雀百までなんとやら

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レクイエム

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お先に天国へいかれた方
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先日、亡くなられた羽田健太郎さん。
ハネケンさん」の愛称で親しまれ、
音楽についてなんの学もないわたくしのような者でも
とっても身近な存在に音楽を置いてくださった、
そんな印象とともに
あの笑顔とソフトな語り口がわたくしは好きでした。

先日、ラジオでばんばひろふみさんが
ハネケンさんとのあるエピソードを語っておられました。
ばんばさんのマネージャーさえ知らなかったというほど、
いままで一切語らなかったとのことでした。

まず、ばんばさんとハネケンさんの接点があったのだろうか、
という疑問が真っ先に頭をよぎるのでしたが、
スタジオミュージシャンとしては、もう古くから
ポップスの感覚をもったクラシック育ちのピアニストとして
レコーディングには引っ張りだこの存在だったそうです。
音楽に境目をつけないハネケンさんらしいキャリアですよね。

ご存知でしょうか、
ばんばひろふみさんのミリオンセラーとなった「SACHIKO」。
この曲のピアノ演奏はすべてハネケンさんだというのです。
レコードにもクレジットされていないので
この事実を知る人も当時レコーディングに立ち会った人たちだけらしいです。
もう二十数年前(三十年前の手前)の曲です。
その頃から、上に述べましたように、引っ張りだこだったハネケンさんですから、
レコーディングスケジュールも綿密に組まれたのですが、
その一日だけ、ようやくブッキングできたとのことです。
ハネケンさんはピアニストとしてレコーディングに参加される予定で、
アレンジ(編曲)は別に担当者がいたそうですが、
その「SACHIKO」だけ、アレンジをするのを忘れて、
ぶっつけ本番状態になったとのことです。
そこで、ハネケンさんが、
イントロはこういうのはどう?
間奏はこんなのでどう?
という感じでその場でつくってくださったということです。
もし、担当者がアレンジを忘れずにつくっていたら
ハネケンさんの才能を作品として残すことができなかったのかもしれないということです。
あの名イントロが生まれなかったら、
「SACHIKO」のミリオンセラーはなかったのかもしれないのです。
いずれにしても、ハネケンさんのピアノとばんばさんの歌が
こうしていま残っていることを
この曲が大好きなわたくしとしてはうれしいこと極まりないことでした。

ばんばさんもこのことを今まで一切語らなかったということでしたが、
二十数年の時を経ても色あせることない名エピソードだと感じられました。
いや、二十数年の時を経て、熟成され珠玉の名エピソードになったのかもしれませんね。

その当時のアレンジ担当者の方もいまは故人となっておられるとのことです。
きっと天国でお二人が顔をあわせて、ニンマリしておられることでしょうね。

時実新子さん

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実は、先日、ずっと以前におつきあいしていた方と
街でばったり出会って、懐かしくて
少しだけお酒をいっしょにと、
いまのことなど、おしゃべりをさせていただきました。
当時、その方から、すすめられたのが
時実新子さんの「有夫恋」でした。

その再会の次の日、新子さんが亡くなられたという報道を目にして、
また、懐かしくその頃のことを思い起こしました。

このブログでも、ずうっと以前に紹介させていただきました句

  男一匹葬る目に力

も思い出しました。
残念なことに、いまわたくしの手元にはその本「有夫恋」はありませんでした。
しかし、この句の「男」が自分の夫ではないことを
思わせることに新鮮さを覚えたものでした。

娘さんとの楽しい会話のことを書かれたエッセイも
思い出しました。
※ すべてを思い出せないので、細部には誤りがあると思います。

新子さんの娘さんがある人と激しい議論を展開したことを
母親の新子さんに話されました。
どうしても納得ができなかった娘さんは
何度もその議論の相手に食い下がったそうです。
その議論した相手から最後に
「執念深い人ですね」と言われたのが癪に障ったので
「時実新子の娘なんだから仕方ないでしょう」と言ったというのです。
これには新子さんも苦笑いだったようです。

そんなとってもチャーミングな女性がまた一人、
わたくしたちの前から姿を消されたこと、
残念なのですが、
天国での新しい恋を楽しんでおられるかもしれません、
もうそんなわずらわしいこと御免と思っておられるかもしれません、
しかしながら、亡くなられたのに、
まだこの一匹の男の心を駆け巡らせるのですね。

いずれにしても「時実新子の娘なんだから」という方がいらっしゃるのですから、
このドロドロした現世のことはお任せあれ。
おやすみなさいませ(^-^)


【参考】
●「有夫恋」
http://blogs.yahoo.co.jp/hiromi_puu/1928516.html

●「山女魚…」
http://blogs.yahoo.co.jp/hiromi_puu/2318847.html

墓碑になんて書く?

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僭越ながら敬愛いたしておりました池田晶子さん
先日(2月23日)に他界されました。
専門用語を用いず、日常の言葉で哲学を語られ、
「哲学エッセイ」という分野のパイオニアでいらっしゃいました。

池田さんによれば
この世でもっとも確実なものは、
いま生きていること、そして、死ぬこと、
これだけなのです。
とかく現代は、この「死ぬこと」が
あたかも非現実的であるような扱われ方をしていることに
たいへん危惧されていました。
著作のタイトルにもなっている「知ることよりも考えること」
説いていらっしゃっいました。
これがわたくしが敬愛しておりました理由でもありました。

その池田晶子さんが「週刊新潮」に「人間自身」と題してエッセイを
連載されておられました。
その最終回が現在発売されている最新号に掲載されています。
厳密には、最期に執筆されたものではないのですが、
この連載の最後を飾るタイトルが「墓碑銘」でした。
自らで、自らへのお悔やみができるなんて、
池田さんらしいなぁと感嘆したのです。

