中将の君のひとりごと

歴史とサッカーが好きな私のオススメを紹介します。最近はもっぱら旅人か、映画評論家気取りですが…

神話

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前回のテミストクレスに関連して、今日は吉田敦彦氏の
『ギリシア神話入門―プロメテウスとオイディプスの謎を解く』を紹介します。
これは、まあ『世界神話大事典』(広辞苑より厚いが、専門的なことが殆ど)と同じく
「ギリシア神話って知らない」って人には向かない本です。

全部をちゃんと理解して読めば、全体が通じるようにはなっていますが…。


半分はティターンの「プロメテウス」を通して「人間」と「神」との領域の分離の神話を読み解く話となっています。
プロメテウスといえば、人間に「火」をもたらした神話が一番有名だと思います。

「火」の神話もそうですが、人間を作った(「創った」とは微妙に違うと思う)プロメテウスは、人間に対して様々な権利を勝ち獲ろうと知恵を働かせます。
そのひとつが「肉の配分」で、プロメテウスは人間に動物の美味しい肉と内臓を与えようとしました。
計略通り、人間は肉を貰い、神々には骨が分けられました。
しかし、それによって人間は放っておけばたちまち腐る肉の運命を与えられたことになったのです。
これは、日本神話の「コノハナノサクヤ姫とイワナガ姫の輿入れ」と共通する神話です。

その他、「パンドラの神話」。
(これは私はヘシオドスの創作だと思っているので、くどくど説明されてることは全部無意味なんですが…)

「人間」と「神々」の領域の区別という点で非常に面白いですし、ゼウスに裁かれたプロメテウスの姿は、人間の罪を背負ったイエスの原型といえます。


この本を買ったのは後半の「オイディプス」の為でした。
以前、吉田氏のオイディプス王に関する書籍を読んで非常に感動したからです。

運命から逃げようとして運命に向かって行ったオイディプスの姿に人々は神への畏怖を確認し、同時に無力な人間というものに対する愛情を抱いたと思われます。

神の前で人間はなんと無力なことか!
しかし、デルフォイの神託に踊らされたオイディプスは自ら両目を貫いた上で言うのです。
これは(神託を下した)アポロン神の仕業か、と問う人に
「アポロンだ!アポロンがこの私の不幸な運命を成就させたのだ」と、答えた上で

「だが、この目を傷つけたのは、他でもない、この不幸な私の手だ」
と、叫ぶのでした。

「殺人」の罪を犯した罪人に自らの手で罰を下すことによって、彼は神に翻弄された人間の最後の尊厳を守ったのでした。

そして、王として統治していたテバイを追放されたオイディプスは乞食のように流離ってコロノスの地で最期を迎えます。
『コロノスのオイディプス』では、放浪の末に神秘の最期を遂げる様子が書かれています。
それが、何を意味するのか一見して現代の私たちには分かりません。
これは「ペレポネソス戦争」でスパルタ連合軍にアテネが敗れたまさにその時に悲劇として上映されたものなのです。

『コロノスのオイディプス』は上映のその時にはすでにこの世にいなかったソポクレスのアテネ市民への最期のメッセージだったのでした。

ペルシア戦争での勝利で最盛期を迎えたアテネを、スフィンクスの難題を解いたオイディプスに擬え、その迫り来るかも知れない終焉に対してオイディプスの気高い最期の姿を指し示したのです。
事実、アテネの終焉によって古代ギリシアの高い文化そのものが衰退しました。

ソポクレスはまさに神の目線で、後世の人々に人間の不屈の尊厳を伝えようとしたのです。


さて、注意して貰いたいのが、オイディプス王の最期は元々色々な言い伝えがありまして、ソポクレスはそれをアレンジして物語を創ったということです。同じようにヘシオドスの『神統記』や『仕事と日』も伝えるメッセージの為に同じことがなされています。
神話とはひとつのストーリィではなく、いくつものバリエーションがあるのが当然なのです。

