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今回は私が今、一番注目している若手指揮者の一人、アンドリス・ネルソンズの指揮するバーミンガム市交響楽団による演奏でチャイコフスキーの交響曲第5番です。このネルソンズという指揮者、確かまだ来日したことはないはずなので、一般的にはメジャーではないですが、若くして以前のサイモン・ラトルの手兵バーミンガム市響の音楽監督に就任し、将来を約束されたマエストロの一人と言って良いでしょう。近年、ORFEOレーベルを中心に彼を頻繁に起用していまして、同じく期待されているアラベラ・美歩・シュタインバッハーやバイバ・スクリデ等のスター候補生のバックを任せられるという逸材。このアルバムは昨年出たばかりの新譜で、実質的な彼の単独デビュー盤。名刺代わりにいきなりチャイ5で勝負する辺り、よほど自信を持っているのでしょう。その出来栄えは期待を遥かに上回る素晴らしさで、素晴らしい名演の一つとなりました。私もこのアルバムは、恐らくこれからも頻繁に聞くものの一つになろうかと思いますが、まだ若いネルソンズのこと、恐らくこれから再録音の機会に恵まれるでしょう。そのときのために『殿堂入り』の称号はお預けにしておきます(笑)
さて、このアンドリス・ネルソンズ、若手と書きましたが1978年生まれだそうで、まだ32歳。上述の通り、2007年に29歳の若さでバーミンガム市響の音楽監督に就任(ラトルは25歳から18年間その任にありましたから、特段驚くべきことではありませんが…)。また、彼の師はあのマリス・ヤンソンス。今やロイヤル・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響を制圧し最も多忙で勢いのある名匠を師としているのですから、そのバトンテクニックも間違いないでしょう。噂では、指揮姿がヤンソンスそっくり瓜二つとのこと。そしてバーミンガム市響はラトルとのコンビで一世を風靡し、その後も北欧の俊英サカリ・オラモに率いられる等、音楽シーンにホットな話題を提供してきた名門オーケストラ。過去にはあのエルガーも指揮し、エイドリアン・ボールトやルイ・フレモー等の名匠に率いられたイギリスでも随一の名門。その名門を託されたネルソンズが、どれだけ素晴らしい力量の持ち主であるかは言わずもがなですね。いずれ近いうちに手兵を率いた来日公演が実現することでしょう。バーミンガム市響のレコーディングと言えばラトルとの数々の名盤、中でもマーラーの交響曲全集やバルトークの『管弦楽のための協奏曲』、ストラヴィンスキー等はベストを争うほどの大変なインパクトを持った名盤中の名盤。私も、実は第7番の『夜の歌』やストラヴィンスキーの3大バレエは彼等の演奏で開眼したと言っても過言ではありません。未だに私の中では『夜の歌』と言えば彼等の演奏を筆頭に指折りたいくらい、それほどまでに実はラトルが鍛え上げたオーケストラの確かな技巧と歌心、ラトル特有の挑発的なリズムへの鋭敏な対応等、非常に優れた特徴を持つオーケストラだというイメージが私の中では強いんですが、このチャイコフスキーの5番は、その点で見ても大変素晴らしい出来栄えになっています。オラモの時代は新しい録音にはあまり恵まれませんでしたが、これからのネルソンズとの意欲的なリリースを大いに期待したいところです。
さて、それでは曲を聞いてみることにしようと思いますが、細部に入る前にまず全体的な特徴を。全体的に中庸かやや遅めのテンポが採られており、耳をつんざくような轟音こそないものの、程良い分離感と優れた解像度、上下左右に大きく広がる音場感を持った優秀な録音と相俟って、ダイナミックレンジも比較的大きく取られていて、そのせいか懐の深いスケールの大きな演奏になっています。第1楽章は『アンダンテ〜アレグロ・コン・アニマ』。『運命の動機』とも言われる冒頭序奏部分のクラリネットの動機は、全楽章を通じて姿形を変えて何度も登場してくるため、その音色が全体の雰囲気を左右するというほどの重要なメロディですけれども、ネルソンズは比較的明るめの音色を採用し、聞こえない程の微かな弱音ではなく、割と大きめの音量で導入するのが印象的。音色は暗くありませんが呼吸が深いのと強弱の幅が大きく、また低弦を中心とした伴奏音型が見事なまでに大きく歌うので、全体的なボリューム感はかなりのものですね。2分50秒を境に主部に入りますが、この直前のパウゼがかなり大きく取られていて、弦楽器の弱音によって導かれる伴奏音型への場面転換が見事に実現しています。そして、主部に入ってからも比較的緩やかなテンポであり、先を急ぎ過ぎない落ち着いた音楽が展開されていきますが、第一主題を提示するクラリネットとファゴットのユニゾンにおける呼吸もまた大きく、インテンポながらフレーズ内のクレッシェンドとデクレシェンドの感じ方が見事に再現されています。そして、直後主導権がヴァイオリンに移り、木管群が代わる代わる明滅するシーン(3分20秒辺りから)では上述の優秀録音が威力を発揮し、各パートがどの位置にいるかが手に取るように分かるのが凄いですね。トゥッティの箇所でも決してイレ込まずにインテンポを保ち、金管群の音色は煩く破綻するようなこともなく、節度ある『大人の音楽』が展開されていきますけれども、要所を締めるティンパニの強打が割と大きく捉えられているためか、重厚さとシンフォニックな響きを失うこともなく、実に見事なバランス感覚を示しています。私は基本的にサヴァリッシュ先生風の演奏が大好きなので、こういう解釈は非常に好感が持てますね。これを『草食系の演奏』と笑うことなかれ。これはこれで凄い演奏ですよ。第二主題(6分1秒)に至る前の経過主題(4分40秒辺りから)も決して疎かにせず、弾むようなピッツィカートに至るまで、生き生きとした呼吸で歌われるのも見逃せない箇所。第二主題も極力テンポを崩さずに、しかし丁寧かつ流麗な音色で歌い込まれていきます。魅力的な弦楽器の音色ですね。そして、私がこの第1楽章で大きな感銘を受けたのは、9分30秒からファゴットを頭に第一主題が再現する箇所。これほど鮮やかに、しかしながら憂いを帯びた形でここの木管楽器が聞こえる演奏を、私は他にあまり知りません。特にファゴットとオーボエのソロが絶品の美しさ!13分34秒からのコーダも、この演奏の特徴が非常に良く表れており、テンポの変化は最小限、響きが混濁することもイレ込み過ぎることもなく、かと言って厚みに不足することもない見事なバランス感覚に貫かれているのです。
