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前田健太 |
広島東洋カープ
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基本情報 出身地 大阪府大阪市住之江区 生年月日 1975年2月10日(34歳) 身長 約185cm 体重 約95kg 選手情報 投球・打席 右投右打 守備位置 投手 プロ入り 1996年 ドラフト2位(逆指名) 初出場 / 1997年4月25日 上宮高等学校 専修大学 広島東洋カープ (1997 - 2007) ロサンゼルス・ドジャース (2008 - ) 持ち球 ストレート・スライダー・シュート・カットボール・ツーシーム・フォーク・チェンジアップ ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団。 オールスターゲーム初出場の2001年より3年連続2ケタ勝利を達成、日本プロ野球を代表する本格派右腕に成長。当時、同い年の読売ジャイアンツの主砲松井秀喜との互いに相譲らない力と力の真っ向勝負は名勝負となった。 2005年にはオールスターゲームにファン投票で選出され出場を果たし、リーグ最多勝利で初タイトルを獲得。年俸2億円に達する。 2006年にFA権を取得するが、広島に残留。 プレースタイル 現在のプロ野球を代表する先発完投型の本格派右腕である。完投の多さから「ミスター完投」の異名を持つ。11年間に74完投を記録している。 試合を作っても援護点に恵まれない投手としても有名であり、2005年シーズンには互いが完封リレーを行い0-0というスコアで引き分けてしまうという試合(4月15日対横浜戦、相手投手は三浦)もあった。また、味方が大量得点をとると急に打ち出される傾向も否めないので、接戦でこそ燃える投手の部類に入る。 松井との名勝負で巨人キラーとして名を上げ、実際巨人戦になると「燃える」というが、2005年の横浜・土肥義弘のように巨人打線と相性が合って得意にしているというタイプではなく、広島の好投手、全盛時の川口や大野の系譜を継いでいる。最速157km/hのストレートに140km/h前半から後半を計測する高速フォークさらには130km/hから140km/hの高速スライダー、2005年からは150km/hを計測することもあるシュートを投げるようになった。江川卓が「調子がいい時の彼のストレートは、ど真ん中に放っても打たれない」と自著で評価したり、チームが完封された中日・落合博満監督が「今日の(2006年7月2日、3安打完封)黒田はオレが現役の時でも打てない。だからウチの選手が打てる訳がない」と評した。 野手としての守備力も松坂大輔などに匹敵する評価を受けている。打撃は苦手分野であり、連続無安打の記録を作ったこともある。しかし1999年には甲子園での阪神戦で、満塁で決勝のセーフティバントを成功させたことがある。
2006年FA去就
2006年5月31日にFA権を取得。本人は「これを機に他球団の評価も聞いてみたい」と語った。父に「巨人にだけは負けてはならない」と言われ続けたこともあってか黒田本人は生来の巨人キラーであり、黒田自身も巨人戦に登板すると「燃える」としている。そのためポスティング移籍を希望していた松坂大輔や井川慶の穴を埋める投手として、西武や阪神が積極的に触手を伸ばす。また、資金力が豊かなソフトバンクが積極的な獲得姿勢を示し、同年FA宣言した小笠原道大中心に動いていたが中日と巨人も意思は示したとされる。 広島球団はこれまで、年俸高騰の理由からFA権を行使しての残留を一切認めておらず(これはかつて同チームの主砲を務めていた金本知憲(現・阪神)本人から相当譲歩したFA残留条件に対しても例外ではなかった)、宣言選手は引き止めないという方針であった。しかし、脆弱な投手陣が下位低迷の大きな原因となっている中で、安定した成績を残している大黒柱の黒田が去る事になれば、チームにとっては死活問題になるため、今回ばかりは黒田が宣言をしても残留交渉に動くということで注目され「5年10億円」契約提案説などが出ていた。 10月15日、球団は「4年10億円+生涯保障、指導者手形」という条件を提示。本格的に何が何でも黒田を引き止める方針であることを明らかにした。年俸だけを単年ベースでみると、1年2億5000万円であり、2006年の年俸が2億円であることから、タイトル奪取などの活躍とFA宣言をもってしても5000万円のみの昇給で、以後3年は現状維持だが、カープで従来2億円超えを経験した選手は前田智徳と金本知憲のみであり、破格の条件と言えた。