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昨日、釜ヶ崎での「炊き出し」のお手伝いに初めて参加した。
誤解を恐れずに、ご存知のない方のためにわかりやすく言えば、日雇い労働者の町、東京でいえば山谷が同じような町といえるでしょう。住むところもなく、仕事もなく、社会だけでなくさまざまな状況から虐げられている人たちの町、そして、この町の住人たちの高齢化が急速に進んでいることは、生死を左右する問題に直面しているといえるのだ。
初めてということもあり、作業の全体がわかるような場所に配置していただいて、おおよその作業の流れはわかった。プラスチックの丼にご飯を盛る、野菜がたくさん入ったぶっかけ(とろみのあるお汁)を丼にかける、カウンターで香の物をそえて、並んでいる人たちに手渡す、この一連の作業に食器洗い、配膳係りへ食器を運ぶ、この作業がともない、各持ち場をボランティアの人たちといっしょになって炊き出しを行うのだ。
炊き出しを待つ長い行列の方たちの表情とは対照的なほど、炊き出しテントの中は明るい雰囲気が漂う。もちろんテキパキとした作業が求められるほど、めまぐるしくすすむのだが、頭をつかうより体を使う、そんな印象をもった。食べるということは、誰もがすること、鉄板に穴を開けるような作業とはまったく性質が異なる。だから、誰にでもできるお手伝いだと感じられた。ただ、初めてということもあり、なるべく足手まといにならないようにせねばという気持ちをもってのぞんだ。しかし、そんなことも考える間もなく、あっという間に炊き出しの作業は小一時間程度で終わった。後片付けもシンプルですぐに終わった。作業にかかわった人たちは終わるとすぐに三角公園から自分の仕事場へ、家へ、三々五々、自分の持ち場へまた戻っていくのだ。
初めて参加して、さまざまなことを感じることができたのだがが、もっとも印象に残っていること二つある。
炊き出しを配る直前の15分前、作業に携わっている人たちが、炊き出しするぶっかけ丼をおのおの食べるのだ。ここに住んでいる人と思われる方たちがどんぶりにご飯をたくさん盛ったぶっかけ丼を食べているのをみて、とてもおいしそうだなぁ、と思っていた。初めて参加してるわたくしにも「お兄ちゃんも食べてや」と言われたので、「いや、ぼくは食べてきましたので」と遠慮したところ、「味見のつもりで食べて」とさらにすすめられた。なんだか救われたような気持ちになり、すぐさま「はい、いただきます!」と返事をしたものだから、周りでわたくしの様子を見ていた人たちが「めっちゃ素直やなぁ」と笑っておられた。少しだけ(おにぎり一個分ほど)いただいた、あの人の表情どおり、おいしかった。「同じ釜の飯を食う」そんな言葉も頭をよぎり、新米でその場に不釣合いなかっこうのわたくしも少しだけお仲間に入れていただけた、そんな気持ちももて、心もほぐれていった。そんななか作業に加わり、丼の具も底をつきはじめたとき、ご飯でおにぎりをつくりはじめられた。おにぎりだけでも…そんな気持ちが漂っていたように感じた。それでもテント前には80人以上の人たちが並んでいる。リーダー格の方が行列の人たちに「おにぎりは50人分ぐらいしかあれへんからね、最後まではまわれへんかもしれへんで」と声をかけた。しかし、行列の最後尾の人たちはそこから離れることはなく、前へ前へ進んでいるのだった。行列がまだ40人ほど並んでいたが、そこでおにぎりが底を尽き、カウンターのカーテンが閉じられた。作業前にいただいたおにぎり一個分ほど、わたくしがあれを食べなかったら、もう一人分は配れたのに…という切ない思いをもった。しかし、あのとき、自分に食べてみたいと思う気持ちがなくても、「いただきます!」と言って食べていただろうと思うのだ。そこの人たちの言うとおりにすることで心がほぐれ、作業をお手伝いすることができたことも事実なのだ。「同じ釜の飯」感はとっても温かかく感じられた。しかし、そのわたくしの気持ちのためにあと一人分が失われた…そんな思いを強くもったため、複雑な気持ちを持たざるを得なかった。
