雀百までなんとやら

しばらくお休みします。レス遅れますが、コメントは今までどおりどうぞ

社会と政治の話題

[ リスト | 詳細 ]

小泉首相曰く「郵政解散」。わたくしなりにこの総選挙を楽しませていただく。政治とは「政策」であり、それを推し進めるための調整能力であると大学で学んだ。それから大きく逸脱することもあることは御免あれ(^^)
記事検索
検索

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

イメージ 1


わたくしが住んでいる近所には、公立の小学校が1校があり、また、私学の中学高校が3校あり、最寄の地下鉄の駅から毎朝、たくさんの生徒がやってきて、通学している。大阪市内の大通りのひとつである谷町筋に面しているので、朝、通行量が多い。そのうえ、三叉路ということもあり、毎朝、警察官が交通整理を行い、横断する児童、生徒たちを守ってくださっている。横断歩道の信号が青点滅しているときでも、右折車をしっかりと止めて、児童、生徒たちを横断させてくださっている。子どもたちも、少しは感謝して「ありがとうございました」ぐらいの声はかけるべきだと思うのだが、それは学校と親のするべきことであるように思うのだ。

この交通整理があってこそ、事故の犠牲者を出さずにいると思わずにはいられない。しかし、平日にもかかわらず、児童、生徒が通学しているにもかかわらず、この交通整理が行われないことが月に一度だけあるのだ。ある政党の次期衆議院選挙での立候補予定者の街頭演説がある日、その日に限って、交通整理の警察官は交差点内にいないのだ。

わたくしはずっとこのことをいぶかしく感じていたのだが、その事実を知っておきながら、なにもせず、もし、事故が起こり、不幸なことが起こったとすれば、世間に対して申し訳なく思うのだ。以前(春先)は、交通整理の笛の音をかき消す、大音量の街頭演説に、「はた迷惑な輩だ」と思って見ていた。あまりにもひどい、自分勝手なことが行われるならば、注意をしにいくつもりだったが、事態はより悪いほうへ、つまり、交通整理の警察官がいない状態になってしまったのだ。

この状況をずっと見てきたわたくしの偏見でもなんでもないと思うのだが、この立候補予定者と警察の間で密約が交わされたのではないか、と思うのも不思議ではないと確信している。もし、そうだったとすれば、おそらく、クレームが発生したときのための理屈も考えていたのだろうとも思うのだ。

さて、今日、朝の散歩から帰宅する道で、その立候補予定者が街頭演説をしていた。案の定、警察官の姿は交差点にない。いつもは、その様子を部屋から見ていたが、今日はその現場がまさに目の前にあったのだ。演説中のその立候補予定者に話しかけた。以下はその会話を思い起こしたものである。一言一句そのとおりではないが、要点だけをピックアップする。


わたくし 「あなたが演説するときは、いつも交通整理がされていません。どうしてですか?」
候補予定者 「それは知りません」
わたくし 「わたくしはここに住んでいる者で、あなたの演説のときのことをいつも見ています。毎朝、子どもたちを守ってくださっている警察官の姿がなくなるのはどうしてですか? あなたがなにかお願いしているのでは?」
候補予定者 「いえ、一切知りません。警察官の方の人数が少なく、この場所で行えない日もあるものだと思っています。それは仕方がないことだと思います。」
わたくし 「しかし、ずっとわたくしは見てきていますが、あなたの演説の日に限って警察官はいませんよ。」
候補予定者 「演説しているときに、いらっしゃることもありました。」
わたくし 「それはずいぶん前のことで、ここ最近はずっといないでしょ、わかるでしょ?」
候補予定者 「いえ、知りません。」
わたくし 「じゃぁ、あなたはここに警察官がいないことをあなたの依頼やそういうことではないとおっしゃるのですね。」
候補予定者 「ええ、わたしは知らないことです」


この会話から明らかにわかっているのにシラを切っている状況を想像できると思うのだ。
最初に尋ねたとき「知りません」と言っておきながら、「いらっしゃることもありました」と言ってるのだから。つじつまがあう、あわないは別にして、警察官がいるかいないか、子どもたちの安全を守るか守らないかについて「知りません」などと答える資質に、誠実さが一切ないと思わざるを得ない。

こういう状況を今日まで放っておいたわたくしも責任の一端は感じているが、なにも思わない大人の多いことに嘆き悲しい思いをあらたにしたのだ。もちろん、わたくしが詰め寄っているときに、足を止めて見物している人もいたが、だれも賛同いただけなかった。やはり、わたくしは異端なのだ、いつかは迫害されるのだという思いを持ったのだった。