この本は人間というものを深く追求し続けたギリシア人の姿を伺える傑作だと思います。

『キリクと魔女』解説

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さて、今日はこの映画の解説に話を移します。

難しい話から入りましょう。
最初に書いたようにこの物語は「小さ子」説話に由来します。
不思議な霊力を持って産まれた「小さ子」がトリックスターとして人間に知恵と文化を授けるお話です。
キリクの泉を取り戻すくだりなどが正にそれで、『キリクと魔女2』では更にそこが強調されています。

他にも様々な神話の原型をここに見出すことが出来ます。
その中での特に物語の骨格を占めるのがイニシエーションといえるでしょう。
アフリカでは今でも成人の仲間入りをする為に少年少女に対して神話を起源とするイニシエーションを行います。

イニシエーションというのは私たちは崖から飛び降りるとか度胸試しを連想するかも知れません。
しかし、本来はそういうものではなくて、どこかに篭ったり、洞窟を彷徨ったりと母の胎内からの誕生…
つまり産道を想定した通路を潜って再び産まれ出るというものが主流です。

キリクの場合は、泉を復活させる怪物との戦いもそうでしたが、やはり祖父に会いに行くための動物の巣穴のトンネルがそれに相当します。

山の向こうに行ったキリクはそこで父方の祖父に認知してもらうわけです。
それまでキリクの周りにいたのは母親とその弟である叔父で、そこで初めて父系社会に吸収されるのです。

そして、小さいまま成人の仲間入りを果たしたキリクは魔女と対峙するわけです。
それこそがキリクの最後の冒険でした。
しかしその内容は剣を持っての対戦ではなく、魔女その人を救い出すというものだったのです。

カラバの棘を抜く為にキリクはカラバを魔力が届いていないエリアまで誘き出します。
この外に出すということが重大なのです。
それは、天岩戸神話やデメテル神話と同じく豊穣の女神を外に連れ出して大地に恵みを取り戻すという意味なのです。
その証拠に棘を抜かれたカラバの周りに木々が芽吹き、花が咲き乱れます。

そこにいるカラバはまさに地母神そのものなのです。
そして、この物語のメインテーマは大地の再生の喜びだといえるでしょう。


他に「山の賢人」が語る信仰の愚かさや、村の人々によって体現される人間の原罪などテーマを掘り下げたらキリがありませんが…。

イニシエーション、豊穣の女神の復活とベースがありまして、この物語を締めくくるのが「いばら姫」です。

カラバは成人の女性でありながら、夫を持ちません。
そこに最後の求婚者が現れるのです。
カラバは断わるために、今度は自然の摂理を唱えるのです。
「子供は大人の女と結婚しない」と。

それから、フェミニズムを訴えます。
「私は魔女ではなくなったけれど、(今まで通り)誰とも結婚しない」
「男の召使になんかならない」
ここらへんはカラバの本当の心の叫びのようで、少しウルッときてしまいますが…。

「私は新しい私だ」と高らかに宣言したカラバはどうするのでしょうか?


私の専門は日本史でもなんでもなくて、「神話学」なものでクドクド書いてしまいましたが、これほどの内容をちっとも難しいことなく詰め込んでいることにこの作品の真の凄味があります。
「神」だの「太古」だののワードに踊らされて、この半分も表現出来ないアニメが殆どなのに、この分かり易さ…。
誰もが大地の復活の喜びを感じることが出来る作品です。


それからキリクの母親の深い愛情も胸をうたれます。
彼女はキリクが初産でまだ年若いようで、他の女性たちよりも合理的にものを考えるようです。
画からもキリクの母親が若いことがよく分かります。

カラバの体型が成熟した大人なら、少し若い体つきになっています。
そういうキメ細かい書き分けが、暗くてよく分からない部分を補っているようです。
カラバの他の女性も胸を隠していませんが、張り方などから年齢が分かるようになっていますし、カラバのバストラインはまるでアングルの絵画のようです。


