雀百までなんとやら

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まだまだ出てくるんでしょうか、食の安全を疑うようなことが。と思っておりますが、安全なものを買える方はよろしゅうございますが、事情でそれしか買えない方のことはほったらかし、そんな感が強うございます。

さて、少し方向は変わりますが、ほとぼりが冷めかけているのでは、と思いましたので、書かせていただきます。輸入した材料にメラミンが入っていたことで注目を浴びた菓子パンがございましたね。わたくし、こう見えましても、あんパンを筆頭にして、菓子パンは大好きでございまして、クリームパンやジャムパン、メロンパンも大好きでございます。あの連日報道されていたクリームパンのなまえ、「クリームパンダ」を耳にしたとき、「なんとグッドなネーミングなんだろう!」と心ふるわせたのでございました。

実物を見たわけではございませんが、「クリームパンダ」でどんなパンなのかさまざまな憶測が頭をめぐったのでした。きっと製品企画会議で満場一致の賞賛を浴びたことも想像できるのでございます。

こんな素晴らしいネーミングのパンがもう二度と菓子パン界に現れることがないことも、大きな損失であるように思います。そういう意味でも、食品業界のみなさま、くれぐれもご配慮をいただき、菓子パン業界に今後もご尽力いただきたいと願っている…今日この頃でございます(^-^;


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ネーミングもパッケージもパッとしないのに、見つけると買ってしまうバナナカステラ。
お前は裏切らないでくれ(^-^;

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わたくしが住んでいる近所には、公立の小学校が1校があり、また、私学の中学高校が3校あり、最寄の地下鉄の駅から毎朝、たくさんの生徒がやってきて、通学している。大阪市内の大通りのひとつである谷町筋に面しているので、朝、通行量が多い。そのうえ、三叉路ということもあり、毎朝、警察官が交通整理を行い、横断する児童、生徒たちを守ってくださっている。横断歩道の信号が青点滅しているときでも、右折車をしっかりと止めて、児童、生徒たちを横断させてくださっている。子どもたちも、少しは感謝して「ありがとうございました」ぐらいの声はかけるべきだと思うのだが、それは学校と親のするべきことであるように思うのだ。

この交通整理があってこそ、事故の犠牲者を出さずにいると思わずにはいられない。しかし、平日にもかかわらず、児童、生徒が通学しているにもかかわらず、この交通整理が行われないことが月に一度だけあるのだ。ある政党の次期衆議院選挙での立候補予定者の街頭演説がある日、その日に限って、交通整理の警察官は交差点内にいないのだ。

わたくしはずっとこのことをいぶかしく感じていたのだが、その事実を知っておきながら、なにもせず、もし、事故が起こり、不幸なことが起こったとすれば、世間に対して申し訳なく思うのだ。以前(春先)は、交通整理の笛の音をかき消す、大音量の街頭演説に、「はた迷惑な輩だ」と思って見ていた。あまりにもひどい、自分勝手なことが行われるならば、注意をしにいくつもりだったが、事態はより悪いほうへ、つまり、交通整理の警察官がいない状態になってしまったのだ。

この状況をずっと見てきたわたくしの偏見でもなんでもないと思うのだが、この立候補予定者と警察の間で密約が交わされたのではないか、と思うのも不思議ではないと確信している。もし、そうだったとすれば、おそらく、クレームが発生したときのための理屈も考えていたのだろうとも思うのだ。

さて、今日、朝の散歩から帰宅する道で、その立候補予定者が街頭演説をしていた。案の定、警察官の姿は交差点にない。いつもは、その様子を部屋から見ていたが、今日はその現場がまさに目の前にあったのだ。演説中のその立候補予定者に話しかけた。以下はその会話を思い起こしたものである。一言一句そのとおりではないが、要点だけをピックアップする。