もうひとつ、炊き出しの現場は通称「三角公園」で行われている。三角公園には街頭テレビが設置されている。連日熱戦が繰り広げられている高校野球の中継が流されていた。しかし、その熱戦に目を向ける人はだれ一人としていなかった。実況中継の声が公園に響き渡っていたが、興味をもっているようにみえる人は誰もいなかった。せめてもの娯楽、そんなことも、ここでははるか遠くにあるかのように感じられた。わたくしが近所でたまに見かけるホームレスの人たちが「虐げられた姿」だと思い込んでいたが、それよりも厳しい状況と向き合わねばならない人たちの方がはるかに多いことを知らされたように思っている。
炊き出しがあたらなかった人たちにとっての絶望はいかばかりかと想像するのだが、それも日常なのだろうか、絶望に絶望を重ねてきた慣れというものがあるのだろうか、そういうことが頭をよぎると、現場を見ずに想像していることをはるかに越えた厳しい現実がここにあることは誰にでもすぐにわかるはずだ。
以前、段ボールを山積みにしたリヤカーからラジオの音が耳に届いたとき、大きな手づくりラジオのようだと記事に書いたことがあった。リヤカーを曳けない人、自転車もない人、歩くこともできない人、もちろん、住むところも、今日食べるものもない、そういった働けない人(※)の方が大部分であり、ここ(釜ヶ崎)に来なければ、その現実を目にすることはできない、そのことがもっとも心に深く刻まれたように感じている。
もう一人分のおにぎりをわたくしが食べたという思いも、世間では熱戦に注目しているようにみえている高校野球を楽しむ人もほとんどいないということも、すべて、ここへ足を踏み入れて少しでも接することができて感じることができたものだった。想像をはるかに越えた現実はとても厳しいものであることがわかった。一人分のおにぎりを次はどうするのか、と自問自答することに終わることなく、この厳しい現実を解消させるためになにをするべきなのかを忘れず考えねばならないと思っている。
【画像】
カトリック司祭・本田哲郎さんの著書「釜ヶ崎と福音──神は貧しく小さくされた者と共に──」の表紙を飾っているのは、画家、F・アイヘンバーグさんの絵。ニューヨークの炊き出し風景を描いたもので、炊き出しをサービスする側、サービスを受ける側、どちらにキリストがはたらいているのかという自問に「サービスを受けねばならないほど弱い立場に立たされた、その人たちの側に主がおられる、キリストはそういう方なんだ」という答えを得て、描かれたものです。
【※】
社会システムからはじかれるように仕事にありつけないことが最大の原因でることは、「釜ヶ崎と福音」に詳しく書かれています。
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全員にゆきわたるはずもない・・・
「飽食の時代」と言われて、食べモノはどんどん捨てられていると思ってたけど、一方ではそういうところも今あるんですね・・・
目の前でカーテン閉められたら〜トホホ
2008/8/7(木) 午前 5:40
つっきぃさん、「トホホ」を積み重ねていると、人への不信感が募っていく、自分ならそうなっちゃうかも、そんなことも考えさせられました。
飽食の時代と言われ始めたときだけでなく、ずっと虐げられ、時代の陰に隠され続けてきた人たちがいたことに、あらためて気づかされました。いずれにしても、想像をはるかに越えて現場はとっても厳しいです。
2008/8/7(木) 午前 8:52 [ ひろみ ]
カギ付きコメントをいただいた方へ。誰でもコメントがつけられるようにオープンにしています。自分の言いたいことだけをカギコメでつけていく意味が理解できません。ポリシーをもって意見をされるならば、堂々とおっしゃってください。誠実にご返答させていただきます。
ご主旨が理解できませんので、いったん、削除させていただきます。
一応、コメントはテキストで残しておきますので、葬り去るようなことはいたしませんこと、ご理解ください。
2008/8/7(木) 午後 10:12 [ ひろみ ]
こんにちは。
釜ヶ崎と福音
いつか読みたいと思います。
2013/9/18(水) 午後 0:12 [ kouitiz2000 ]
スタッフがまず、自ら食べるというのは、食中毒を出さないという誓いでもあり、人間の食べられる物を提供するという誓いなのだと思います。なので貴方が食べられた一つのおにぎりは、間接的にたくさんの皆さんを救っているのですよ。
2016/10/1(土) 午前 10:56 [ 美瑛のゆきんこ ]