「墓碑銘」、お墓に刻まれた文のことですが、
日本では、伝統的に家系や名前しか刻まれていませんが、
欧米では、その人の生まれたときのことや、職業、何人の家族がいたとか、
そういう、その人の歴史を刻むこともあるようで、
墓地を散歩すると、さまざまな人生に触れ合え、
名も知らない、会ったこともない人の人生を想像することできる、
そういうのが楽しい、ということがこの「最終回」に書かれていたのです。

その中で、池田さんも楽しまれた墓碑銘のことが書かれていました。
お墓には「次はお前だ」と刻まれているのです。

  他人事だと思っていた死が、完全に自分のものであったことを
  人は嫌でも思い出すのだ。それを見越しての文句、
  大変な食わせ者である。

とは池田さんの弁。
死というものは、生理学的な機能は失われますが、
ちゃんと生きている人と対話ができるのです。
おもしろいですね。

池田さんは、この連載で、じゃぁ、自分はなんと刻もうかと考えます。

  この文句の向こうを張るならどうだろう。
  「ほっといてくれ」というのは、ひとつあるかな。
  私の人生がどうであれ、あんたには関係ないでしょうが。
  死後勝手なことを書かれたくない、
  死後に名を残したくないという人にはふさわしいでしょう。
  「死んだ者勝ち」というのも、なかなかいいですね。
  あんた方、生きてる者が勝ちと思ってるでしょうが、
  ほんとにそうかね?

と、いくつか思考しますが、
最後に池田さんが考えたのは…

  「さて死んだのは誰なのか」

でした。
本当にそう刻まれるかどうかはわかりませんが、
自分も「食わせ者」の仲間入りをしたいと思うなら、
さて、墓碑になんと刻みましょうか?

ぼくなら…

  「ただいま、セミの修行中…」

にしようかな(^-^;


【引用】「週刊新潮」2007年3月15日号掲載の池田晶子さん著「人間自身」の最終回

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宿沢広朗さん

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ラグビーでは手でボールを扱う場合、前に投げてはいけない。
これは基本的なルールで、「スロー・フォワード」といって反則をとられる。
前に落とした場合でも「ノック・オン」という反則をとられる。

だから、真横へのパスが最良とされるわけだが、
攻撃のパターンのためにはわざと後方へパスをする。
そのかわり、相手のスキをついて走る、または体でぶつかって突破をしようとするのだ。

真横へパスするというのは単純なようにみえて
実際にはなかなか難しい。

ボールをもっているプレイヤー自身は前へ走っているわけだから
パスするとどうしても後方へボールはいってしまう。
だから、パスしようとするプレイヤーの「心持」前にパスをする、
というふうに最初に教えられるのだ。
これが「スロー・フォワード」ぎりぎりのパスなのだ。

ボールを受け取ろうとするプレイヤーももちろん走っている。
いいパスというのは、この受け取るプレイヤーがさらにスピードをあげて走ってきて
受け取ったときに真横、つまり「スロー・フォワード」にならないように投げるのである。
パスする方は、ここで受け取ってほしいというところへ放る、
受け取る側は、そのボールめがけて走る。
つまり、野球のように、ボールを受け取るプレイヤーが止まっているのではなく
常に動いているということが、フットボールの特徴といっていいだろう。

残念ながら、昨夜のW杯予選リーグ「日本×クロアチア」は手痛い引き分けとなった。
これには二つの「手痛い」がある。
ひとつは決勝トーナメントへの進出がますます厳しくなったということ。
もうひとつは勝てたゲームを勝てなかったということだ。

今日の読売新聞の解説にこんなことが書かれてあった。
欧州でのプレイの経験が豊富な中田英寿選手は常々、味方のプレイヤーの「数メートル先にパスを出し、
『もう一歩先』へ走ることを求めた」という。
通称「キラー・パス」というやつだ。
ラグビーのパスとまったく同じことだと感じた。

スポーツの種類は違うにしろ、ラグビーとサッカーは本家と分家の親戚関係のようなもので、
どちらも欧州の国々に強豪チームが多い。
フットボールを育み続けてきたお国に学ぶことはまだまだたくさんありそうだ。

奇しくも、この大事な一戦に、ラグビーの日本代表の元監督、宿沢広朗さんが急逝された。
宿沢さんは日本代表をはじめて、欧州の強豪、スコットランド戦での勝利へと導いた。

昨日の「日本×クロアチア」戦も、
もしかして、宿沢さんが天国から日本チームへ力を与えてくれて
勝利へ導いてくれるのじゃないかと勝手に思っていたが、
そうではなかったようだ。

いや、天国の宿沢さんからのメッセージがあったとしたら
「あきらめずに力を尽くせ」ということなのかもしれない
とまた勝手に思っている。

四角い顔、小柄ではあるが、あきらめることを嫌った宿沢さん、
地上のぼくたちがへこたれているのをみて
「まだまだだなぁ…」と見守っていてくださいね。

茨木のり子さん

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7年前に出版された「倚りかからず」がベストセラーになった際にはじめて出会った詩人だった。
だから、この方のことを多く知っているわけでもないし、
昔からのファンというわけではない。

しかし、「倚りかからず」の
「もはや できあいの思想には倚りかかりたくない」
は当時もいまも
ぼくのなかのひとつの指針とさせていただいている言葉だ。

この世でりんとして生きたのり子さん、
天国では八百万の神のかたっぱしから甘えていてほしいな。

※「倚りかからず」の表紙の絵はとっても素敵で大好きなんだが、
 この本がいま手元にないのが残念だ。

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