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書庫西国街道を訪ねて

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 「夜泣き石」という石碑があるのをご存知でしょうか。それは、廿日市市宮内地区の旧津和野街道と、旧西国街道の分岐点にあります。

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 江戸時代の中期、ここには三角形の自然石がありました。この石は、真夜中になると毎晩せきたてるような赤ん坊の泣き声がして、街道を行く旅人を困らせていたそうです。それを知った通りがかりの旅の僧侶が、石にお経を唱えて手厚く葬ったら、それ以降泣き声は聞かれなくなったと伝えられています。
 現在の「夜泣き石」は、二代目になり、石には「南無阿弥陀仏」と掘られています。ちなみに、真夜中に泣き声を発したという初代の「夜泣き石」は、この近くの墓苑にあるそうです。

夜泣き石はこの辺り(詳細はズームアップして確認!)


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 参考文献
  「西国街道を行く 街道ぶらり旅  安芸・備後路」
  (中国・地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会)

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 依田神社は山の中腹にありますが、神社の後ろにはさらに山の上へと続く山道があります。せっかくここまで来たのでその道を登ってみることにしました。赤土の山道は滑りやすいので注意しながらしばらく登ると頂上らしき広場に到着しました。

依田神社の後ろの道を登る

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 そこには、なんと仙人の如く、男性が石に腰掛けて読書されているではありませんか。この日は風もなく晴天で暖かかったので、だれにもじゃまされずひとり山頂での読書はさぞ気持ち良かったことと思います。

眼下に見える山陽自動車道(広島岩国道路) 海の向こうは宮島

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海に浮かんでいるのは牡蠣筏

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 さて、ここで写真を撮ろうとしたら、その男性から近くにもっと見晴らしのいい場所があることを教えていただきました。そこで、言われるとおりその場所に行ってみたら、確かにそこは目の前に瀬戸内海が広がり宮島などが見える絶景地がありました。この麓には、吉田松蔭が望んだという「三県一望の地」がありますが、今は木が生い茂って遠くが見渡せません。木が生い茂っていなかった頃は、この光景に近いものだったのはずです。吉田松蔭になったつもりで絶景を満喫しました。
 「残念さん」「吉田松陰の腰掛岩」を見た後は、西国街道跡の道から分かれて山側に登っていきます。するとそこには、小さな神社がありました。これは、「残念さん」の由来となった依田半蔵が神として祀られている「依田神社」(よだじんじゃ)です。(依田半蔵については、残念さんの記事をご御覧ください。)

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この神社は、昭和41年に地元の有志の方によって建てられたそうです。「残念さん」と「依田神社」のふたつの神社にあつく祀られている依田半蔵は、この地を暖かく見守っていることでしょう。

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ちなみに神社の隣にはここはオゾンが多い場所との看板がありました。20回ほど深呼吸したのは言うまでもありません(笑)

依田神社はここ


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 残念さん(残念社)にお参りしたあと、西国街道を西に向って50mくらい歩いたところには三差路があります。そのまままっすぐ西に進むと西国街道、右に折れて北に向うと山に登る道です。

三差路にある古い石碑 「是従大岩見透線境界」と刻まれている

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三差路を西に進むと西国街道

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北に進むと鳥居の向こう道の真ん中に大きな岩が・・・

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 この三差路には、境界線を示す「是従大岩見透線境界」と刻まれた古い石碑があり、ここがかつて土地の境界線であったと偲ばせます。

大きな岩は「吉田松陰の腰掛岩」

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ここは「三県一望の地」と云われている

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「吉田松陰の腰掛岩」から海側を望む

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 ここに、「吉田松陰の腰掛岩」があります。吉田松陰が旅の道中、この岩に腰掛けて休んだと云われている岩です。また、ここには「三県一望の地」の案内板が立てられています。「三県」とは「広島県」と「山口県」と、もうひとつは四国の「愛媛県」なのでしょうか。それとも九州の「大分県」なのでしょうか?。今では目の前を雑木が覆って遠くが見渡せません(ここから少し山側に登ると絶景地があります)が、かつてはここから遥か遠くが望めたのではないでしょうか。
 吉田松陰の詩の中には、「四十また八坂 昇降、人馬苦しむ 輿の窓 時に独り笑ふ 見得たり周防の山」というものがあるとのことで、この詩は松陰がこの石に座って詠んだものかも知れません。

吉田松陰の腰掛岩はこの辺り(詳細はズームアップして確認!)


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 参考文献
  「西国街道を行く 街道ぶらり旅  安芸・備後路」
  (中国・地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会)
 山陽自動車道(広島岩国道路)を広島方面から山口・九州方面に向かう途中、宮浜温泉の辺りで山側に「残念さん」と書かれた看板があるのをご存知でしょうか。実は前からそのことが気になっていたので、この度、その謎を探ってみることにしました。

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 宮浜温泉にある有名旅館「石庭」の前の道を登って、山陽自動車道の高架下の空き地に車を停めます。ここから先は山道を歩くことになります。山道にはところどころの木に「西国街道 残念さん道」と書かれた青い案内板が貼られているので、分岐点でも迷うことはありません。こんな細い山道でも昔は西国街道だったのかと驚かされます。途中、山道の脇にはいくつもの石垣がありますがこれは田んぼの名残でしょうか。この辺り一帯は「四十八坂」と呼ばれ第二次長州戦争の古戦場とのことです。

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 しばらく山道を歩いていき、谷あいを流れる小川の飛び石を渡ると、向こうに小さな赤い鳥居が見えてきました。これが「残念社」で、地元では親しみを込めて「残念さん」と呼ばれています。祠の中に墓があり、その前に鳥居が建つという珍しい形式の神社です。

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 「残念さん」は、第二次長州戦争のときにこの地で戦死した、丹波宮津藩の藩士「依田半蔵(よだはんぞう)」を祀った墓です。ここ四十八坂から西の安芸・周防の藩境にかけては、第二次長州戦争の激戦地でした。慶応2(1866)年7月9日、半蔵は、軍使として長州藩に赴く途中、ここ四十八坂で山かげに潜んでいた長州軍に、幕府軍と勘違いされて狙撃され、半蔵は「残念」と叫んで倒れ戦死しました。後で事情を知った長州軍は大いに遺憾の意を表し、土地の人も半蔵の死を悼んで、祠を建てて祀ったものが「残念さん」の由来です。
 残念さんの前では、志半ばにして倒れた依田半蔵の悔しかったであろう気持ちを悼んで黙とうしました。

残念さん(残念社)はここ


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 参考文献
  「西国街道を行く 街道ぶらり旅  安芸・備後路」
  (中国・地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会)

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