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この「歴史新書y」シリーズの評価は未だ、決め兼ねるのですが、ピンポイントの事件に関する考察としては手軽で面白いシリーズだと思います。 織田信長を家臣の明智光秀が討った「本能寺の変」について、書かれたものは多数ありますが、明智光秀に的を絞った貴重な本であると言えます。 この本は特に本能寺の変・謀略説に対する考察を多く扱ったものなので、なぜ光秀が信長を討ったのかに多くのページをさいています。 まず、当事者二人の人となりから始まります。 ここでは信長が従来言われている短気な性格ではなく、粘り強い性格であることを謀反を起こした荒木村重への説得などから述べています。 その信長とウマが合った光秀。 佐久間信盛父子追放の時の糾弾状で、第一の功を挙げられているのが光秀で、新参者でありながら実に上手く世を渡っていたと言えるでしょう。 しかし、光秀にも心配がなかったワケではありません。 五十代後半であったと思われる(67歳説もあるらしいけど、それだと子供ちっさすぎだと思う←奥方が若ければいいのだろうけど、それくらいだと本気で引退考えるだろ…)光秀の嫡男・十五郎は13歳で、自分が討ち死になどした場合が危惧されたと思います。 まあそれでも娘婿で本能寺から一連の戦で大活躍した明智秀満がいるからいいんじゃないかと言うか、多分それを見越しての秀満の存在だったはず…。 それならなぜ、光秀は本能寺を攻めたのか― そこで出てくるのが「謀略説」で、光秀を唆した人物たちが出て来るのです。 朝廷説、前将軍説、そして最近では光秀の子孫を名乗る方が打ち出した徳川家康説などあります。 ここで全部打ち消していくのは本じゃないのでしませんが、すぐ見ただけでも前将軍の足利義昭は以前光秀が仕えていたわけですが、きっちり人物を見限って信長の家臣となった光秀が今更義昭の言うことを聞くなんて思えないです。 家康説に至っては、本能寺の変の直後、身ひとつで三河まで何とか逃げた家康が共犯だとしたら、お粗末過ぎます。 もし知っていたら「今、辞めろよな〜!」と言うはずです。 それだけでもあり得ない。 それなら、なぜ?ということになりますが、本能寺の変が起きた状況を探る必要があります。 三月に武田勝頼を滅ぼした信長は天下布武の総仕上げに取り掛かっていました。 毛利攻めの羽柴秀吉は中国地方にいて、柴田勝家は上杉征伐で越後に、丹羽長秀、神部信孝は四国攻めに向かう途中でした。 そして信長自身は中国攻めの秀吉の後詰として出発するところでした。 総仕上げとはいえ、一度にあそこまで兵力を各地に分散させているとは…、と思わずにいられません。 事実、嫡男の信忠も父のことが心配で引き返してきたのです。 (後で思えば、これこそ国王と皇太子が同じ飛行機に乗り込むようなものだと思うのだが) 謀略説は確かに面白いけど、あそこまでの絶好のチャンスが来ると予測するのはまず無理なので、チャンスの神様(悪魔か?)が光秀に囁いたとするのが妥当だと私も思います。 ま、信長の油断ですね。 興味深かったのが斉藤利三の子孫が伝えたという口伝です。 姉妹の春日局のがんばりで、旗本に取り立てられた斉藤利宗は明智光秀の重臣だった父利三と共に本能寺の変に参加していて、遺談を残しているのです。 この光秀が家臣に謀反を打ち明ける様子の臨場感がハンパないです。 結構いい資料だと思うのですが、評価は高くないようですね。 そして、光秀たちが討たれた後に、首と胴を繋げて磔にされたと言うのがあまりに惨めで驚きました。 逆に信長や信忠がそんな目に遭わないように、立て籠もったというのがとても納得いきました。 紹介にしては長くなってしまったけど、最近読んだ本ではナカナカ面白かったです。 決着を着けるということではなくて、色んな状況を知る上でも為になりました。 ただ、前に読んだ「かぐや姫と王権神話」にも言えますが、テーマが散漫になった印象なのが残念。 |
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2011年03月13日
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