さて、次回(来月)の街頭演説で交通整理の警察官がいると、「やはり…」と思うのは人の情であるのだと思うのだが…。

イメージ 1


わたくしが通っております教会でとても親しくしていただいている70代の男性の方「よういっつぁん」、親子ほどの歳の差があるにもかかわらず、わたくしのことを同級生のようにかわいがってくださっています──大相撲の稽古で用いる表現ではなく、正味の意味で。教会で開かれている講座「聖書の学び」でのことでございました。そこで配られた資料プリントの表紙に世界中で用いられている「平和」のシンボルとなっているマークや言葉が散りばめられておりました。鳩やオリーブの輪、Love & Peaceなどでございました。その中に指のVサインもございました。よういっつぁんが「Vサインは勝利を表すものだよね。勝利があるということは負けている人たちがいるのだから、Vサインは勝った者だけの喜びで、負けた側の者にとっては『平和』になるのかな?」と疑問を投げかけられました。確かに、戦争が終わる際には、勝ち負けが存在し、負けた側というのは勝った側に従うのが通例のように思われます。しかし、戦力が上回れば勝利するのですから、それが下回っている側は正義のゆえに負けた、とは限らないとも思われたのでございます。つまり、勝ち負けがあるところに「平和」があるのだろうか、ということを考えさせられたのでございました。こういった矛盾を感じるのは、戦争自体が矛盾の塊であるのだから、そこから生まれる物事が矛盾を帯びているのは当然、そのように一応の結論をわたくしのなかではもつことにいたしました。


さて、このように、一見、なにも疑問にも思わないところに視点を置くのは難しいことではございますが、そこに個人だけの利益を目論む思惑があるように感じることがわたくしには多々ございます。先日、憲法九条を守る宗教者たちのシンポジウムがございまして、参加してまいりました。そこで哲学者・高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)が基調講演をされまして、そのなかでとっても興味深いことを話されました。

ちょうど総理大臣になりたての麻生太郎さんの靖国神社への発言とそのスタンスについて「感情の錬金術」と題して解説してくださいました。麻生さんは自ら靖国神社に参拝することは控えているような態度でいらっしゃいます。その反面、彼は「天皇が靖国神社へ参拝できるようにしたい」とおっしゃっておられます。これには戦争を肯定する目論見があり、それを正面から国民に訴えるのではなく、国民の感情をなにも疑問に思わないような方向に向けさせ、目論見をすすめていく「感情の錬金術」であると評されました。

もう少し、詳しく申しますと、靖国神社とは天皇のために命をかけた戦死者がまつられておりまして、天皇のためという人の感情に訴えることを利用した当時の国策のひとつであったのでございまして、戦争終了後、国から独立させられた経緯がここにございます。現代のわたくしたちが考えねばならないのは、魂をまつるのは心にかんすることであって、けっして国からの力が及んではならないことであるはずです。つまり、亡くなられた方の魂とどのように接するかはその人の心の自由に委ねられねばならないわけでございます。この視点をよそに向けさせるのが麻生さんが提唱する「天皇の靖国神社参拝」であるということです。

天皇の靖国神社参拝は、天皇と靖国神社の和解に見えますが、実は和解するのは、天皇と戦死者の遺族なのでございます。いまだ解決されていない天皇の戦争責任を問わず、舞台を靖国神社にすることによって、天皇と靖国神社との和解を大きく世間に知らせる好機となるわけです。天皇が靖国神社に参拝することで戦死者遺族が喜びを表し、その結果、靖国神社の存在価値が肯定されたように思われわけです。靖国の肯定は天皇の名による戦争の肯定に直結し、憲法九条の改定をはじめとする海外派兵ができる永久法の制定への機運が一気に高まる可能性が非常に高くなるのです。憲法九条の大黒柱である「戦力を持たない」「戦争をしない」という論点が「あってもいい」が前提の論点に入れ替わってしまうことにつながりかねないということです。そこまでして、どうして戦争を肯定し、それを行いたいのか。国が行った戦争は一度たりとも国民のために行ったのではなく、一部の者の利益のためにそれを行い、国民が戦死することなどなんとも思っていないからとしか思えません。国は戦争のためには平気で国民を戦場に送り込むことをいままでしてきたのです。この国を守るために軍備を増強せねばと声高に言う政治家が真っ先に戦場に赴くのでしょうか。自分は行かない、自分の身内は行かないからこそ、戦争をカードのように切るわけです。そのために麻生太郎という人は「天皇の靖国神社参拝」という「感情の錬金術」を利用しようとしているのです。

