分に日々歯がゆい思いをする。
少しずついらだっていく自分もわかった。
 
今私は自分に言い聞かせたい。
「障害を持つことは自分の人生のペースを見直すように神様が示唆してくれていることだ」と、
そして新たな人生の豊かさを実感するためのものであることを・・・
 
 
 

家族の時間

イメージ 1友人同士のキャンプもある。家族みんなでのキャンプもある。
それなのに私たちはいつも片親だけのキャンプとなる。
 
ほとんど家に帰らない父親が、母親抜きで子供たちと水入らずの時間を持ちたいからというのが理由なのだが、周囲はなぜ父親だけなのだろうと、それとなく事情を慮るようである。
 
この行事は3年目を迎えている。
いつまで続くのかはまったくわからない。今のところは、私も子供たちも気に入っているが、いつか私の都合か、もしくは子供たちの嫌気が破綻のきっかけになるのだろう。
 
かつて私には家族が永遠だと思えていた時期がある。私が子供のときのことである。
銀行員だった私の父親は、実直な性格だった。そして母親もそれが当然だと思っていた。毎日夕方決まった時間に帰宅して、決まった時間に入浴し、そして決まった時間に夕食をとる慣わしだった。そして私たち子供たちもそれが永遠に続くものと思っていたのだ。
母親の闘病、そして死によって、いともあっさりと家族が崩壊することを知った私は、家族のはかなさと同時に、貴重さを実感した。
 
家庭が崩壊していると言われて久しい。家庭内暴力・家庭内別居、介護放棄・・昨今の家族崩壊を表す言葉に枚挙に暇がない。
しかしこれらの言葉はまだ家族の絆は強いということを前提としているように思える。
先日人口問題の専門家から伺った話では、今の日本で問題なのは、高齢者の増加以上に若い人の未婚率の増加、出産率の低下が著しいことだと言う。しかしこの事実を知り、そこに問題意識を持っている人は少ない。
 
子達が大きくなったとき、家族というユニットがどのようになっているのか私には想像できない。
今の家族とはまったく違った意味を彼らは創設しているかもしれない。
あるいは今とまったく同じなのかもしれない。
 

ゲシュタポ化?

私が恐れるのは、往診がゲシュタポ化することである。
ゲシュタポ化といってもぴんと来ないかもしれないが、入院を嫌がっているお年寄りを往診して入院させてほしいという依頼があとを絶たないからだ。嫌がっているお年寄りに引導を渡すために往診する。そして次々と入院させる。そんな往診を私はしたくない
 
80台の独居の女性は、27歳のとき当時付き合っていた同世代の男性が死去してからは、ずっと独身を貫いてきたという。クリスチャンでもあった。肝硬変にて病院に受診もしてきたが、なぜか病院の主治医と折り合いが悪くて、最近は病院に行っていなかった。体力低下も進行して、周囲が見かねる状況になっても、そこそこ一人で身の回りのこと(排泄や移動など)ができるうちは周囲も見守っているしかなかった。
本日の朝のことである。その女性が床で倒れている。発見した隣人は、救急車を呼んで入院してもらおうとしたが、本人がガンといって聞かない。だから往診で説得してほしいと言う電話が私に入った。
往診してみると、女性はすでにベットに移動していたが、一人では身動きの取れる状況ではなかった。私を呼んだ隣人は、「困ってしまいます。何とかしなければ・・・」と言って不安そうだ。本人は、「大丈夫。大丈夫。」と言っている。
一通りの診察を終えて、私が二人に話す。「今は診察では特に問題ありません。しかしこのままここでの生活はかなり厳しくなっています。これからの生活を考えると、常時介護と医療が提供されると言う意味では入院も安心かもしれません。」と強い口調ではないが、本人にそれとなく入院を促す。(こういう場合、私を呼んだ隣人の手前このように話さざるを得ないのだ。)
なんとなくぼんやりしている本人もここは大事な局面だとわかるらしく「このままここがいいです。入院はしません。」ときっぱりと断る。
それを聞いた隣人は「そうはいってもねぇ。」と不安そう。「先生。何とかしてください。」と私に詰め寄る。
 
「入院によって十分病状が改善する場合や本人が希望している場合はともかく、危なそうな人を見つけてみんな無理に入院させていくようなことはできません。そんなことしたら、私たちはゲシュタポのようになってしまう。一人暮らしで大変そうだから、生活に無理がありそうだからと、みんなをしょっ引くまねはできないし、したくありません。むしろ何とか支えるように努力したい。しかしこのままでは皆さんにとっても不安でしょうから、少しでも本人やあなた方が困らないように私たちが昼に夜に往診するようにします。そして何か困ったことがあればそのつど対応するようにしますからもう少しご本人の希望通りにしてあげませんか。」と伝えると、何とか隣人も納得してくれた。
 
「それでは午後にまた往診してもらうようにしておきます。」私の朝の往診は終わった。隣人も帰ろうとする私に、安心しました。と深々と頭を下げてくれた。
 
午後の往診を待たずに、再び隣人から電話が入る。「ご家族が来て、本人を説得してもらいました。入院先を探してください。」
私の朝の努力はたった数時間しか持たなかったのだ。
 
一人暮らしのお年寄りが、虚弱化していく、そして一人暮らしが維持できなくなる。そしたら入院・入所と言う選択だけではなく、地域でみんなで支えあい。何とか生活を継続できる社会はいつ来るのか?
少なくとも私たちは往診をゲシュタポ化させないで、こらえ続けるしかない。

チームだから・・・2

一人暮らしで介護者もいない中、夜の往診でできることは限られている。せいぜい痛み止めを出したりするだけだった。それでも、だめなときには救急車を呼ぶしかない。こんなわたしたちの不毛な往診が続いた。
 
