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広島を最後に通過する二本の下りブルトレ、それは皆さんご存知の「あさかぜ」になります。
20系客車の初使用列車となった「あさかぜ」はいわばブルトレの元祖。昨年、廃止になるまでブルトレの代名詞として扱われて来ました。
実は、私の走行写真の原点はこの「あさかぜ」にあります。
昭和52年、広島へ引っ越したひろみや、家のすぐ近くをブルトレが通るという事は生まれて初めての出来事です。
早速、上り「あさかぜ1号(当時)」を見に行きました。時間は夜の7時。夕飯そっちのけで行ってみました。
下関編成のみ短いものでしたが、日の入りの遅い広島ですからEF65−500の牽く20系「あさかぜ」を見るには充分明るく、その姿はとてもカッコ良かった。私鉄沿線に育った身としては国鉄の偉大さを感じるには充分な編成だったと思います。
それからも何回か見に行きました。そしてある日、自分の「コンパクトカメラ」を持って行ってみました。その一枚はとてもお見せできるものではありませんが、私の走行写真第一号となりました。
20系初使用列車の「あさかぜ」は東京口のブルトレでの20系最後の列車となりましたが、その下り「あさかぜ1号」・上り「あさかぜ2号」も昭和53年2月に24系25形に置き換わりました。
それでも私にとって「あさかぜ」は一番身近なブルトレであり続けました。やはり広島に使いやすい時間帯に走っていたからでしょう。朝の通学の広電では、いつもこの撮影の場所で下り「あさかぜ3号」とすれ違いました。でも、その「あさかぜ」ももうありません。きちんとした記録は残せませんでしたが、廃止前には何回か東京駅に行って名残を惜しみました。
「あさかぜ」が二本通過すると、ブルトレ撮影は終了です。そして撮影の最後の締めはグリーン車付きのキハ58系の普通岩国行に決まっていました。これは急行「ちどり」の編成で、上り「ちどり」になる列車が岩国始発だったのでその送り込み列車でした。
今、考えると豪華な布陣でした。でも、つくづく思いますね、「昭和は遠くになりにけり」と。
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「あさかぜ」も「出雲」も、つい最近まで2往復ありましたよね。以前職場の先輩が「下関行き『あさかぜ』なんて『あさかぜ』じゃない」と何度も言っていたのを思い出しました。ブルトレがずっと走り続けてくれれば、どこへ行ってもいいような気がします(^^)
2006/4/17(月) 午前 0:57
さくらこさん/正直言って「あさかぜ」が無くなるとは夢にも思っていなかったです。確か最盛期には三往復だったような気がします。私もA寝台・食堂車付きの博多「あさかぜ」こそが「あさかぜ」と思っていました(笑)。でも、そんな贅沢も言えない時代になってしまいましたね・・・。
2006/4/17(月) 午後 10:59