わたくし個人の思いではございますが、戦死者の霊魂は決してまた同じ不幸な事態を招くこと、戦争を行うことを望んでいるようには、どう転んでも思えないのでございます。二度と起こさせないためにギッと睨みをきかせているに違いないと思うのでございます。

「橋のない川」の作者、住井すゑさんは、人権と平和を学習するために、負の遺産としての「教育勅語」、正の遺産としての「水平社宣言」をあわせて教えるべきだというユニークな観点をお持ちでした。麻生太郎という人は、珍しくこの負の遺産である「教育勅語」を諳んじることができるのだそうです。国民のために力を注ぐというのであれば、正の遺産である「水平社宣言」もこの際、憶えていただいて、国民に両方を解説していただきたいものです。


先の戦争に関して申しますと、被害を与えた国ぐににはもう謝罪は終わったではないか、いつまで謝罪せねばならないのか、という声を耳にすることがございます。わたくしは、永遠に謝罪するべきだと思っております。謝罪が終わったことを機に戦争が起こるに違いないと思わずにはいられないのでございます。ドイツはユダヤ人の虐殺については、永遠に謝罪し続けるという態度を崩していません。これこそ、戦争をなくそうとする姿勢のひとつであると思うのでございます。わたくしたちがいますぐできること、それは憲法九条を堅持することであるはずで、これを世界に誇りたいと強く思うのでございます。


前大臣が学力低下の根源は日教組であるかのような発言がございました。競争社会に生きていけないことをその諸悪の根源のように論じられたことが話題になっておりましたが、日教組の本来の目的は先の戦争の反省から「教え子を二度と戦場には送らない」であって、決して、学力を向上させること(学力を低下させること)ではないことを忘れてはならないと思うのでございます。前大臣の論点は言いがかりでしかないことであることが、この問題でもっとも大切なことであると思うのです。

戦争を肯定する姿勢をもって学力を向上させるのであれば、学力向上などなんの意味もないと思うのでございます。本心か、口からでまかせか、それとも、舞い上がってそう言ったのかはわかりませんが、「天皇陛下のために戦いました」などという言葉がどれほどの人たちの心を傷つけているかを教えるべき人が必要だと思います。そのための教育であるべきだと思っております…今日この頃でございます。

────────────────

■マタイによる福音書(18章7〜9節)
「世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目がつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」

────────────────


飲酒運転事故により三人の子ともを失ったご夫婦にお子さんが生まれたことが
大きく報道されていました。
感動された方、励まされた方、祝福の気持ちを持って接した方が多いことだろうと思います。
わたくしも「よかったね」と口からこぼれたほどです。

しかし、このご夫婦にとてつもない不幸が訪れたため
救われるべきだという気持ちをもって接しているからこそ
感動を受けた、励まされた、というところもあるのではないでしょうか。
わたくし自身もそうだと思っています。
この感動の熱が冷めた頃、
満員電車で堂々とベビーカーをもって乗ってくる人をみかけたとき、
うとましく思う人もいるのではないだろうか、
感動の熱をもったままでも、それとは別とばかりに
新しい生命が誕生していることに祝福の気持ちをもてず
そのベビーカーの存在を否定したい思いに駆られるのでは、
と思うのです。

というのも、昨夜、何気なくアクセスした「Y!掲示板」の書き込みに接し、
事故に遭われたご夫婦の生まれたお子さんも
ご近所で生まれたお子さんも、
また、たまたまバスや電車で出会ったお子さんも
これから育まれる命に変わりはないはずだという思いをさらに強く思ったのでした。
福岡のご夫婦の新しい命の誕生を諸手を揚げて祝福しているように見せている社会は
本当に新しい命の誕生を祝福する気持ちなどないのではないのだろうか、
と疑問を感じずにはいられませんでした。