わたくし 「あなたが演説するときは、いつも交通整理がされていません。どうしてですか?」
候補予定者 「それは知りません」
わたくし 「わたくしはここに住んでいる者で、あなたの演説のときのことをいつも見ています。毎朝、子どもたちを守ってくださっている警察官の姿がなくなるのはどうしてですか? あなたがなにかお願いしているのでは?」
候補予定者 「いえ、一切知りません。警察官の方の人数が少なく、この場所で行えない日もあるものだと思っています。それは仕方がないことだと思います。」
わたくし 「しかし、ずっとわたくしは見てきていますが、あなたの演説の日に限って警察官はいませんよ。」
候補予定者 「演説しているときに、いらっしゃることもありました。」
わたくし 「それはずいぶん前のことで、ここ最近はずっといないでしょ、わかるでしょ?」
候補予定者 「いえ、知りません。」
わたくし 「じゃぁ、あなたはここに警察官がいないことをあなたの依頼やそういうことではないとおっしゃるのですね。」
候補予定者 「ええ、わたしは知らないことです」


この会話から明らかにわかっているのにシラを切っている状況を想像できると思うのだ。
最初に尋ねたとき「知りません」と言っておきながら、「いらっしゃることもありました」と言ってるのだから。つじつまがあう、あわないは別にして、警察官がいるかいないか、子どもたちの安全を守るか守らないかについて「知りません」などと答える資質に、誠実さが一切ないと思わざるを得ない。

こういう状況を今日まで放っておいたわたくしも責任の一端は感じているが、なにも思わない大人の多いことに嘆き悲しい思いをあらたにしたのだ。もちろん、わたくしが詰め寄っているときに、足を止めて見物している人もいたが、だれも賛同いただけなかった。やはり、わたくしは異端なのだ、いつかは迫害されるのだという思いを持ったのだった。

さて、次回(来月)の街頭演説で交通整理の警察官がいると、「やはり…」と思うのは人の情であるのだと思うのだが…。

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わたくしが通っております教会でとても親しくしていただいている70代の男性の方「よういっつぁん」、親子ほどの歳の差があるにもかかわらず、わたくしのことを同級生のようにかわいがってくださっています──大相撲の稽古で用いる表現ではなく、正味の意味で。教会で開かれている講座「聖書の学び」でのことでございました。そこで配られた資料プリントの表紙に世界中で用いられている「平和」のシンボルとなっているマークや言葉が散りばめられておりました。鳩やオリーブの輪、Love & Peaceなどでございました。その中に指のVサインもございました。よういっつぁんが「Vサインは勝利を表すものだよね。勝利があるということは負けている人たちがいるのだから、Vサインは勝った者だけの喜びで、負けた側の者にとっては『平和』になるのかな?」と疑問を投げかけられました。確かに、戦争が終わる際には、勝ち負けが存在し、負けた側というのは勝った側に従うのが通例のように思われます。しかし、戦力が上回れば勝利するのですから、それが下回っている側は正義のゆえに負けた、とは限らないとも思われたのでございます。つまり、勝ち負けがあるところに「平和」があるのだろうか、ということを考えさせられたのでございました。こういった矛盾を感じるのは、戦争自体が矛盾の塊であるのだから、そこから生まれる物事が矛盾を帯びているのは当然、そのように一応の結論をわたくしのなかではもつことにいたしました。


さて、このように、一見、なにも疑問にも思わないところに視点を置くのは難しいことではございますが、そこに個人だけの利益を目論む思惑があるように感じることがわたくしには多々ございます。先日、憲法九条を守る宗教者たちのシンポジウムがございまして、参加してまいりました。そこで哲学者・高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)が基調講演をされまして、そのなかでとっても興味深いことを話されました。

ちょうど総理大臣になりたての麻生太郎さんの靖国神社への発言とそのスタンスについて「感情の錬金術」と題して解説してくださいました。麻生さんは自ら靖国神社に参拝することは控えているような態度でいらっしゃいます。その反面、彼は「天皇が靖国神社へ参拝できるようにしたい」とおっしゃっておられます。これには戦争を肯定する目論見があり、それを正面から国民に訴えるのではなく、国民の感情をなにも疑問に思わないような方向に向けさせ、目論見をすすめていく「感情の錬金術」であると評されました。

もう少し、詳しく申しますと、靖国神社とは天皇のために命をかけた戦死者がまつられておりまして、天皇のためという人の感情に訴えることを利用した当時の国策のひとつであったのでございまして、戦争終了後、国から独立させられた経緯がここにございます。現代のわたくしたちが考えねばならないのは、魂をまつるのは心にかんすることであって、けっして国からの力が及んではならないことであるはずです。つまり、亡くなられた方の魂とどのように接するかはその人の心の自由に委ねられねばならないわけでございます。この視点をよそに向けさせるのが麻生さんが提唱する「天皇の靖国神社参拝」であるということです。