そして2006年11月6日に4年契約12億円(基本年俸2億5000万円+単年最大5000万円の出来高込。当初の条件に出来高を上乗せしている)でFA宣言せずそのまま広島に残留することを表明した。 なおこの契約は、4年の契約期間内でも自由にメジャーリーグ挑戦できるようになっていた。また黒田は「今後も国内他球団の移籍はない」と明言して、国内なら「生涯広島」を宣言した。経営資源に劣る広島球団側にはじわじわと条件を上げつつ説得という選択肢しかなかったとは言え、経営健全化に取り組むチームが増える中でもとかくインフレ的条件の乱れ飛びがちなFA戦線にあって異色の結果となった。 FA権を行使せずに残留を決めたこと、残留会見での発言(「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」)は各方面に主に好意的な反響を呼んだ。また、2006年の選手会のベストエピソード賞に選ばれ、黒田の野球用具を担当するSSKは、社を挙げて黒田をキャンペーンすることを決定した。そして市民に感動を与えたことが評価され、広島市は「広島市民表彰」を黒田に授与すると発表した(球団4人目)。 2006年シーズン終盤、FA移籍の情報が各スポーツ紙を賑わせている真っ只中、長いカープの低迷と共にファンの熱も冷めてしまったと評されたファンが動き、完成させたのが広島市民球場外野席に突如現れた巨大横断幕である。それには多くのファンからのメッセージ、そして大きな文字で「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」と記されていた。さらに黒田のシーズン最終登板試合には満員のファンが黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げた。「あのファンの気持ちは大きかった」と黒田も述べていた。この一連のエピソードは2007年7月に『誰がために〜黒田博樹物語〜』(漫画:吉原基貴、原案協力・取材:戸塚啓)として漫画化され、ヤングアニマル(白泉社)に掲載された。
タイトル
最多勝:1回 - 2005年(15勝) 最優秀防御率:1回 - 2006年(1.85) 最優秀投手:1回 - 2005年 ベストナイン:1回 - 2005年 ゴールデングラブ賞:1回 - 2005年 月間MVP:3回 - 2005年5月、2006年7月、2006年8月 スピードアップ賞:1回 - 2006年
個人記録
初出場・初勝利:1997年4月25日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム) 初セーブ:2006年10月16日、対中日ドラゴンズ22回戦(広島市民球場) 通算1000奪三振:2006年4月6日、対阪神タイガース2回戦(倉敷マスカットスタジアム)打者は赤星憲広 通算100勝:2007年7月14日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム) MLB初出場・初勝利:2008年4月4日(現地時間)、対サンディエゴ・パドレス戦(ペトコ・パーク)
エピソード
アメリカで常に広島カープの試合を細かくチェックしている。自宅ではカープの試合をインターネットで見られるように契約し、視聴も出来る環境にした。 アメリカに居ても、カープの広池浩司、大竹寛、巨人(現オリオールズ)の上原浩治らと頻繁にメールを交わしている。 ドジャースの入団会見では、背番号は18に決まっていたが、作成に間に合わなかったため入団会見の背番号は08になっている。 上記のFA去就の言動が好意的にとられていること。初のカープ出身メジャーリーガーということもあり、現在でも広島の地方ニュースやローカルのスポーツニュースでは黒田の登板試合は毎回報道されている。 かっこいい〜〜〜〜〜! 背番号一緒だし、○○も一緒だし〜〜〜! めちゃかっこいい!
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カープが最近獲得した新外国人が今日の巨人戦で |

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先日、オールスターゲームのファン投票の結果が発表されました。 |

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セ・パ交流戦が終わりました! |



