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頼長への捜索は十日に及び、頼長の随身だった秦公春(すでに死亡・頼長の起こした殺傷事件の大半の実行犯である)邸なども追求されました。 |
源平時代
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こんにちは、ゲストさん
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頼長への捜索は十日に及び、頼長の随身だった秦公春(すでに死亡・頼長の起こした殺傷事件の大半の実行犯である)邸なども追求されました。 |
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某ブログで山形県の平家落人伝承の集落の記事を読み、その地の衝撃的な等身大の藁人形の習慣に好奇心が湧いて、ついつい訪れてみたことがありました。
その集落の手前に小さな神社があって、地域の氏神さまかな?と思いながら覗いて見ると、少々気になる扁額が目に飛び込みました。
「白嶺神社」と書いてあったのです。
もし、これが「白峰」のことであれば、崇徳上皇の権現様を祀っているとも考えられるわけで、この地が平家落人の集落である――と言われている――ことを考えると、感慨深いものがあります。
2009/5/5(火) 午前 6:49
平家落人伝説は、オハナシだけじゃなくて色々なことが伝わっているんですよね〜…。
きっと平家の落人も自分たちの没落が「崇徳院の祟り」と考えたのでしょうから、祀っていたとしても不思議じゃないですよね…。
面白いですね〜…。
2009/5/5(火) 午後 6:12