「この事件、事故に“ひとこと言いたい!”」と辿ったのでした。
そこに並ぶ、主張を盾にした悪口雑言、罵りの数々に落ち込んでしまいました。
テーマはどれも、社会をよくしたいという思いが込められているように思われますが、
そこでの発言のすさんだ、思いやりのかけらもない発言の数々に閉口してしまったのでした。
そのひとつが、「ベビーカーを車内では折りたたむべき」というようなトピックがあり、
育児をする側、車内で迷惑だと思っている側、賛否両論の立場の発言が並んでいましたが、
その中身のほとんどは、反対意見をもつ相手への罵りとしか思えません。
とても、新しい命を喜びを持って迎え入れようとしている発言とは思えませんでした。
発言者たちはここに問題解決の糸口を見出すことができると思っているのだろうか、
いや、単なる発散の場としてしか捉えられていない、
そうだとすれば、罵りが飛び交うのも当たり前であり、
問題解決の糸口すら見出せないのは明らかだと思います。
※ 両者の罵りをなだめるような発言もありますが、焼け石に水といった感は否めません。

実は、先日、大阪でも起こったベビーカーが電車のドアにはさまれて引きずられた事故があり、
「本来、ベビーカーは車内では折りたたむべき」という考えでいましたわたくしも、
このことを記事にして掲載しようかと思っていたのですが、
昨夜の掲示板での発言を目にして、
問題の根源はもっと奥深いもので、折りたたむかどうかではない
と感じました。

たとえば、満員電車で赤ちゃんを乗せたベビーカーを乗せようとしている人をみかけたら
どうするでしょうか?
「赤ちゃんを抱いてあげるからベビーカーを折りたたみなさい」や
「赤ちゃんが乗ってきますよ、席を譲ってあげましょう」
と言える人がどれだけいるのでしょうか。
満員電車に赤ちゃんを乗せることがいけない
という意見もあるでしょう。
しかし、その人にはその人なりのなんらかの理由があるのかもしれません。
それを一方的に「悪い」と決め付けるのも傲慢だと思います。
まずは受け入れてあげてから
「満員電車に乗せなくっちゃいけないの?」と問いかけてあげるのも
教え諭す方法だと思うのです。

とはいえ、普段の電車やバスでの乗客の様子をみれば、
このような光景を目にすることがないだろうというのも
頷けるのではないでしょうか。
普段から新しい命の誕生、育みに思いやりと温かみをもって接していないから
「自分の都合の悪いときだけ関心もたないでよ」という開き直りのような声も
でてきて当たり前だと思います。
自分より若い者が席を先に譲るべきだと思っている元気な五十代の人、
席を譲っても断られたからともうなにもしなくなった人、
理由はわからないではないですが、
弱い者をいたわる気持ちまで捨ててしまっているのではないでしょうか。

福岡のご夫婦の新しい命の誕生に心が動いたのならば、
自分の身近の新しい命の育みにも大いなる祝福をもって迎え入れてほしいと思うのです。

 洗濯板を使って選択をしていた時分は
 それに多くの時間が費やされていたが、
 洗濯機の出現でその時間は大いに短縮された、
 しかし、それで得た時間はどう使われたのか、
 社会がより暖かく豊かになったようには思えない

という趣旨のことを桂ざこばさんがおっしゃっていました。
わたくしも頷いていました。
文明の発達によって、
これまでの歴史で奪われたものを取り戻すことはできるでしょう。
しかし、同時に本来もちあわせていたものを捨て去ってしまっては
もったいないと思うのです。
捨て去ったものを、この現代まで育んできた人たちの励みと思いもいっしょに
捨て去られているように思います。
これももったいないと思えますか? 仕方ないと思いますか?


焼きそばが食べたくなったある男が、お店に入っていきました。
店主 「へい、いらっしゃい! なにしましょう?」
男  「焼きそばちょうだい」
店主 「お客さん、冗談はよしてくださいよ」
男  「ほな、皿うどんで…」
店主 「怒りますよ。からかうんだったら帰ってください!」
男  「あれ? ここ、食べ物屋さんちゃうん?」
店主 「うちは寿司屋ですよ」
男  「へぇ〜、寿司屋さんちゅうんは生涯、焼きそば食べませんのん?」

