| 山陽自動車道(広島岩国道路)を広島方面から山口・九州方面に向かう途中、宮浜温泉の辺りで山側に「残念さん」と書かれた看板があるのをご存知でしょうか。実は前からそのことが気になっていたので、この度、その謎を探ってみることにしました。 |
| 宮浜温泉にある有名旅館「石庭」の前の道を登って、山陽自動車道の高架下の空き地に車を停めます。ここから先は山道を歩くことになります。山道にはところどころの木に「西国街道 残念さん道」と書かれた青い案内板が貼られているので、分岐点でも迷うことはありません。こんな細い山道でも昔は西国街道だったのかと驚かされます。途中、山道の脇にはいくつもの石垣がありますがこれは田んぼの名残でしょうか。この辺り一帯は「四十八坂」と呼ばれ第二次長州戦争の古戦場とのことです。 |
| しばらく山道を歩いていき、谷あいを流れる小川の飛び石を渡ると、向こうに小さな赤い鳥居が見えてきました。これが「残念社」で、地元では親しみを込めて「残念さん」と呼ばれています。祠の中に墓があり、その前に鳥居が建つという珍しい形式の神社です。 |
| 「残念さん」は、第二次長州戦争のときにこの地で戦死した、丹波宮津藩の藩士「依田半蔵(よだはんぞう)」を祀った墓です。ここ四十八坂から西の安芸・周防の藩境にかけては、第二次長州戦争の激戦地でした。慶応2(1866)年7月9日、半蔵は、軍使として長州藩に赴く途中、ここ四十八坂で山かげに潜んでいた長州軍に、幕府軍と勘違いされて狙撃され、半蔵は「残念」と叫んで倒れ戦死しました。後で事情を知った長州軍は大いに遺憾の意を表し、土地の人も半蔵の死を悼んで、祠を建てて祀ったものが「残念さん」の由来です。 |
| 残念さんの前では、志半ばにして倒れた依田半蔵の悔しかったであろう気持ちを悼んで黙とうしました。 |
残念さん(残念社)はここ
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参考文献
「西国街道を行く 街道ぶらり旅 安芸・備後路」
(中国・地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会)
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