グループ医療への道

いろいろしてきたけど、結局自分が目指しているのは、グループ医療なのかな!

在宅医療

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在宅介護の構造・3

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60台でも寝たきりの方がいたり、100歳を越えても元気にプールで泳いでいる方がいるように、それぞれの高齢者の身体・精神・社会状況はそれこそ千差万別です。だからこそ介護や終末期対応を考えるとき、皆を一様に考えるのではなく、個別的に考えていく必要があるのです。その点が母子保健や成人疾患に対する対応の仕方と大きく異なります。ある人に成り立つことがほかでは全く成り立たない。それぞれの最適解が異なるのです。延命治療の是非論も、それぞれの高齢者の個別的状況に左右されます。

後期高齢者医療制度において、終末期相談支援という制度が導入されました。個別化した高齢者の状況を鑑み、それぞれの介護や終末期医療のあり方を個別的に考え、包括的に支えるための制度でしたが、安楽死を簡単に容認していくのではないかという危惧から、現在中断されております。その結果個々の現場や状況毎に現場担当者は振り回され、結果高齢者の本来意図した療養に行き着かないという結果になることが多いのです。

さてそれでは、本稿で、なるべく高齢者自らの意図に沿った介護対応・終末期対応にするためにどうしたら良いのかを考えつつ、高齢者終末期支援の力学(?)について述べたいと思います。上図は高齢者ご本人・家族・医療者の三者の方針ベクトルが全く異なっているという前提で3種類の図を書いております。

一般的に本人の希望は自立度が高いときには、ベクトルは大きく、本人の意図と実際の方針との乖離は少ないのですが、自立度の低下や虚弱化が進行する場合には、それに伴ってベクトルは小さくなり、本人の意図と実際の方針との乖離が大きくなります。もしそこで本人が何らかのリビングウィルを明らかにしている場合にはそのときの本人ベクトルをリビングウィルが補うために、乖離を小さくするという作用が期待されます。リビングウィルが明確ではない場合、医療者やご家族は本人希望を中心すえることできないので、結果手探りをしなければならないことになります。したがってリビングウィルを明らかにしてもらうことは、ご家族・医療者、ひいては介護スタッフにとっても非常に安心なことなのです。

今後の高齢者介護や終末期医療を考えるときにリビングウィルというのは、非常に大切だといえます。

しかしこのリビングウィルの醸成は簡単なことではありません。何せ初めてのことしかも未経験のことをあらかじめ決めておくというのは無理があります。限られた情報で安易に決定すべきものでもありません。少しずつ状況の変化に合わせて、決められることから決めていくというのが自然でしょう。

そういう意味では、高齢者のさまざまな変化に合わせた医療的対応は、すべて終末期相談支援的であるべきだともいえます。

在宅介護の構造・2

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さて、生活能力の低下をもう少し詳しく見たいと思います。生活機能低下は一般的にどのような推移で起こってくるのでしょうか?
結論を述べると、一般的には、移動能力の低下→食事摂取機能の低下→心肺機能の低下→死となります。

移動能力の低下とは歩けている人が歩けなくなる。車椅子に乗れている人がベットで寝たきりになるなどです。この時期は排泄や整容などを含めた身体介護が増加する時期です。さらに食事摂取機能の低下の時期になると肺炎や脱水、低栄養などの併発になるので、点滴や抗生剤治療、補助栄養療法などの医療的介護の増大となり、その次の心肺機能低下は、在宅では人工呼吸器などの呼吸補助療法を導入してまで医療的対応することは少なく、むしろ苦痛回避と合併症予防、介護者の心理・身体的ケアと緩和的対応に切り替えることが増えます。
つまりこれら生活機能低下を介護的変化と対比して現すと、移動能力の低下=身体介護の増大化→食事摂取機能の低下=医療的介護の増大化→心肺機能の低下=緩和的対応の増大化→死となるのです。

身体介護が増大化し、介護保険のサービスだけでは不十分となったとき、一つには家族介護に頼ることになるか施設ケアへの移行が図られます。さらに医療的介護が増大化したときには、家族に医療的介護を担っていただくことになるのか、病院(療養型病院など)への移行が図られることになるのです。

