ここから本文です

書庫呉・東広島・竹原・三原周辺

記事検索
検索

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 次のページ ]

イメージ 1

音戸の瀬戸
 音戸の瀬戸(おんどのせと)とは広島県呉市にある本州(警固屋)と倉橋島(音戸町)の間に存在する海峡のことである。幅はわずか90m程度、可航幅が60mしか無く、一日の船舶の通行量は約700隻で、最大で4ノットと潮流が早く、狭い所を広島市と松山市を結ぶ定期船など1000トン級の船が行き交う船舶の往来が激しい海域である。日本一短いとされる海上定期航路(音戸渡船)も就航している。また、南端最狭部にはアーチ橋とツツジで有名な音戸大橋がかかっている。2010年現在、北端で2本目の橋(仮称第2音戸大橋)の建設工事が行われている。(Wikipediaより)

音戸の切に架かる音戸大橋 橋の向こう側が倉橋島(音戸町)

イメージ 2

音戸大橋の北側では第2音戸大橋(仮称)が建設中

イメージ 3

 音戸の瀬戸に架かる音戸大橋、本当は、ツツジの咲く時季に訪れたかったのですが、今年は、一ヶ月遅れの昨日訪れました。(ツツジ満開の音戸大橋の過去記事は、 こちら(2010年)こちら(2009年) (←文字をクリック))すでにツツジの花はありませんでしたが、葉の緑がとても鮮やかでした。螺旋道路とアーチ橋で有名な音戸大橋の北側には、現在、第2音戸大橋(仮称)が建設中で、今年(2012年)の12月に完成予定。現在の音戸大橋と同じく、赤いアーチが印象的です。

音戸大橋はここ


詳しい地図で見る
 さて、呉歴史散策ツアーもいよいよ大詰めです。最後は呉名物の屋台に行く予定でしたが、屋台が開店するのは18:30とまだ1時間以上も先だったので、屋台に行くのは次の機会にすることにし、今回は呉の地ビールが飲める飲食店に入ることにしました。

呉名物の屋台はまだ準備中・・・

イメージ 1

海軍さんの呉麦酒(これは大和ミュージアムで買ったもの)

イメージ 2

 まずは海軍さんの呉麦酒で乾杯し、呉が発祥地とも言われている肉じゃがや瀬戸内海で捕れた美味しい魚介類などを食べながら、今回のツアーの感想を語り合ったり、次回のツアーの計画を練ったリして、メンバーどおしの親睦をますます深め、今回のツアーを締めくくりました。呉から広島までは瀬戸内マリンビューに乗って帰りました。

帰りは瀬戸内マリンビューに乗って

イメージ 3

今回のツアーのコースをおさらいすると以下の様になります。

  (1)JR呉駅集合
       ↓ バス移動
  (2)海上自衛隊呉基地(潜水艦・艦艇見学)
       ↓ 徒歩移動
  (3)アレイからすこじま潜水艦基地(男たちの大和/YAMATOロケ地)
       ↓ バス移動
  (4)歴史の見える丘(戦艦大和建造ドック跡見学)
       ↓ バス・徒歩移動
  (5)昼食(呉冷麺 珍来軒)
       ↓ 徒歩移動
  (6)入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)
       ↓ 徒歩・バス移動
  (7)呉海軍墓地(男たちの大和/YAMATOロケ地)
       ↓ バス・徒歩移動
  (8)第六潜水艇殉難之碑
       ↓ 徒歩移動
  (9)両城の200階段(海猿ロケ地)
       ↓ 徒歩移動
  (10)大和ミュージアム・てつのくじら館

さて、次回はどこに行きましょうか〜!
 呉歴史散策ツアーの続きです。「両城の200階段」を歩いた後はこのツアーの出発地となったJR呉駅まで歩いて帰って来ました。呉駅の海(西南)側には、「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)、「てつのくじら館」(海上自衛隊呉史料館 )といったメジャーな観光スポットがありますが、ここでしばらくの間自由行動となりました。私は「大和ミュージアム」も「てつのくじら館」もこれまで何度か見学したことがあるため、これらの施設の中には入らず、海岸沿いにある「大和波止場」を訪れることにしました。

戦艦「大和」の船橋部分にあたる部分にある見晴らし台

イメージ 1

イメージ 2

見晴らし台からは公園が一望できる

イメージ 3

大和波止場は「大和」の前甲板の左半分の大きさ

イメージ 4

 「大和波止場」は、戦艦「大和」の前甲板の左半分を実物大で再現した板張りの公園です。公園の中の大和の船橋部分には見晴らし台があり、ここから公園やその先の海が一望できます。こんなに大きな公園なのに「大和」の前甲板の左半分とは、いかに「大和」が巨大な戦艦であったかということが実感できますね。公園の先には巨大タンカーが停泊していますが、ここが大和が建造されたドックがあったところです。

大和の主砲部分

イメージ 5

イメージ 6

船首部分から後方を望む

イメージ 7

大和の船首部分

イメージ 8

大和の主錨

イメージ 9

大和の時鐘

イメージ 10

イメージ 11


 大和の主砲部分は、主砲の大きさに床が模られています。また、公園の先端、大和の船首部分には、主錨が置かれています。公園の中には大和の時鐘があり鳴らしてみるといい音色が響きました〜!
穏やかな日差しのもと、大和の乗組員になった気持ちで公園を端から端までゆっくり歩いてみたのでした。

