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さて、ロードスの旧市街です。
私はすぐ外のホテルに泊まったんですが、目の前は城砦に囲まれた石畳の旧市街です。
ロードス島は、3で書いた通り太陽神ヘリオスの孫、リンドス・イアリュソス・カメイロスの三人が建国した三つのポリスが支配していました。(「イリアス」にもそのように謳われている)
海の貿易で栄えていたこの島は、東方と地中海を繋ぐだけでなくエジプトとも深い関わりを持っていたようです。
ペルシア戦争で一時期ペルシア軍に制圧されるものの(この時、リンドスにアテナが顕現した!)、ペルシアに勝利したアテネを中心としたデロス同盟に加わります。
しかし、ペネポネソス戦争末期に三市はデロス同盟から離反。この時に三市から人々が集まって、ロードス島の北端にロドスと言う都市を成立させました。これが今のロドスシティーの原型です。
それから、マケドニアの進行と、アレクサンドロス大王の死による後継者戦争に巻き込まれます。
元々エジプトが大きな貿易相手だったロードスは、エジプトを支配するプトレマイオスに心を寄せますが、有力な後継者だったアンティゴノスの軍に攻撃にさらされます。
その攻撃をプトレマイオスの後ろ盾で、耐えしのいだロードスは戦勝を記念して、太陽神ヘリオスの巨像を建立しました。
これが、古代世界七不思議のひとつとされるヘリオス像です。
これは旧市街の中の広場にあるタツノオトシゴ像。
後ろの土産屋が開いていたおかげで、変な土産を買って、そのヘリオス像のことを思い出しました。
ここの袋やら、絵葉書やらグッズ各種にヘリオス像の想像図がプリントされています(笑)
その巨像が記述通りの大きさだったかは分かりませんが、紀元前228年にロードス島を襲った大地震でヘリオス像は倒壊しました。100年も経たない間の出来事でした。
しかし、地震後のロードスには各地から救援物資がもたらされました。
その後、ローマの支配を受けたロードスは貿易の独自性を失いますが、重要な海洋拠点であることに変わりはありません。
ロドスの景観に最も大きな影響を与えたのが、1306年にやって来た「聖ヨハネ騎士団」です。
十字軍時代にエルサレムで創立された聖ヨハネ騎士団は1291年にイスラム教徒に陥落され、キプロス島を経てこの島にやって来ました。
彼らの潤沢な資金を元に、ロドスは城砦都市と生まれ変わります。
聖ヨハネ騎士団は1522年にトルコによって退却を余儀なくされるまで、持ち堪えました。
聖ヨハネ騎士団はその後、マルタ島に移り、そこでも同じような城砦都市を造ります。
(どっちも、現在は屈指のリゾート地となっているのが何とも…)
さて、騎士の通りだけでなく、当時の建物が結構残っていて、それが名所となっています。
「騎士団長の宮殿」と今は考古学博物館になっている病院などです。
イスラム圏となってからは、ギリシャ人は城砦の外へと追われ、中はイスラム教徒が住むようになり、モスクが建てられました。
19世紀に大国トルコが衰退を始めると、ヨーロッパの列強は領土のむしり取りを開始し、出遅れたイタリアはトルコに戦争を仕掛けて、ロ-ドス島を含む、ドデカニッサ諸島を占領しました。
その時に中世の遺跡が大々的に修復され、第二次世界大戦後ドデカニッサ諸島はギリシャに移譲されました。
まあ、ロードスに降りて、旧市街の城壁の規模に圧倒されますが、なんと言っても海ですね〜。
私は生涯、こんなに美しい海は見ないかも知れない…。
この、碧い海と岩場の様子が、アフロディーテやテテュスが上陸した海辺の景色のようで、一番神話世界を体現出来た気がします。
(これは旧市街の脇の湾。風車のあるマンドラキ湾には残念ながら行きませんでしたが、この後風車を見まくるので別にいい…)
海は旧市街の東側ですが、旧市街を出て、ひたすら西に歩くと、アクロポリスがあるスミス山に出ます。
大きな広場になっていて、復元されたスタディオンと音楽堂があります。
音楽堂の横を登るとアクロポリスがあって、ドーリス式のアポロン・ピュティオス神殿の柱が見られます。↓
入場料も要らない、むき出しのところにこんなのあっていいのだろうか?と心配になるくらい、無防備です。
(一応ロープはあったけど、白人のお兄さんは中に入っていた…。アテネでもロープを平気で越えていたのは白人男性ばかりだった)
そこから北へ行くと更に遺跡があったらしいのですが、当時私が持っていたガイドには載ってなかったので、行けませんでした。
こういう本こそ、電子書籍化されて欲しいもんだ…
ロードス島は2泊3日しかいなかったけど、もっとじっくりしたかったな〜。
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ギリシャ旅行 2回目
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