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久しぶりのCDレビュー、しかもまたマーラー関連で恐縮です。しかも、まだ取り上げていない作品が残っているにも関わらず、再び『巨人』を取り上げるとは何事かとお叱りを受けそうですが…
今回ご紹介致します演奏は、近年の演奏を主に取り上げる私には珍しいことですが、往年の名指揮者、ハンス・シュミット・イッセルシュテットが北ドイツ放送交響楽団を指揮した、マーラーの交響曲第1番『巨人』の1969年の(放送用?)ライヴ録音で、ターラ・レーベルからの1枚でございます。この録音、1960年代の録音とは思えぬほどに非常に鮮明で立体的な音響空間であることにまず驚かされます。実はこのアイテムには同じ60年代の演奏によるマーラーの4番がカップリングされていますが、そちらと比較すると一聴瞭然。大変聞きやすい録音ですので、私のような歴史的録音が苦手な人間でも非常にとっつきやすいというのが大きな魅力の一つ。 皆さんはシュミット・イッセルシュテットという名前を聞いて、どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか?シゲティとのベートーヴェンのコンチェルト、あるいはデッカに録音されたウィーン・フィルとの(ウィーン・フィルにとっての初のステレオ録音によるベートーヴェン全集となった)ベートーヴェンの交響曲全集、バックハウスと入れた同じくベートーヴェンのピアノ協奏曲全集という三つの巨大な金字塔が聳え立っていて、今でも各曲を代表する名盤として知られていますね。すなわち、ベートーヴェン演奏における正統派後継者の一人というイメージが、多くの方が抱かれるシュミット・イッセルシュテット像なのではないかと思います。あるいはヌヴーとの奇跡的なブラームスのコンチェルト。そして、ターラやEMIからの北ドイツ放送のライヴ音源が発掘され出したのはここ10年20年くらいのことだったはず。しかし、実は彼の功績の全貌が現状では正しく把握されていないのではないかという思いが、このマーラーの名演を収めたアルバムを聞くにつけ、強くなって参ります。余談ですが、私も彼の熱心な愛好家ではありませんのでこのマーラーと上述のベートーヴェン、あるいはターラやEMIの放送音源以外では、同じくEMIに録音されたモーツアルトの『イドメネオ』の全曲録音くらいしか知りません。がしかし、また折を見てご紹介したいと思いますが、この豪華キャストによる『イドメネオ』は数あるモーツアルトオペラの録音の中でも十指には入れたいくらいの、極めて優れた名盤であります(オーケストラはシュターツカペレ・ドレスデン!)。かようなわけで、マエストロ・シュミット・イッセルシュテットについては、私も改めて再評価しなければならない指揮者の一人です。 そのハンス・シュミット・イッセルシュテットですが、彼は1900年ベルリンに生まれ、私が生まれた約1ヶ月半後に73歳で没したとのことです。フランツ・シュレーカーに作曲を師事、1923年からヴッパータール歌劇場にてコレペティトゥーアとしてキャリアをスタート。35年にはハンブルク国立歌劇場の首席指揮者、42年にはベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任。そして、マエストロ最大の功績は45年に初めて演奏会を開いた北ドイツ放送交響楽団の結成に最大限尽力したことでしょう。首席指揮者就任後、26年もの長きに渡って楽団の発展に尽力したマエストロは、そのポスト退任後も終身名誉指揮者として精力的に活動しました。今回ご紹介致します『巨人』はそのようなマエストロの最円熟期、キャリアの集大成を迎える時期の素晴らしい名演の記録でございます。 第1楽章それでは、曲の細部を見てみることにしましょう。まず第1楽章冒頭部分を聞いて明らかなのは、通常最弱音で奏されるトレモロをかなり大きめの音量で弾かせており、繊細で情緒的な演奏であるというよりは、かなり豪放磊落、ときには田舎臭ささえいとわないほどのドッシリ構えたそのフォルムの見事さでありましょう。シュミット・イッセルシュテットの人柄が滲み出たかのような柔らかく、素朴な音色を醸し出すホルンのユニゾンとともに、冒頭部分の雰囲気がこれほどまでに『ドイツの森』を感じさせる演奏も稀であり、その大半が弦楽合奏の素晴らしさに起因していると考えます。現在の北ドイツ放送響はテンシュテットやヴァント、エッシェンバッハといった巨匠指揮者に率いられてきましたから当然でしょうが、シュミット・イッセルシュテットの時代から既に弦楽器の美しさには刮目すべきものがあります。3分25秒辺りからチェロによって導入される第一主題は殊更にその躍動感やリズムを強調し過ぎることなく、また妙に歌い込まれ過ぎることなく実に自然体であるのが好感度大。変にアッチェランドやリタルダンドをかけずに極力インテンポが守られているのもこの巨匠の大きな美点の一つですが、人によっては物足りないと思われる場面もなきにしもあらず…が、しっとりとした音色が魅力的なヴァイオリンやクラリネットが素晴らしく、7分前後においてトゥッティで強奏する箇所等においても清涼感すら漂わせる爽やかさが絶品です。さて、7分30秒辺りから始まる展開部においては、上述のような特徴がより一層生かされている印象があり、その上で自然なテンポ設定がなされているせいか、曲の良さが十二分に前面に出て大変瑞々しい表現になっていることを高く評価したいと思います。そして、フィナーレの終盤で非常に重要な役割を担うフレーズが寄せては返す波のように現れる12分過ぎ辺りから帯びてくる熱気も充分なんですが、決して『頑張って鳴らしてるな』という印象を与えることがなく、主役となるヴァイオリンや、ホルン・トランペットを軸とする金管を中心に見事なまでに骨太な分厚い響きを獲得しています。