大和波止場はここ


詳細な地図で見る
 呉歴史散策ツアーの続きです。「第六潜水艇殉難之碑」から歩いてやってきたところは、映画「海猿」で訓練生たちが厳しい訓練で駆け上がった「両城の200階段」です。この階段登りを海猿たちと同じように体験しました。

映画「海猿」より

イメージ 1

両城の200階段はこの急傾斜面にある

イメージ 2


両城の200階段
 明治22(1890)年、呉鎮守府の開庁とともに急増した呉の人工は、昭和18(1943)年には、人口40万人を越えたといわれています。当時、呉市の平地部は、軍の土地使用になっているため、新しく来られた海軍関係者や職工さんをはじめとする市民の居住場所は、急傾斜地区が中心となりました。
両城地区には、海軍士官の人達が多く居住し、彼らの家は、和室と洋室が混在する当時では非常に珍しい「和洋折衷の家」でモダンとされていました。(説明板より抜粋)

 急勾配にあるこの階段は、今でも、階段の途中や頂上にある民家に住む人たちの生活道になっています。

階段のふもとにある説明板

イメージ 3

両城の200階段の入口

イメージ 4

入口では猫がお出迎え

イメージ 5

急階段を慎重に登っていく

イメージ 6

イメージ 7

階段の頂上から見下ろす呉の街

イメージ 8

頂上の平地には中学校があった

イメージ 9

下り道は上りよりも慎重に慎重に・・・

イメージ 10

 頂上の平地には、中学校がありました。通学でこの階段を毎日使っている生徒さんはさぞ体力がつくことでしょう。なお、階段の下り道は、上りよりも気をつけてください。ふもとを見下ろすと脚がすくむかも知れませんが階段は踏み外さないように〜(^^;)。

両城の200階段はここ


詳細な地図で見る
 呉歴史散策ツアーの続きです。海軍墓地からバスに乗って呉市街の北部にやってきました。この近くの高台には、豊漁祈願のため、地元漁業関係者によって建立された鯛乃宮神社があります。そして神社の境内には、第六潜水艇殉難之碑があります。

佐久間艇長と第六潜水艇
 明治43(1910)年4月15日、佐久間艇長率いる第六潜水艇は、14名の乗組員を乗せ、潜航実験の訓練などを行うために岩国を出航し広島湾へ向かいました。ところが、実験中に浸水・沈没事故が発生し、これによって乗組員全員の尊い命が失われてしまいます。沈没した潜水艇が後に引き上げられたときには、佐久間艇長をはじめとする乗組員全員は、最期まで自分の持ち場を守っったままの姿で亡くなっていました。
佐久間艇長のポケットから発見された遺書には、沈没後の艇内の様子が淡々と綴られていました。電燈は消え、酸素は刻々と消費されていき、ガソリンによるガスは艇内に充満します。その中で、乗組員たちは一人また一人と息絶えていったのでした。遺書の中で佐久間艇長は、日本国の大切な艇を沈めてしまい、乗組員を死なせる罪を詫び、乗組員全員が最期まで任務を全うした事を述べ、残された遺族に対しては国から十分な配慮をして欲しいこと、今後の潜水艦の発展のためにこの度の浸水・沈没の原因を十分に調べて欲しいことが書き留められています。乗組員全員が最期まで配置を守ったことと、佐久間艇長の遺書は、日本だけでなく世界の多くの人々に感動を与えました。これが「潜水艦乗組員かくあるべし」と、修身の教科書や軍歌として広く取り上げられただけでなく、海外ではイギリス海軍もこの遺書を英訳し、潜水艦乗組員の精神教本としました。アメリカ合衆国議会議事堂には遺書の写しが陳列された。
この場所で毎年開催される慰霊祭には、今でもイギリス海軍が出席しています。

商店街からこの案内を目印に路地を入ると・・・

イメージ 1

高台に登る階段にたどり着く

イメージ 2

豊漁祈願の鯛乃宮神社

イメージ 3

第六潜水艇殉難之碑はその隣に高くそびえる

イメージ 4

佐久間艦長の遺書の写し

イメージ 5

殉職した14名の乗組員の名前が刻まれている

イメージ 6

碑の格納庫の中には・・・

イメージ 7

第六潜水艇のスクリューが安置されている

イメージ 8

 呉の街を見下ろす塔の形をした碑には、佐久間艇長の遺書や殉職した乗組員の名前などが刻まれています。また、碑の保管庫には、引き上げられた第六潜水艇のスクリューが保管されています。もし自分が乗組員だったら死に直面している極限状態でこのような冷静な行動ができるでしょうか。最期まで任務を全うした佐久間艦長と乗組員を偲んで黙祷しました。この辺りは、春になると満開の桜が咲き誇ることでしょう。

第六潜水艇殉難之碑はここ


詳細な地図で見る

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 次のページ ]

アバター
Hirolin☆彡
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

友だち(34)
  • ナラ
  • SEMBUDIET
  • reiyon
  • eru
  • あーちゃんママ
  • いちご
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事