噺の枕にありそうな会話ですなぁ。
さあ、寿司屋のご主人は、この男をどう扱うのでしょう。
また、この男は寿司屋になにを求めたかったのでしょう。
もしかして、「寿司屋が食べる焼きそばを食べたかった」というのかもしれませんね。
しかし、もしそうであるならば、最初からそれを言うのが
人の交わりでの筋ですわね。
社会通念からして寿司屋に入って「焼きそばくれ」というのは
乱暴なことだろうし、ご主人が男を追い出したとしても
誰もこのご主人を責めることはできないでしょう。
しかし、屁理屈とはいえ、男の「生涯、焼きそば食べませんのん?」に
なんの説得もせず、追い返すのは商売熱心とは言えないと思います。
「やったことないですが、握ってみましょうか?」とか
「巻きでいいですか?」と言ってみるのも客商売のように思います。
男も「握ってみましょう」や「巻きで」という言葉にはっとわれに返って
「ああ、ごめん、ごめん。ぼーっとしてて、お寿司屋さんに入ってしもたわ」
と言い訳しながら「ほな、適当に二つ三つ握ってんか」となるかもしれませんわね。

今ではポピュラーになった「いちご大福」ですが、
まだ世間にそういう価値観がなかったとき、
お餅屋さんに「大福のなかにいちご入れてくれませんか」と言って、
「やったことないですが…」と言ってくれるお餅屋さんが
どれだけあっただろうかと想像すると、
上のお寿司屋さんと同じような結果になるように思います。
しかし、客はそこが「餅屋」だから期待をもって頼んでみるのですよね。
大工のところへ行って、そんなことを頼もうという筋はないと思います。

いずれにしても、お笑い種のようですが、
素人が専門家に頼る気持ちというのは、
困っているからその筋の人に相談するわけで
ようく考えてみると、まったく無理がないようにも思えます。

さて、政界は、次期総裁選びが大注目され、連日派手に報道されているようですね。
いまさら、「瀕死の状態」のお坊ちゃんに鞭打つつもりもありません、
いままで、けっこうばっさりやってきたつもりですから…。
それよりも、こういう派手な報道されているときに
こっそりなにかをやらかす者もおりますようで。
原爆投下を「しょうがない」と発言し、防衛相を辞任し、
一時、政治活動を自粛していた久間章生衆院議員
昨日(9月13日)から政治活動を再開させたようです。
それにさしあたり、長崎県庁内で記者会見をした記事を目にしました。
※下記参照
発言、辞任後も久間議員に面会を求めている被爆者団体について
「政治的言動をする方々なので、お会いする気持ちはない」と語ったといいます。
衆院議員は政治家ではないのですか、
政治家が政治的言動を拒むとすれば、
それは「給料泥棒じゃないか」と言いたくなります。
基本的に、昨日の会見では問題となった発言については
撤回していないようですから
やはり、政治家としての資質に欠けていることは否めないと思います。
誤りは訂正されるべきで、それを考えるために自粛していたのではないのか
とも思うのです。
いったい、自粛している間、なにをしていたんでしょうね。
まさか、寿司屋で焼きそば注文して追い出された…なんてことやってたんでしょうか。
でも、この人ならありえる、とうなずけるのでは?(^-^)


【参考】朝日新聞WEBサイト(2007-09-13)から

●原爆投下「しょうがない」発言、撤回せず 久間元防衛相
 日本への原爆投下を「しょうがない」と発言して防衛相を辞任した自民党の久間章生衆院議員(長崎2区)は13日、
長崎市の長崎県庁で記者会見し、「原爆投下を容認する気持ちはなかった」などとして発言は撤回しなかった。
被爆者団体から面会を求められていることについては「(団体代表は)政治的言動をする方々なので、お会いする気持ちはない」と言明。
被爆者らは改めて反発を強めている。

 久間氏は、党の整備新幹線等鉄道調査会長に就任したことで、自粛していた政治活動を再開するけじめとして会見を開いたと説明した。

 原爆をめぐる発言については「被爆者、遺族、広島・長崎の市民、全国の被爆に関するみなさんに大変にに不愉快な思いをさせた」と改めて陳謝した。一方で、「言い方に軽率さがあった。原爆投下を容認する気持ちはなかったし、許せないという気持ちは強くある」と釈明。
発言の真意を問われると、「あまり言うと自分を正当化するようにとらえられる」「一回しゃべったことは訂正できない」と述べた。

 参院選での自民大敗については「少なくとも私の発言などもマイナスだったと認識している」と語った。

 長崎平和運動センター単産被爆者協議会連絡会議の河野浩一議長(67)は「衆院議員を辞めて出直すならわからなくてもないが、政治活動の再開は理解できない。なぜ被爆者と会わないのか」と憤った。