第2楽章は『アンダンテ・カンタービレ・コン・アルクナ・リチェンツァ』で、チャイコフスキーの数ある名旋律の中でも際立って美しいものの一つ。ここを目当てにこの曲を聞きに行くという方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか?(笑)例の、郷愁と涙を誘う極めて息の長いホルンの独奏で始まりますけど、1にも2にも、とにかくこの楽章はホルンが成否を分けます。そして、この演奏は…上述の『湧々堂』のレビューでは酷評されていますが、私個人の意見としては、トップクラスの一世一代的な名演奏には譲るものの、その期待に充分応えていると思います。冒頭の、微かに聞こえてくる低弦の導入音型から、この美しいホルンソロを支えるヴァイオリンの伴奏音型にかけて、バーミンガム市響の弦楽セクションの素晴らしさも特筆もの。そして、実はその後に頻繁に出てくる木管楽器によるフレーズのあまりの素晴らしさ故に、このホルンソロの良さが埋没してしまったのではないかと思えるほどに、オーボエ、クラリネット、ファゴット、フルートのソロが絶品の美しさ!とにかく何とも言えず、単に美しいという言葉以外に見つからないのですが、それだけでは済まされない何かが宿っていると、この木管群の音色を聞いて思います。例えば、中間部分のトゥッティの嵐が一段階して、ヴァイオリンによってテーマがしっとりと歌われる箇所(7分42秒から)、ここで絡み付くオーボエの音色の何たるまろやかさと艶かしさ!一方、中間部分のトゥッティ等は相変わらずインテンポで淡々と進む傾向があり、金管楽器の咆哮もハメを外すくらいまで混濁しないために若干の迫力不足は否めず、この辺りが『激情系』演奏を期待される向きには評価が分かれるところ。しかし、パウゼが長めに取られていたり、普段なかなか聞かれないような伴奏音型が浮かび上がっていたりと、かなり意欲的に示唆に富んだ演奏と言えましょう。
第3楽章は『アレグロ・モデラート』のワルツ。冒頭の導入はかなり弱い音になってますが、テンポ設定は非常に適切でインテンポと相俟って、グッと引き付ける魅力があります。音量バランスもどちらかと言えば特定のパートが突出するというのでもなくて、室内楽的なアプローチと言えるかも知れません。録音の優秀さも手伝ってか、各パートの掛け合いや絡み合う様を聞くのにこれほど適した録音はないと思えるほどです。第2楽章で指摘した木管楽器群のチャーミングかつ意味深い音色はここでも威力を発揮し、とかく単調になりがちなネルソンズのアプローチを引き締める役割を果たしていると言えますね。この楽章ばかりは特に優れた演奏とも言えないのですが…
第4楽章は『アンダンテ・マエストーソ』の序奏と『アレグロ・ヴィヴァーチェ』の主部をもつフィナーレ。序奏は『マエストーソ』の指定を無視したかのような軽さが少し気になり、ネルソンズならもう少し出来るような気もします。主部に突入しても『草食系』の面目躍如で、決して我を失うほどに没入し、感情の赴くままに歌い抜く演奏とは180度アプローチが違いますので、ここは両者の違いをともに楽しむべきでしょうね。ちなみに、私はスヴェトラーノフやフェドセーエフ、ロジェストヴェンスキー等の金管バリバリ&ティンパニズンドコタイプ、あるいはバーンスタインのようなネットリと情念渦巻く『肉食系』の演奏も好んで聞きます(笑)主部に突入する部分や、マーチ風のコーダにおいても決して我を失わず、瓦解や崩壊とは無縁のスーパーインテンポな演奏。しかし、テンポ設定が良いからなのか、心地良いスピード感を終始感じさせてくれるのも特質の一つと言えるでしょうね。それはともかく、この極限まで沈着冷静なインテンポ感は、ある意味不気味で戦慄すら覚えるほどです。
上述の通り、この演奏のキーワードは1にも2にも『冷徹なまでのインテンポ』。そして、バーミンガム市響の優秀な各セクションと優秀な録音のお陰もあり、この演奏が冷たく金属的なものに陥るところから救っています。そう、タイプで言うならデュトワのチャイコフスキーに似てますかね。そういうチャイコフスキーが嫌いな方は、絶対に手をださぬように。火傷しても責任は取りませんよ(笑)
【詳細タイミング】
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
第一楽章:14分53秒
第二楽章:13分21秒
第三楽章:5分44秒
第四楽章:12分16秒
合計:約46分
【オススメ度】
解釈:★★★★☆
オーケストラの技量:★★★★★
アンサンブル:★★★★★
ライヴ度:★☆☆☆☆
総合:★★★★☆
アンドリス・ネルソンズ指揮バーミンガム市交響楽団
2008年10月16〜17日バーミンガム、シンフォニー・ホール
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