音楽も素晴しく「キリク〜♪」の歌は口ずさんでしまいますし、大げさなバックミュージックを廃した造りは、かえって生命の息吹を感じさせます。

そんな風にいいところを挙げたらキリがないのが『キリクと魔女』なのです。


カラバの特徴はその頬骨だと思うので再チャレンジしました。
時間かかった〜…

『キリクと魔女』

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3000人突破記念の今回は私のオススメのアニメを紹介します。

1本だけ、私が墓に持って行くアニメを挙げるとすれば『キリクと魔女』です。
『キリクと魔女』はミシェル・オスロ原作・脚本・監督のフランスのアニメで
日本にもジブリによって2003年に配給されました。


物語はアフリカのある部族で人より小さく生まれた少年キリクが、魔女カラバに
苦しめられていた村を救うという話で、「小さ子」伝説のひとつといえます。

キリクが自分の力で産まれたとき、父はすでに魔女の所から帰らぬ存在となっていました。
父のようにカラバに挑んだ他の壮年の男たちも誰ひとり帰ってきませんでした。他にもカラバは村から黄金を摂取し、村の泉も枯れてしまい、女や子供たちや老人は大変不便な生活をしていました。

キリクの挑戦に腹を立てたカラバは少年たちをさらおうと魔法を使います。
しかし、キリクの知恵と勇気で少年たちは救われました。

キリクはそれから、その勇気で水源を取り戻します。
村人たちからその智恵と勇気を讃えられるようになったキリクは魔女の山の謎を知りたいと
思うようになります。


なぜ魔女は全てに怒り、その悪しき憎悪を募らせるのか?

カラバの魔力によって魔女の城(?)の周りは木々が枯れ果て、草も生えない有様でした。
キリクはその勇敢な心で、自然の摂理に逆らうカラバの秘密に挑むのです。

その秘密を知るのは魔女の城の向こうの山に住んでいるキリクの祖父その人でした。
キリクは鳥や植物や大自然の力を借りて、魔女の目を逃れて「山の賢者」の許に辿り着きました。
「山の賢者」はキリクに真実のみを語って聞かせます。


ここからはネタバレになりますので、DVDの購入を考えている方は読まないで下さい。
…と、言ってもホームページを見ると、全部書いてあるんですが。


キリクの祖父は昔々の哀しい物語を聞かせます。

魔女が怒り続けるのは、背中に打ち付けられた毒の棘の為だと言うのです。
その昔、魔力を与える為に男たちの手によって彼女の背中に棘が打ち込まれたのです。
だから彼女は男たちを憎み、その終ることのない苦痛の為に人々を呪い続けているのです。

棘は背中の真ん中に刺さり、自力では抜けない上に、抜く時にはそれは恐ろしい苦痛を伴うのでした。
そして、その痛みこそが彼女に力を与えているというのです。


キリクはそれなら棘を取ってやり、カラバを痛みから開放しようと心に決めます。
そして、キリクの大いなる智恵によって棘が取り除かれます。

すると…カラバの周りに木々は芽吹き、草は生い茂り、花が咲き競うまさに楽園の世界がそこに現れたのでした。

カラバは言います。
もう苦しくない。…痛みもない。
私は魔力を失ってしまった。だけど、これでよかったのだ。
…と。

しかし、カラバはまだ全ての力を失ったワケではないのです。


長くなるので続きます。
がんばって描いてみましたが、カラバはもっとキレイです。

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上野の国立西洋美術館でやっている『ルーヴル美術館展―17世紀のヨーロッパ絵画―』を見てきました。

ルーヴル美術館と言えば、『モナリザ』や『ミロのヴィーナス』で有名ですが、今回はフェメール、
レンブラント、ルーベンスなどキラ星の如く絵画の巨星が出現した17世紀の絵画71点の公開です。