天皇の靖国神社参拝は、天皇と靖国神社の和解に見えますが、実は和解するのは、天皇と戦死者の遺族なのでございます。いまだ解決されていない天皇の戦争責任を問わず、舞台を靖国神社にすることによって、天皇と靖国神社との和解を大きく世間に知らせる好機となるわけです。天皇が靖国神社に参拝することで戦死者遺族が喜びを表し、その結果、靖国神社の存在価値が肯定されたように思われわけです。靖国の肯定は天皇の名による戦争の肯定に直結し、憲法九条の改定をはじめとする海外派兵ができる永久法の制定への機運が一気に高まる可能性が非常に高くなるのです。憲法九条の大黒柱である「戦力を持たない」「戦争をしない」という論点が「あってもいい」が前提の論点に入れ替わってしまうことにつながりかねないということです。そこまでして、どうして戦争を肯定し、それを行いたいのか。国が行った戦争は一度たりとも国民のために行ったのではなく、一部の者の利益のためにそれを行い、国民が戦死することなどなんとも思っていないからとしか思えません。国は戦争のためには平気で国民を戦場に送り込むことをいままでしてきたのです。この国を守るために軍備を増強せねばと声高に言う政治家が真っ先に戦場に赴くのでしょうか。自分は行かない、自分の身内は行かないからこそ、戦争をカードのように切るわけです。そのために麻生太郎という人は「天皇の靖国神社参拝」という「感情の錬金術」を利用しようとしているのです。

わたくし個人の思いではございますが、戦死者の霊魂は決してまた同じ不幸な事態を招くこと、戦争を行うことを望んでいるようには、どう転んでも思えないのでございます。二度と起こさせないためにギッと睨みをきかせているに違いないと思うのでございます。

「橋のない川」の作者、住井すゑさんは、人権と平和を学習するために、負の遺産としての「教育勅語」、正の遺産としての「水平社宣言」をあわせて教えるべきだというユニークな観点をお持ちでした。麻生太郎という人は、珍しくこの負の遺産である「教育勅語」を諳んじることができるのだそうです。国民のために力を注ぐというのであれば、正の遺産である「水平社宣言」もこの際、憶えていただいて、国民に両方を解説していただきたいものです。


先の戦争に関して申しますと、被害を与えた国ぐににはもう謝罪は終わったではないか、いつまで謝罪せねばならないのか、という声を耳にすることがございます。わたくしは、永遠に謝罪するべきだと思っております。謝罪が終わったことを機に戦争が起こるに違いないと思わずにはいられないのでございます。ドイツはユダヤ人の虐殺については、永遠に謝罪し続けるという態度を崩していません。これこそ、戦争をなくそうとする姿勢のひとつであると思うのでございます。わたくしたちがいますぐできること、それは憲法九条を堅持することであるはずで、これを世界に誇りたいと強く思うのでございます。


前大臣が学力低下の根源は日教組であるかのような発言がございました。競争社会に生きていけないことをその諸悪の根源のように論じられたことが話題になっておりましたが、日教組の本来の目的は先の戦争の反省から「教え子を二度と戦場には送らない」であって、決して、学力を向上させること(学力を低下させること)ではないことを忘れてはならないと思うのでございます。前大臣の論点は言いがかりでしかないことであることが、この問題でもっとも大切なことであると思うのです。

戦争を肯定する姿勢をもって学力を向上させるのであれば、学力向上などなんの意味もないと思うのでございます。本心か、口からでまかせか、それとも、舞い上がってそう言ったのかはわかりませんが、「天皇陛下のために戦いました」などという言葉がどれほどの人たちの心を傷つけているかを教えるべき人が必要だと思います。そのための教育であるべきだと思っております…今日この頃でございます。

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■マタイによる福音書(18章7〜9節)
「世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目がつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」

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小鉄は双子だった!?