しかしそのような対応を繰り返すうちに、彼女のなかの構図がおぼろげに見えてきた。
「腹痛や喘息がある。」→「夜になると不安が高じる。」→「パニックになりさらに症状は強まる。」→「救急車を呼んで病院受診する。」→「病院での検査では、たいして異常がないため、薬だけ出されて帰される。」→「自分のつらさをわかってくれないと悲観する。」→「自暴自棄になり、他の病院に行こうとする。」→「そこでも同様に問題がないので帰宅を指示される。」→「こんなだったら生きていても仕方がない。」→「死んでやる。」→「自殺企図」になる。
 
その間、時に入院になることもあったが、翌日の朝にはけろっとしているので、すぐに退院となるのだ。
 
「けっしてあなたのつらさがわからないわけでない。でもわたしたちにできることには限界がある。少しでもあなたが自立生活できるように、わたしたちもがんばるから、あなたもがんばってほしい。」わたしがそんな話をしてから、彼女からの往診依頼の電話が少しずつ減っていった。
 
往診回数が減ってしばらくたったころ、彼女がわたしの外来にきて、ニコニコしながら手紙を渡してくれた。
 
:::::::::::
ヒロ先生
 
私自身が体調不良のときに、先生が休みの日でも、夜間でもいつ何時でも連絡してくださって、ドクターに夜間往診していただいたり、と私のことを本当にいつでもドクターの方々は大変なのに、いつもがんばっている姿を見て、わたしは病気に負けちゃいけないんだ。時には、痛みがつらくて、落ち込むが、先生方とお話したり、聞いてくださったりして、そしてヒロ先生のガンバレとか、何気ない一言もとてもわたしには、すごく、感動したことが先生と出会えて、たくさんありました。ヒロ先生とであったときには、たくさん迷惑をおかけしましたが、今は少しずつ自分自身で自分の病気のこともまた、少しずつわかってきたし、痛みがあるときには、わがままになったり、落ち込むがわたしには、ヒロ先生や医師会の人たち、目白訪問看護師さん、落合保健センターの方々が、いつも気にして頂けているので、私自身も又、元気だったころ、仕事をしている自分に少しでも近づけたらいいかなぁと思っております。
古今と子、ドクターの方々に毎日来ていただいてしまったけど、少し今は落ち着いてきたので、また少しずつ体調をリズムを取り戻していきたいと思っております。
先生方、先生方もいつも忙しいと思いますが、体調を壊さずに、毎日がんばってください。先生方の姿を見ているいると、わたしもがんばらないとと思いました。
先生と出会えて本当によかったです。
こんなわがままなわたしですけど、
これからもよろしくお願いいたします。
汚い字でごめんなさい。
326日、 ○○ ○子より
::::::::::
 
彼女は今月から、わたしの外来に定期通院し、12時間だが毎日定職につくようになった。
まだまだ彼女には乗り越えなければならないさまざまな困難があるだろう。
 
往診の一番の役割は、「不安に寄り添うことなのだ」とわたしたちも、逆に彼女から教わったことだった。

チームだから・・・1

一人では支えられない、チームだから寄り添える。
そんな患者さんもいるのだ。
 
43歳で生活保護を受けている独居女性。気管支喘息や卵巣嚢腫の手術後で癒着性の腸閉塞などによる発作が続いているので往診してあげてほしい。昼間は落ち着いていて、ごく普通に一人暮らしをしているが、夜になると急変して、病院受診を繰り返す。ひどいときには一晩に何度も救急車を呼び、いくつもの病院を渡り歩くような状況だという。
もともとは近医が診ていたが、夜の急変対応は負担だし、しきりにあちこちの病院に行くので、都内の病院はあらかた受け入れ困難になってしまっているという。このままではどの医療機関も対応できないから、夜間当直が常時配置されている医師会診療所で見てもらえないかというのが、往診依頼の理由だった。
 
初めて伺った自宅は、ソファベットやテレビなどが置かれた6畳程度の居室と1畳ぐらいのキッチン、そのほかはユニットバスと決して広くはないが、ぬいぐるみなどもおいてあり、普通の女性の部屋という感じ。本人もこれまでいろいろ不幸ないきさつはあったかもしれないが、自立を目指している普通の女性に見えた。「これまでいろいろあったようですが、今後は何かあったらまず私たちが往診しますので、なんでも相談してください。」といってわたしは初回の訪問を終えた。
 
外に出ると、「夜になると本当に人が変わったようになるんです。」初回訪問に同行した保健師さんが声を潜めながら、かおをしかめる。わたしは一抹の不安がよぎったが、「とりあえずお手伝いしてみましょう。」と安請け合いをしてしまった。
 
それからまもなく、保健師さんが言っていた意味がわかった。
早速その晩から、「おなかが痛い。苦しい。」と電話が入る。往診してみると確かに腹痛で苦しんでいるが、腸管の運動は正常。通常の鎮痛剤を使って様子を見ようとするが、往診後に再び電話が入る。「今度は喘息がひどいので往診してほしい。」と、行ってみると今度は確かに喘息発作。吸入器や薬も用意されていないので、仕方ないので救急車を呼ぶ。
 
ほとんど連日、多い日には複数回の往診を余儀なくされる。昼間はそこそこ落ち着いていても、夜一人で過ごす不安も高じるのだろう。落ち着いているときもあるのだが、症状が出始めるとどうしようもない状況が続いた。
時には、「わたしのつらさを誰もわかってくれない。死にたい。」といって自殺しようとして、往診してみると、リストカットをして、血だらけになっているところを発見することもあった。

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