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前回、妻・明子を亡くした清盛は悲しみの日々を過ごします。
そんな中、出家した待賢門院璋子が病に倒れました。
鳥羽院は二人の思い出の水仙を探し求めます。
それを見れば璋子は元気になると信じて…。
しかし、鳥羽院が持ってきた水仙を見ても微笑むだけで、璋子はそのまま身罷ってしまうのでした。
鳥羽院の悲しみは相当なもので、「磬を打ち鳴らして」嘆いたと書いてあります。
ドラマでも、鳥羽院がチーン、チーンと鳴らしていました。
私はこの磬が何だか分からなかったのですが、以前に中尊寺展で螺鈿細工の磬の台を見て「これかあ!」と、感動したものです。
ドラマでは夫婦愛で終わってしまいましたが、この頃母親と一緒に暮らしていた雅仁親王は悲しみに塞ぎ、見かねた兄の崇徳院が自分の御所に招いて慰めたとあります。
こうして手を取り合って慰め合った兄弟が、決裂して戦うことになろうとは夢にも思わなかったでしょう。
さて、この時期に源義朝が京へ凱旋します。
なんかドラマでは為義の子が義朝一人しか居ないみたいな演出で不満なんですが、この頃入れ替わるように義朝の弟・義賢が武蔵の方へ旅立ったのです。
その時に例の藤原頼長との面白いエピソードがあったりするのですが、まあスルーですよね。
この義賢の子が木曽義仲となります。
武者修行というか、この地方に行って地固めするのってすごく面白いですよね。
地方豪族との連携強化が目的なんでしょうけど、まあ種付けというか(笑)婚姻もその手段というワケです。
劇的に再会して、結婚する頼朝の母・由良御前の前に義朝はすでに二人の子を作っています。
ひとりは三浦氏との間に出来た、のちに「悪源太」の異名をとる義平と、波多野氏との間に出来た朝長(ともなが)です。
この二人の母親も決してはした女ではなく、豪族の令嬢でしたから頼朝の母より身分が劣っていたということはないのですが、中央とのパイプのあることが決め手となって由良御前が本妻となったのはドラマの通りです。
そして、主人公・清盛も後妻・時子を迎えいよいよ歴史の表舞台に登場です。
なんか低視聴率だったそうですが、待賢門院の死とか、時子と清盛の微笑ましい馴れ初めとかドラマチックで面白い回でした。
このドラマちゃんと見てれば、院政期〜鎌倉幕府設立までバッチシだと思うのに、もったいないなあ…。学生は後で習う時に全然違うのに。
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