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先日のお彼岸の中日のことでございます、スーパーの菓子パンの棚に懐かしいものを見つけまして、手に取って買おうかどうか迷ったのでございます。ご存知でしょうか、「バナナカステラ」。バナナの甘い香りのしろあんが中に入ったバナナ形のカステラでございます。カステラとは申しましてもフワフワしておりません、どちからと申しますと、しっとりとしていて質感がしっかりした…そうそう、人形焼の生地のような感じでございます。小学生のころ、同居しておりましたおばあちゃんの好物でもございましたので、おやつによくいただいたものでございました。バナナカステラとともにおばあちゃんとの思い出がよみがえりまして、目にするとほろっとノスタルジーを感じるのでございます。「じゃぁ、迷わず買えばいいものを…」というお声も聞こえてまいりますが、その前に、買い物カゴにはバナナが入っていたのでございます。バナナとバナナカステラ…豆腐と納豆、枝豆ともやし、いや、生卵と出し巻きをいっしょに買うようなもんに思えたのでございます。で、こんなわたくしがバナナとバナナカステラのどちらを選んで買ったのかを当てていただこう…それをブログに書こう、と思って書きかけましたんでございます。

ところが、わたくしの知らん間に世間では(たいがいの世間のことをわたくしは知らんのでございますが…)バナナダイエットてなことが話題になっておったようでございまして、Y!ブログのトップページのキーワードに並んでいるではございませんか。詳しいことは存じ上げませんが、そんな巷でワイワイおっしゃっていることにかかわることをわたくしがブログに書くのは沽券にかかわる、と申しますよりも、「またかぁ…」と感じられることでしょうから、ボツにしようと思っておりましたんでございます。

しかし、しかしでございます、みなさまはバナナとバナナカステラのどっちがお好みかも伺いたい気持ちをおさえることがなかなかできませんで、またモヤモヤしておりましたら、このバナナカステラダイエット…やのうて、バナナダイエットをやってるのが森公美子(字おうてるかな?)と森三中の誰か(みんないっしょに見えるし、興味ないし…)やというのが耳に入ってきまして、一言、申しあげたいと思いまして、書いている次第でございます。

森公美子と森三中がダイエット? ダイエット代(しろ)がぎょうさんあるんやから、なにやっても痩せるに決まってるやん! それにおいそれと乗せられてるこの国民って一体なんなんや、と一言だけ申しあげたかったのでございます。

そうやって世間をみわたしますと、自分の価値観はないのか? と思わざるをえんようなことばっかりですな。●●ダイエットてなことは他愛もないことのように思いますが、これより前に「納豆ダイエット」というので、さんざんけなしたんとちゃうのん? と首をかしげてしまうのでございます。「これはよし」「これはあかん」という自分なりの基準がなくなってしもうて、なにもかも法律や世間にまかせてしまうことが、実は、人間が本来もっております感性を捨て去っているように思うのでございます。この感性を捨てたのは自分の責任であるのだと思うのでございますが、これをしたことによって及ぼされた害があったとすれば、それは自分の責任であるはずやと思うのでございます。しかしでございますね、ある大臣が傍若無人な発言をしますと、首相の任命責任やとか、大臣にあるまじき発言とか申しまして、そこへ攻撃が集中するのでございますが、本来はそんな人物を議員に選んだことから端を発しているのでございますから、選んだわたくしたちの責任でございまして、選んだわたくしたちの責任はどうすることなのかは大人であれば明確になると思うのでございますが、選ぶ時期、選挙になりますと、こういうのが当選してしまう、てなことをちょくちょく目にするのでございますよね。

わたくしたちが普段、物を買うのと同じやと思います。「これあかんわ」と思うたら買わへんのでございます。買わへんかったら、自然とその商品もなくなるのでございますよね。それでええんやと思います。非常にシンプルでわかりやすいのですが、そうもならないようになっているようにも思いますねぇ。

こんやくゼリーをのどに詰めて子どもが亡くなったというニュースを目にしました。わたくしは「なんで食べさすんや」と最初に思うたのでございます。あんだけ、のどに詰めて窒息死したニュースがあったにもかかわらず、まだ子どもに食べさせるか、また首をかしげるのでございます。誤解を恐れずに申しますと、こんやくゼリーやないとあかん状況があったとすれば、それは誠に特別な状況でございますわね。そうしましたら、すき焼きの糸こんにゃくをちゃんと短く切っておくのと同様に、細かく砕いてあげればいいもんでございます。こんにゃくゼリーを細かく砕く、この行為が重労働でございましょうか。いや、重労働でないがために手を抜いてしまうのでございますね。で、悪い結果が起こりますと、放置しておいた国の責任やないか、とか、メーカーの責任やないかとかいう声もでてくるようでございます。わたくし、身内にこんにゃくゼリー関連の人間がおるわけでも、こんにゃくに悪さをしたものでもなんでもございませんが、わたくしが知るかぎりでございますが、あのパッケージには大人であれば、子どもには食べさせるのはマズイと思わせるように注意書きが書いてございました。それにもかかわらず食べさせたのは、おこたり以外のなにものでもないように思うのでございます。

