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『父は意地悪なんです。だってヘルパーさんがいる間はじっと寝ているくせに、帰ったとたん、トイレに行くといって私たちに要らぬ手をかけさせてばかりいるのですから・・』長年介護をしてきた娘が苦笑しながらぼやいた。
娘は、高齢の父親だけではなく、常に腰痛にさいなまれる母親の介護をも余儀なくされている。父親はほとんど寝たきり、しかしオムツやポータブルトイレはいや。トイレだけはどうしても行くといいはって聞かない。崩れ落ちそうになる父親を支えて7〜8メートル離れたトイレに一日何度も連れて行かなくてはならない。しかも父親のこだわりは、このトイレへの介助はヘルパーには頼まず、娘にしてもらいたいということらしい。
歩行中の息切れも激しいし、転倒のリスクもばかにならない。
本来ならば私は医師の立場から『トイレに行くのは体力低下も心配されるし、転倒も危険だからやめましょう。』というべきなのだろうが、私も苦笑して娘の愚痴に耳を傾けているしかない。おそらく私が言っても聞かないだろうと娘もあきらめ気味だ。
実は、オムツやポータブルトイレを嫌う人は少なくない。彼にとってもトイレに行くことは尊厳的に重要な問題なのだろう。それもなるべく他人の世話になりたくないという気持ちなのだろうと周囲は推測している。
尊厳をとるのか?介護しやすさや安全をとるのか?
本当はどちらもとりたいところだが、そうは行かないことが多い。元気なうちには本人の意向が中心だが、虚弱化が進んだとき、すべての生活行為が危険になるという段階で、安全や介護のしやすさというのが前面に出てくる。
実際多くの認知症の方々が生活する施設では、電子暗号がわからなければ出入りできない電磁ロックによって守られていたり、ベットから降りたらアラームがなるように設定されていることもある。
在宅医療はどちらかというと尊厳を尊重することに重きを置いている医療である。転倒のリスクや肺炎のリスク、脳梗塞のリスクなどを抱えている高齢者は少なくない。だから外出せず、食事せず、しょっちゅうCT検査をするというわけではないのだ。事故に無防備ではいけないが、一方で事故を恐れるあまり過度に保護的であることは尊厳ある生き方を阻害し、結果は虚弱化を進めると考えるからである。しかしずっと尊厳を大切にとばかり言い切ることもできていない。虚弱化が進んだとき、在宅でも保護的に対応せざるを得ないことも多々生じてくるのだ。たとえば認知症の症状が進み、徘徊意欲が強まったとき、保護・安全的に徘徊を防ぐ家庭や町にするのか、尊厳を重視して徘徊を認め、徘徊しても安全な町を目指すのか?
今後私たちの世代が答えを探すべき根源的問いに、まだ誰も答えを出していない。
虚弱化したら保護一辺倒という考え方から、虚弱化しても尊厳も大事にできるような転換が図れるかどうかこそが、高齢化社会という怪物が、今の時代に突きつけている刃のように思える。
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