以前、サカリ・オラモの名演を『21世紀を代表するに足る名盤』としてご紹介しましたけれども、それはかなり斬新な解釈を読み尽くされたスコアから新たに掬い取り、新たな解釈の可能性を存分に感じさせる新しいタイプの名演でありましたが、このシュミット・イッセルシュテット盤の安心感といいますか、どこか懐かしさすら感じさせる素朴な演奏は誠にもって見事の一語に尽きます。第2楽章実は次の第2楽章及び第3楽章の中間部の箇所こそ、私がこのマエストロの『職人芸』といいますか、芸格の素晴らしさを感じた最も特徴的な箇所であります。この演奏では一聴してお分かりのように、平均的な演奏に比べるとかなり緩やかなテンポ設定になっているのが最大の特徴。事実、平均的には7分〜8分程度で演奏されるところを、シュミット・イッセルシュテットは実に10分以上もかけて丁寧に演奏しています。この楽章は有名なメロディが付点のリズムを基調としているためか、一般的にはこの楽章がスケルツォである点と『力強く運動して』という表記を意識してか、このリズムにものを言わせて一気に捲し立てるような演奏が特に現代の演奏では多いような気がしますが、この音楽は元を質せば『森を散策するような』イメージも内包しているはずですので、このようなアプローチもとても理に敵っていると思いますね。チェロによる冒頭のリズム音型の力強さも比類なく、このテンポであればこそと思わせるに充分な必然性を湛えています。ここで重要な役割を果たす木管群のうち特にクラリネットが時おり『ひっくり返ったような』音を出すのはご愛嬌ですが、それもこの演奏の独自性に比べれば些細な疵に過ぎません。中間部直前の4分過ぎ辺りでのジワジワと立ち上る高揚感も第1楽章のクライマックス同様であり(ラストも同様)、続く4分48秒からの中間部のワルツの落ち着いた雰囲気と見事なコントラストを描き出しているのも印象的。とても落ち着いた『大人の音楽』というイメージで実に魅力的です。第3楽章第3楽章は先に述べましたように、葬送行進曲よりもトリオの箇所が特に秀逸の出来映え。その葬送行進曲は殊更に弱音を強調することなく、むしろピアノ程度の強さで演奏されていますので、恐らくマエストロの興味も中間部にあったのだと思いますが、やはり弦楽合奏のハーモニーの美しさが比類ないためか、あるいは2分42秒からのオーボエによる印象的なフレーズや、3分8秒からのクラリネットによるおどけたメロディを支える弦楽器のコルレーニョ等の細かい部分にも決して手を抜かずに豊かな陰影がつけられているせいもあってか、一見(ボリュームバランス的には決してダイナミックレンジが広いとは言えず)淡白に見えるような演奏でありながらも実に魅力的な演奏となっています。金管の素朴な味わいもまたこの演奏の解釈に相応しく、聞けば聞くほどに味が出てくる演奏と申せましょう。そして、5分30秒過ぎからのハープをサインに始まる中間部の美しさが絶品!北ドイツ放送響の、コンサートマスターをはじめとする各パートの首席奏者達の渋いながらも美しい音色を、是非とも堪能して頂きたいものです。第4楽章さて、ここまで聞いてきてお分かりのように、この演奏を端的に表すキーワードとしては『自然体』、『素朴』といった辺りが思い浮かぶのですが、続くフィナーレはそれにアルファが加わって少し様相が異なります。第1楽章でもその特徴として挙げましたけれども、ここではそれに加えて『豪放磊落』というキーワードが強烈な光を放ちます。すなわち、一歩間違えると単調に陥ってしまうような『力づく』のオーケストラドライブが加わり、この劇的なフィナーレを起伏豊かに描き切っているのです。バーンスタインやテンシュテットに代表されるように自らの命を賭して身を削ってまで感情移入する演奏とは全く異なりますが、各パートがコツコツと、一つ一つ丁寧に積み上げられ、見事なまでに『そこにあるべき姿』で鳴る様は圧巻で、これぞ正に『ドイツ音楽の本流、正統だ』と思わせるに充分な、凄まじいエネルギーとパッションを内包した名演になっています。一つだけ例を挙げるとするならばやはり16分45秒のシンバルを含めたトゥッティによるフォルティッシモの和音から、ラストのクライマックスにかけてでしょうね。決して小細工を弄することなく速めのインテンポで突き進む解釈は、恐らくこの巨匠に抱かれている一面に過ぎないイメージを木っ端微塵に打ち砕くこと請け合いと思います。そして、最も重要な役割を果たす金管が登場する場面ではかなり大きくテンポを落として高らかに歌わせるバランス感覚が絶妙であり、その勇壮かつ荘厳なメロディを支える弦楽器が実に雄弁に語っているのも大きな特徴。ラストの和音が鳴り響く瞬間のパワーの解放も、聞き手に充分な満足感を与えてくれることでしょう。大変優れた熱演です。総括現代の演奏にもこれを凌駕するテクニックやアンサンブルを誇るオーケストラはいくらでもありますし、そういった意味での名演も数多く存在していますけれども、音楽の演奏行為がとことんまで『デジタル化』してしまうことに対しては私は危惧を抱いています。とにかくそんな時代の流れからするとこのシュミット・イッセルシュテットの名演のアナログ的効果の大きさは計り知れません。※殿堂入りにすべきか非常に迷いましたが、もうちょっとという意味で一点減点させて頂きました
詳細タイミングマーラー:交響曲第1番ニ長調『巨人』
オススメ度解釈:★★★★★
オーケストラの技量:★★★☆☆ アンサンブル:★★★☆☆ ライヴ度:★★★★☆ 総合:★★★★☆ 録音データハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団
1969年1月6日ハンブルク、ムジーク・ハレ(ライヴ)
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