この事件について、●●主婦連合会の事務局長さんがこんなコメントをしてはります。

これだけ多くの方が亡くなり、「行政のすき間」の商品として問題となっていたのに、行政が何もせず放置してきた結果、また1人亡くなった。警告マークをつけて済む問題ではないことが明らかになったし、そもそも高齢者や子どもが食べてはいけないお菓子が流通していること自体おかしい。早急に消費者庁を設置して、規制すべきだ。

こんにゃくゼリーにはなんの罪もないと思います。子どもにタバコや酒を買い与えないのができるのならば、こんにゃくゼリーにできないわけがないと思うのでございます。なんでもかんでも規制を設けるとそれだけロスが多くなり、それが価格にのったり、税金の新しい使い道になったりするわけでございます。バナナがええか、バナナカステラがええか、ちゃんと白黒はっきりできる基準をもつことが本当は大切なことだと思うのでございます。

あっ、そうそう、もう少しで〆てしまうところでございました。バナナ好きのみなさまはバナナとバナナカステラ、どっちをお選びなさるのか、とっても気になっております…今日この頃でございます(^-^)

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8月の最初、まだまだ暑かった時分です、口縄坂の塀に2匹の小鉄を発見!
実は双子だったようです。しかも、2匹ともソックリ(当たり前か…苦笑)

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安い居酒屋さんや立ち呑み屋さんで、仕事帰りのホワイトカラーのみなさんがおしゃべりになっておられる会話でわたくしがよく耳にいたしますのが、「人付き合いはホンマ難しいわぁ」というお言葉でございます。もしかして、お昼間に近所の奥さま方が集まっているところでもそんな会話が交わされているようにも思うんですが、そりゃそうですわね、そもそもあなたとわたしの思惑(おもわく)はまったく違うもんですから、これがぴったりあってトントン拍子に物事が運ぶなどということはホンマ稀(まれ)でございまして、たいていは、互いに自分の都合を押し通そうとするもんですから、まとまるもんもまとまらん、てなことになるわけですわね。クルマ一台がようやっと通れる路地にあっちからもこっちからもクルマがやってきまして、「すんません、ちょっとバックしてもらえますか?」と下手(したて)に出たつもりでも、相手にとっては「お前が先にバックせえや」てな調子になりますと、「お前がさがれ」「そっちがさがれ」で一向に埒(らち)が明かん、しまいには「ええいっ、もうやめじゃぁ」と互いにクルマを乗り捨てて歩いてその場を立ち去る、てな光景よう見ますわね、あれが渋滞の原因やったんですねぇ…ウソですよ(^-^;

まぁ、一人の人間にひとつの都合がございまして、それと同じ都合の方を探し出すわけですから、うまくいかないほうがもっともなことやと、ちょっと考えればわかりそうなもんなんですが、そこに夢と申しますか、ファンタジーを求めるんでしょうかね、「あなたの都合とわたしの都合は違うわけがない、そんなことありえない」というようなふるまいや、「あんたの都合なんか知らんわ」と言わんばかりの無関心な行動を目にしますと、「そんなことないやろ、都合がちゃうから触れ合いが面白いんちゃうの。相手の都合に無関心なのに、自分の都合は押し通す、そんな世間があるわけないわ」とわたくしは思うのでございますが、これもわたくしの都合、勝手でございますわね。やはり、他人のご都合「あなたの都合」と申しますのは、わかりにくいもんですわね。