どちらかといえば、気性がぶつかることが多かったわたくしと父親でしたが、
父親の言うことに理屈なく従っていたことがいくつかありました。
そのひとつがクルマの運転についてのことです。
父親は仕事柄、トラックをも運転することもあっただけに
クルマの運転は他も認めるようにホント上手でした。
友人の父親もそうであったように、
ほとんどがクルマの運転については卓越した技術をもっていたました。
それが当たり前だったように思います。
クルマの免許をとったばかりのとき、
友人たちとよくドライブを楽しんだものでしたが、
お互いにまだまだ拙い技術をなじりあっては
「上手くなりたい」と切磋琢磨したものでした。
その頃の「上手い」とは、速くコーナーを曲がるとか
何秒で400メートルを走りきるか
というものではなく、
赤信号で、停止線を越えずにクルマを止められるとか
一発で縦列駐車ができるとか
流れを乱すことなく道を譲れるかなど、
そういうものでした。
フロントグリルが停止線を10センチでもはみ出ていたら
「下手くそ!」となじりあったものでした。
それらは、父親たちのドライヴィングを
子どもの頃から憧れをもってみつめていたわたくしたちにとって
当たり前のなりゆきだったのでした。

思うところありまして、クルマの運転はしないと決め、
免許の更新もせず、放棄してから数年になります。
そんなわたくしですが、近ごろのクルマの運転の様子というのは
わたくしが若かった頃の、あの「下手くそ」をはるかに上回る(下回る?)ほど
「下手くそ」に映るのです。
フロントグリルが停止線を越えるなどかわいいものだと思えます。
横断歩道にまでかかっていてもなんとも思わないように
ステアリングを握っているドライバーの姿は日常茶飯事に見ることができます。
それをかっこ悪いと思わないから、
それ以上技術を向上させる気持ちも起こらないのでしょう。
そんなものですから、5センチや10センチという操作もできないのだろう
とわたくしには思えるのです。

というのも、最近、気になっていることのひとつに
緊急自動車がサイレンを鳴らしているのにもかかわらず、
道を譲らず、とうせんぼう状態にあるクルマが多いことと
緊急自動車がなかなか交差点を抜け切れないでいる光景を
よく目にすることがあります。
当初は、どうして譲らないのか、通れなくても
できる限りのことはすべきではないかと思っていたのですが、
もしかすると、前方のクルマとの間に距離的な余裕があるのに
それがドライバーにとっては余裕とはなっていない、
つまり、技術がないため、動きたくても動けないという実情があるのではないか
と思うようになってきたのでした。
普段から1メートル、2メートルぐらいは大したことない
という姿勢でドライヴィングしているものですから、
5センチの技術を身につける機会を自ら失っているのだろうと感じるのです。

また、青信号ならば無条件に進めると思っているためか、
自分だけは先に行ってもいいだろうという身勝手さからか
緊急自動車が交差点を抜け切れないのはそのせいではないかとも思うのです。
大阪だけの特殊な状況なのかもしれません。
みなさまの周辺はいかがでしょうか?

昨日、奈良県で妊婦を乗せた救急車が病院からのたらいまわしを受けた挙句、
途中で交通事故を起こし、ついには流産になってしまった事件を
報道でご覧になった方も多いと思います。
医療機関のモラルと整備が課題のように報道されていますが、
わたくしがもっとも気になったのは、
この途中に起こった交通事故のことです。
わたくしがよく見かけるように、
サイレンを鳴らしながら交差点へ入ろうとしたところ、
接触、衝突したのではないかと憶測しました。
残念ながら、わたくしが目にした報道には
その詳細を知ることはできませんでしたが、
緊急自動車を軽視しているドライバーがいることで
起こったことではないかと憂慮しています。

千分の一秒を競う最先端のモータースポーツにおいても
速く走ることはもちろん要求されるわけですが、
そのためには、スローダウンする(速度を下げる)とき、
きっちりとそれができないと、タイムはけっしてよくはならないのです。
ちゃんと止まれることは、自動車を運転するとき
もっとも大切なことなのに、
それをないがしろにしているのではないでしょうか。

「○○とハサミは使いよう」という諺が示すとおり、
道具や文明に瑕疵があるのではなく、
それを用いる側に根本的な思い違いがあって、
その思い違いのために不幸になる人がいることを
もっともっと論じるべきだと思うのです。
いずれにしても、「運転が上手だなあ」と感心をもてるドライバーを
見る機会がなくなったのは、もういなくなったのだろうか
とも思ってしまう…今日この頃でございます。

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]


.
ひろみ
ひろみ
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事