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3月12日午前5時45分、北千住駅から歩き始めた私達は取り急ぎ、隣の綾瀬駅を目指して進みました。直線距離にして約4〜5キロ、ほぼ通常時の徒歩の時速と変わりませんから、約1時間で着く計算になります。しかし、前回の記事でも書きましたが、今までの人生にないくらいの疲労と体中の痛みを感じていた体は既に限界を超えていて、後から歩いてくる人達にいとも簡単に抜かされてしまう始末。。。これでは松戸を目指すどころか、綾瀬に着ければ良いというくらいに進度が落ちていました。
日光街道(国道4号線)を宇都宮方面に歩いて行くと、荒川を渡る千住新橋があります。駅で言うと、東武戦の五反野や小菅という駅のそばです。この千住新橋を歩いているとき、ちょうど朝日が昇るところでして、非常に眩しく感じたのを記憶しています。と同時に、この災害を現実のものと考えるにはあまりにも切迫した、しかしながら大変神々しい光景を私達は目撃することになります。我々の後ろから歩いてきた一人の女性が、その朝日に向かって両手を合わせて、ジーッと拝んでいらっしゃいました。何を祈られていたのか…実際は一分くらいだったと思いますが、本当に長く感じられ、その光景に打たれた先生は『良いと思ったことはとことん取り入れる性分でね』というようなことを仰り、同じように拝んでいらっしゃいました。本当に、私達の気持ちを代弁するかのような、とても印象的な光景でした…
千住新橋を渡り切った後、右方向に曲がって有名な小菅の『東京拘置所』を右手に見ながら真っすぐに歩いて行くと綾瀬に到着します。先生も私もそのことは重々分かっていましたが、先生は『こういうときは地元の人に聞くのが一番だ』と言い、人に会う度に『綾瀬はどっちですかね?』と聞いておられました。恐らく、人と話をしていないと不安な気持ちが拭い切れなかったのではないかと思います。そして、この綾瀬に向かう道すがら、私は東京にもこの大震災の爪痕が紛れもなく残されていることに、ただただ愕然とさせられました…写真が撮れなかったので申し訳ありませんが、この通り沿いにカラーコーンが何個か置かれていて、『警視庁』と書かれたテープが張られて歩道をそのまま歩けないようになっている箇所があったのですが、『何だろう?』と思って近づいてみると、木造家屋が見事に崩壊、いや、『崩落』と言った方が適切でしょう、完全に崩れ落ちいてるのを目撃しました。向かい側に建っている近代的なマンションの堅牢さとはあまりにも対照的であり、何とも言えぬ気持ちに襲われた1シーンでありました…後から考えてみると、東北の被災地の瓦礫の山が大変痛々しく我々の目に焼き付いていますが、その縮図のようなものがあの場所にあったのではないかと、前日までと変わらぬ3月12日が静かに始まり、日常生活に溶け込んだ中でその部分だけ原色が塗られて切り取られているかのような、非常に異様な光景でした。
そうこうしているうちに、ファミリーマートが見えてきたので、最早気力だけで歩いている私達はタバコを吸うための休憩を取ることにしました。店内から出て来た方に、先生は持ち前の人懐っこさを武器に『もうじき綾瀬駅ですかね?』と話しかけ、『今、北千住から歩いて来たんですよ』『これから松戸まで歩こうと思っているんです』と捲し立てると、その女性はどうも地元の方ではなかったようで、『地震凄かったですね。私も良く分からないんですが、どうも常磐線が7時くらいから動き出すみたいですよ』ということでした。正直、私はその場に座り込んでしまいそうなくらいに、その情報に救われ、もう天にも昇りそうな心地でしたね。。。今まで張り詰めていた緊張の糸が一気に切れてしまい、今まで以上の疲労感が体中を駆け巡りました。もう、松戸まで歩く気力はありませんでしたし、出来ることなら綾瀬駅まですら歩くことを止めてしまいたかったくらいです…『先生、良かったですね!綾瀬から電車に乗れますよ!』私はとにかく、どう考えても若い私がここで疲労の色を見せてしまったら、同じ思いをされているであろう先生に、更なるダメージを与えかねないと思いまして、とにかく道を急ぐことを勧めました。午前6時45分、先生も大変嬉しそうで、『綾瀬に着いたらとにかくモーニングでも食べよう』と仰り、心なしか先ほどよりも足取りが軽やかになったように見受けられました。。。
※家内は今日から仕事だそうです。先ほど車で出掛けて行きましたが、とても心配ですね。。。私も明日からの仕事、正直全く気が乗りません…どうか大きな余震だけは起こりませんように…
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