つまり現在のところ、家族介護の要素こそがこの時期の在宅療養の可否を決定しているといってもいいのです。

在宅介護の構造・1

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介護に構造があるというと、言い過ぎなのかもしれない。
しかしさまざまな介護の現場を目の当たりにしていると、それぞれの介護は本当に個別性が豊かだと思う一方で、ある一定の力学法則というか介護にも構造的理解が可能なのではないかと感じることがあります。

人間は生まれて、成長して、自分で身の回りのことができるなど生活的自立し、その後仕事をするあるいは家庭を維持するなどして社会的に自立して、さらに人を支える、養うなど社会的貢献時期を経て、その後老化や障害から社会的自立が損なわれはじめ、いつしか生活的自立が損なわれ、さらに身体機能が低下し、そして最期には死に至ります。

縦軸に自立度、横軸に人生を記載すると、上図のようになると考えます。
生活自立以下の部分のうち、本人自身の自立性を補う部分のことを、子供のときの介護は「子育て」とか「養育」といえますが、一方で高齢者や障害者の場合は、「介護」ということになり、その総面積がその方が人生において要する総介護量とみなすことができます。

その総介護量のうち、介護保険や自立支援法などで公的介護給付として受けられる部分と家族自らの手や自費でのサービスが介護を支えなければならない部分に分けることができます。

また介護を医療的介護と生活的介護、身体的介護と区分することもできます。このうち医療的介護とは、吸引や胃瘻管理など、身体的介護とは体位変換やマッサージ、おむつ交換など整容や食事介助、精神的介護など、さらに生活介護は買い物や清掃、洗濯などとなります。

このうち、生活的介護は比較的介護保険でカバーされていることが多く、身体的介護や医療的介護は現時点では公的介護給付が不十分なので、要介護4や5など要介護度が重く身体的介護が増えるときや胃瘻や吸引など医療的介護が高いときにこそ、家族もしくは自費でのサービスの部分は大きくなる傾向があります。

さて疾病ごとに総介護量は大きく異なります。たとえば下の図の悪性腫瘍では、介護期間は非常に短いので、圧倒的に総介護量は少ない特徴があります。しかし一方で医療的介護や身体的介護が大きいのが特徴なので、どうしても家族介護や自費介護の部分が大きくなる傾向があるのです。

46年ぶりの男

一人暮らしのご婦人。しかも要介護4の80歳といっても侮れない。
最近、訪問し始めたばかりの神経症の患者さんは、独居生活が長く、一人でようやくトイレに行けるぐらいで、一人ではとても外出はできない。
調子が悪いと言って仕切りと電話してくる。往診依頼がひっきりなしだ。とにかく往診して欲しいという。
一通りの診察をして、しばらくなだめてから退出する。
するとまたすぐに呼ばれるということを繰り返していた。

今日のことだ。
いつものように腹痛があるから往診して欲しいと連絡が入る。電動ベットに腰掛けて、どうしようもないぐらいおなかが痛いといっているが、悲壮感や苦悶様の表情は全くない。一通りの診察を終えて、いつものように大丈夫だからといって握手して帰ろうとする私を、女性が引き止める。

ベットの柵を外して、自分の隣に座れと私をいざなうのだ。
何のことかわからない私が腰掛けると、おもむろにご婦人は抱きついてきた。
「先生のことが好きだ。」
私の顔がこわばっているのが自分でもわかる。そんな事にはお構いなしで、
「46年ぶりに男に抱いてもらいたい。」といって私にしなだれかかってくる。

「・・・僕も、そんなにいってもらってうれしいけど・・・」
さすがに震えるわけにはいかないが、私はとても怖かった。

「だんなは浮気ものだったけど、私は浮気も何もしなかったから・・・」
何もいまさら浮気しなくとも・・と思いながら
「また来ますから。」とさらに引きつった顔で早々に退散しようとする私の背後から、ドスの効いた声が聞こえる。

あぁ。次の訪問が怖い。
最後のドスの効いた言葉が耳について離れない。
「必ずまた来るのよ!」

小さい手術

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在宅でも時に小さい手術を行わなくてはならないことがあります。
感染したポートを除去するために、2人の優秀な若手在宅医による手術を手伝っている私は、懐中電灯で照らす係りでした。

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