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龍潭寺(りょうたんじ)の横が宗良親王を祀った井伊谷宮(いいのやぐう)です。 明治になって、南朝びいきの明治天皇によって宗良親王ゆかりのこの地に建てられました。 前に行ったこの神社にわざわざ行ったのは、前回カメラを持たずに行った私の携帯に 宗良親王陵の写真がなかったからです。 カメラ無かったのは、多分デジカメ壊した時期だったかと思われ…、携帯になかったのは、何か撮るのに困難があったかと思われ…つまり、リベンジです。 前回に引き続き、龍潭寺の後ろから抜けて宗良親王墓に行きました。(鳥居くぐれよ) 鬱蒼と木が繁っていて携帯だから暗くて撮れなかったのかなあ…?なんて思ったのですが、全然明るい…けれども土塁に囲まれてるわ、草ボーボーだわ、で、ヤル気消失…。 確かに護良親王墓も全然近づけないが…。 なんというか雰囲気がまるでないのです。 鳥居があるだけ? それでもがんばって撮ったのがこの写真。 宗良親王は後醍醐天皇の大体第四皇子と言われています。 10代には出家して尊澄と名乗り、天台座主の立場で父帝の悲願「倒幕」に尽力します。 一時は鎌倉幕府によって配流の憂き目に遭いますが、鎌倉幕府が崩壊し、再び天台座主へ… それからは、足利尊氏との戦いの中、還俗して漂白の親王将軍として戦いました。 和歌の家元、御子左家の血筋で自身も歌詠みであった親王にあやかって学問にご利益があるようです。 しかし、私は前行ったときに買いたかった『勝ち守り』を買いました。 けれども狙ってた色がなくて「これ二色ありましたよね?」と巫女さんに詰め寄る場面もありました(笑) この方、戦で勝ったことあるっけ?という疑問はまあ置いといて。 他の南朝の武将を祀っている神社と違って規模は小さいけれど、だだっ広い今は風しか吹かないそれらの神社と違って、今でも地元の慎ましやかな信仰の対称となっている素朴な神社です。 ここは名の通り「谷」ですが、宗良親王は晩年さらに奥地まで退いて行ったので、この地で亡くなったのではないのですが、ゆかりの貴種を讃えているのでしょう。
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2010年01月29日
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