さて、街をブラブラ歩いておりますと、その「あなたの都合」の意図がよくわからんなぁ、くるっと回れ右をすればええもんを、270度を2回するように回りくどい、そんなもんを目にすることがございます。大阪・ミナミの道頓堀、この繁華街を抜けまして堺筋を東へ渡って行きますと、島之内と呼ばれる界隈でございまして、その一角に小さなお寺さんがございまして、その門に名札(なふだ)やないですね…表札? 看板でよろしゅうございますかね、大きな看板がかけられておりまして、そこには、そのお寺さんの肩書きがお寺のお名前の上に少し小さく書いてございました、「準別格総本山」と。「別格総本山」であれば、納得もできそうなもんですが、それに「準」がついているわけですわ。とりようによりましては「準別格の総本山」ともとれますわね。ほな、「準別格」ってなんやねん、どういう意味ですねん、と思うわけですわ。「もう、そんなん別格ちゃうやろ」とも思うわけでございます。そう思いますと「別格ちゃうかったら、もう総本山でもないやろ」とも考えがすすむわけでざいます。もうそれやったら「準総本山」とか「準本山」とか言うてくれはったら、「ああ、さよか」と通り過ぎることができるのでございます。しかし、こう考えるのはわたくしの都合でございまして、あのお寺さんの都合から申しますと、「準別格総本山」はなんも無理のないところなんでしょうね。あんまりええ言い方やございませんが、わたくしも勝手、あなたも勝手、そう思うのでございます。お互いの勝手があっち向いてこっち向いてるもんですから、接点がございません。ですから諍(いさか)いも起こらんわけですわね。おんなじところに住んでいて、おんなじように生きてるつもりなんですが、まったく違う思考をもって態度を表しているんですな、面白いですな。わたくしはこういうちぐはぐが同居している人間というもんが誠に好きでございまして、たまに、我をひっこめて相手にとことんつきあっていくのも人間の特性やと思っておりまして、この優しさが好きなんでございます。けっして相手への無関心ではございません、「ちゃんと知ってるよ、あんたんところは『準別格総本山』やんなぁ」という気持ちをもっておるのでございます。わかりますかねぇ…(^-^;

ついでにもうひとつ、オフィス街にはビル群がございますね、大きいビルから小さなビル、「えっ! これビル?」と思うもんまで「▲■ビル」と名前がついておりまして、目に付くところに大きな字で書いてありますわね。そのビルの名称に屈折したご都合を感じたのでございまして、「●●第三ビル 2号館」でございます。●●は山本とか鈴木とか、どなたかの苗字でございました。憶測しますに…最初に「●●ビル」が建てられまして、がんばったおかげで、もう一つ作ってみようかと「●●第二ビル」ができまして、またまたがんばったおかげで、もう一つできることになったんでしょうね、で「●●第三ビル」を建てることができたんでしょう、しかし、なんかの理由から二つに分けんとあかんようになって、「1号館」と「2号館」ができたんかもしれませんわね。オーナーの●●さんからしますと、なんの無理もないネーミングなんでしょうが、なんの責任もない、ただの通りがかりのおっちゃん、わたくしのことでございますが、そのおっちゃんからしますと、「第三ビル」「第四ビル」にしてもろたほうが、もし、今後、この●●ビルに関わりができたとしましたら、「第一ビルやったかいなぁ…第二ビルやったかいなぁ…三か二やったかなぁ…」てなことになって、生涯、その界隈をぐるぐるしていそうな気がしましてね、そんな自分にはなりたくないなぁ、と感じたのでございました。

「そんなもん、ちゃんとメモしていかんかい!」というお声も聞こえてまいります。しかし、そのメモが「二やったかいな、三やったかいな…」てなことを書いてしまいそうなわたくしでございますんです。「そんなもん、わしの知ったことか!」と言われるでしょうね…さようでございます、えて勝手なこと申しておりますわたくしでございます。


【追伸っぽく】
しばらくの間、ブログをお休みさせていただきます。好き勝手なことを申しておりますわたくしの記事でも「読んでやろうやないか」とおっしゃっていただいている方がたには日ごろから感謝しておりまして、誠に申し訳なく思うております。体調がすぐれませんため、どうしてもブログの更新および維持が困難になっております。ご理解いただければ幸せです。と申しましても、不埒でやくざなわたくしでございますんで、急にまたあほなことを申しあげているかもしれません。その際はどうぞ「ちゃんと知ってるよ、タイガースのことが気になるねんなぁ」とご容赦いただければ至極幸せでございます。
みなさまのご健康とご多幸、そして、それぞれの出来心とつまみ食いがとがめられませんようお祈りいたしております。


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