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今回の記事は少し新しく、平成5年8月の記事になります。
“鉄”休業中のこの頃、旅行に行く時で近場の場合はマミヤの6×6判のカメラを持って出掛け、また遠くへ行く時はオリンパスのL−1というカメラにフジクロームベルビアを入れて使っていました。つまり、“鉄”向けの装備でなかったという訳です。そんな事もあって、なかなか記録が残っていません。
それでも、“乗り鉄”として興味のある鉄道へは行っています。
この時は以前記事にした小野田線のクモハ42を訪れた後、博多から「なは」で大阪へ着いてから寄り道したものです。
三岐に寄った理由は元西武の電車がいるからです。今でも三岐の電車は元西武の電車ですが、この当時はまだまだ釣掛車が中心でした。
三岐はその名からわかるように、三重県と岐阜県を結ぶ計画の鉄道でした。それが叶わなかったものの、鈴鹿山脈へ向かって路線が延びているのでなだらかな勾配を上る釣掛車の音が味わえます。
この記録は保々駅のものです。画像の上は501系で元西武501系。改番せずに使用していました。中は601系で元西武の571系です。この601系は今でも現存していて、元西武電車の釣掛車の中で最後に残った一編成なっています(休車状態の一畑電車を除いて)。ただ、冷房がないので夏はお休みとの事です。
おまけ画像は、西武からの譲渡車の導入時に琴電へ行ったモハ120形の画像です。これは高松駅での記録で、三岐から回送されてきたものです。昭和57年の夏でした。
平成5年と言っても13年前、もう一回、最後の西武電車の釣掛車に会いに行きたいな、と思いますね。
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