いやあ…、混んでましたね。
土曜だから仕方なかったんだけど、そんなにルーヴルなんだ…と、ちょっとビックリしました。
チケットでけでかなり並んでいたし(私は前売りでしたけど)、昼過ぎから入場制限も始まってました。


見所はフェメールとベラスケスでしょうか?
個人的には、ジョルジュ・ラ・トゥールの『大工ヨセフ』ですね。
お父さんのヨセフに灯を掲げる少年キリストの清らかさが素晴しいです。
キリストの手が炎で透けているとことが、画期的作品でもあります。

ベラスケスは『王女マルガリータの肖像』。
傑作『ラス・メニーナス』でも描かれていたマルガリータ王女の可愛らしいたたずまいです。
当時この王女はフェリペ四世のただひとりの子として(姉は嫁ぐことが決まっていて、弟はこの後しばらく経って産まれる)スペイン王国を継ぐ運命が近付いていました。
だから、王女は縁談のために幼い頃からたくさんの肖像画が描かれたのです。
宮廷画家ベラスケスによって。


絵の題材は『旧約聖書』や『新約聖書』、そして『ギリシア神話』などです。
ルーベンスの『ユノに欺かれるイクシオン』は、大変な罪を犯して裁かれるイクシオンを神々が哀れんで
神々の食卓に呼ぶまでに寵愛しました。
それに驕ったイクシオンはやがて、神々の王・ゼウスの妻のユノ(ギリシア神話のヘラ)を抱きたいと望むようになりました。(そこまでイイ気にさせなくても…と思うけど)
それを知ったゼウスは雲を固めてユノを形どり、イクシオンが交わったところを捕らえ、地獄に落として
永遠に終ることのない責め苦を与えたのでした。

この絵は雲のユノにイクシオンがまさに抱きつくところです。
立ち去ろうとするのがユノ本人で、傍らに孔雀がいることで分かります。(神々はお気に入りの動物がいます)
そして、松明持つキューピットの上にお決まりのポーズでいるのが、神々の王・ゼウズ(ジュピター)。


私のお気に入りはヨアヒム・ウテワール作『アンドロメダを救うペルセウス』です。
私は以前にこの作品を実損ねているので、感動の出会いでした。

蛇の頭を持つメヂューサ退治を済ませたペルセウスは岩場に鎖で縛られた少女に出会います。
少女の美しさに惹かれて事情を訊くと、彼女の母である王妃カシオペアが自分(カシオペア自身)の美しさと誇って「私の美しさは海のニンフも叶わない」と言ったことから、怒った海の神・ポセイドーンが怪物を寄越したのでした。

なんで怪物が暴れているのか分からない人々が、神官に問うと(以上の理由で)「神が怒っているから、ひとり娘のアンドロメダを怪物に捧げなさい」(!)とのことでした。
仕方なくアンドロメダは繋がれ絵画の場面となったのです。

結局、ペルセウスによってアンドロメダわ救われ、彼と結ばれてハッピーエンドvvvというわけです。

この絵の前でおばさんが「あ、私この絵なら分かる」と言いました。(他の絵の話は分からなかったんですね…)
「毎年、生贄を捧げてんでしょ」だって。
惜しい〜っと、叫びそうでした。
「ヤマタノオロチ退治」と混じってしまいましたね(笑)
でも、この神話、源流は一緒でユーラシア大陸を遙々渡って伝わったのです。

他にも、『デメテル神話』と『天岩戸』や、『オルフェウス』と『イザナギ』の冥界降りなど。


聖母子は分かって見てらっしゃるんでしょうが、活き活きとしたキリストの幼児ぶりを見て欲しいです。
ルネッサンスの中ごろまでは、大人と変わらないような表現だったのが、子供の愛らしい姿をとるようになったのです。
私はその愛らしさこそ純白の真実だと思うのですが…。


国立西洋美術館で6月14日まで。
フランスカラーを基調としたグッスの袋がカワイイので、お菓子とかぜひ買って下さい。


写真はチラシと、『アンドロメダを救うペルセウス』です。

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