特別書庫:関西紀行編

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どうも未だに「電鉄三木」って言ってしまいがちな神戸電鉄の三木駅からは神戸電鉄粟生線に乗ります。

 神戸電鉄は神戸高速鉄道の新開地から(神戸電鉄の始発駅は湊川)鈴蘭台まで来て、そこから有馬・三田方面の有馬線と三木・小野方面の粟生線に分かれる私鉄で阪急グループの一員の会社です。地下駅の湊川を出ると六甲山を登り山あいへと入るチョッと変わった私鉄なんです。

 ここ三木には粟生線が通っています。今では住宅地がいっぱいあるその沿線ですが、私が子供の頃は鈴蘭台の隣の鈴蘭台西口から三木の手前の三木上の丸まで乗降客がまったくいない位のローカル線でした。でも、電車はいつも混んでいましたね・・・。

 実は、私の父方の実家は粟生線の小野にありました。5年前に亡くなった祖母がそこに住んでいました。

 ここで普通なら三木から新開地へ向かうところでしょうが、今回は久々に小野へ行ってみる事にしました。


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 上り新開地行では「いきなり」3000系が登場しました。三木駅で見る4連固定の3000系は新鮮です・・・。実は、粟生線は長い間3連が限界でした。新開地寄りの途中の志染まで5連が入るようになっても志染〜粟生間は3連のままでした。それが21世紀(!?)になって漸く4連が入れるようになったのです。3000系は昭和48年のデビューですが4連固定のため粟生線には入れず、私にとっては「憧れ」の電車でしたね。

 なお、デビュー時の3000系の愛称は「ウルトラマン」。色合いや顔付きがそっくりでした。
 新塗装になる時にもう一本赤い線が入ったので、今では「帰って来たウルトラマン」になってしまいましたけど(笑)。
 

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 小野行には1100形が入っていました。色こそ変われど昔と「同じ顔」です。しかも2ドア車。おそらく昔、乗った車両のはずですね・・・。


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 外の塗装は派手になりましたが、車内の雰囲気は昔のままでした。でも客用ドアと貫通路の辺りは変えていますね。昔の客用ドアは「押さえ金」式で貫通路は「広幅でドア無し」でしたから。その頃の神戸電鉄は運転台入り口の上に「神鉄会館・神鉄一番街」の広告、車両の製造銘版は「川崎重工」、そして広い貫通路の向こうには「ダダダン・ダダダン」と短いジョイント音と共に揺れて「ガシャン・ガシャン」と網棚に当たるつり革と・・・、そんな感じの電車だったのです。


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 「そろばんの街」小野までは4駅で到着です。でも、運賃高かったなぁ・・・。神鉄の運賃の高さは昔からなんですが、利用客が少なくまた路線に勾配が多いので設備投資にお金がかかり、その経営はかなり厳しいようです。

 小野駅で降りてみる事にしました。そしてその駅舎を出た目の前に広がる光景には、予想していた事とは言え、私は驚きを隠すことが出来なかったのです。
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 加古川駅の駅員さんに三木鉄道の時刻を聞いた時、「粟生方面へ行きたいのですが・・・」と言う聞き方で聞いたと思います。その時、「駅員さんが何か言いたそう」だった感じでした。それはおそらく「三木鉄道の三木駅と神戸電鉄の三木駅は離れてますよ・・・」と言いたかったのでしょう。

 三木鉄道の三木駅は町の西端にあるのに対し、神戸電鉄の三木駅は町から美嚢川に架かる福有橋の北側にあります。実はこの両駅の間を歩くと10分以上かかるんです。

 三木鉄道は今回初乗車でしたが、実は三木線には一回だけ乗った事があります。もう、35年以上前でしょうか。祖母の家のあった神戸電鉄の小野から神戸に行く際、母親に頼んで神戸電鉄の三木から三木線の三木へ行って加古川経由で神戸へ行った覚えがあります。たしかその時はタクシーで両駅の間を移動したと思います。

 今回は歩いて見る事にしました。


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 三木鉄道の三木駅は歴史ある建物です。恐らく播州鉄道の開業当時のものなんでしょうかね。まるで「時が止まった」状態です・・・。


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 三木は古くからの金物の町。今では中心部の商店街はすっかり寂れてしまい、郊外型の店舗が増えてきています。今の三木は神戸電鉄で神戸へ通勤する人たちのベッドタウンになっています。
 

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 これが美嚢川の福有橋です。実はこの時、吹雪状態になっていたんです!なんでこんなに重い荷物をもって吹雪の中を歩いてるんだろ???・・・そんな気持ちになって来ましたね(笑)。


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 漸く神戸電鉄の三木駅へ到着です。やはり12分掛かりました。

 よく「三木鉄道が神戸電鉄と繋がっていれば・・・」という声を聞きました。けれど、結局、最後までそれは成りませんでした。もし「二つの三木駅」が乗換駅だったら、三木鉄道の運命はやはり違っていたのかも知れません・・・。

 神戸電鉄の三木駅でコートに付いた雪を払いながら、そんなことを考えていました・・・。
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 加古川駅の駅員さんに確認した「あること」は厄神からの三木鉄道への乗り換えの時刻でした。確認した結果、12時41分の厄神行が三木鉄道に接続するそうです。

 三木鉄道は元の国鉄三木線で、昭和60年4月1日に第三セクターの三木鉄道に生まれ変わりました。ところが今月31日をもって廃止となる事が決定しています。

 今回は加古川線で粟生まで行って神戸電鉄に乗り換える予定でしたが、厄神から三木鉄道で三木へ向かい、神戸電鉄へ向かう事に変更しました。

 国鉄三木線は同じ国鉄加古川線や高砂線、北条線、鍛冶屋線と共に播州鉄道の一路線として誕生しました。ところが播州鉄道は加古川や美嚢川の舟運を代替する目的で整備された鉄道で、「市街地を無視」した路線を展開してしまいました。加古川線も小野や社(現:加東市)の市街地の対岸をわざわざ走ったり、三木線の三木駅も市街地の西端に開業したり、ちょっと変わったことをしています。

 実はこの辺りの東播(とうばん=東播磨)と言われる地域は私の父方の実家があるところでもあります。そんな事から以前より馴染みや土地勘のある地域なのです。

 三木鉄道、実は開通の日に訪れています。この時は石野駅で撮影しただけで、乗車はしませんでした。
         (参考記事:http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/27906835.html)

 当時から「存続は大変!」と言われていた三木鉄道、ついに「鉄道廃止推進派」の市長が選ばれる時代になり、その姿を消すことになったのです。やはり神戸電鉄が開業し、神戸まで直通しているのにわざわざ三木鉄道の駅まで行く人はいないと思いますね・・・。

 今回は期せずして「最初で最後」の三木鉄道乗車が出来たのです。


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 車内へ入ると、座席はそれなりに「ファン」で埋まっていますが、あまり立っている人はいません。日頃の車内はどんな感じだったのでしょうかね・・・。


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 車内に三木鉄道をテーマに撮影をおこなっている方の写真が展示してあります。


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 車窓はこんな感じです。沿線には殆ど家はありません。向こうに大型店舗が見えますが、三木鉄道の駅からは遠く、皆は車で買い物に出掛けます。東播地域は全国でも有数な「車社会」の場所なんです。

 
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 厄神から三木までは250円。加古川からだとこれにJRの運賃が加わります。国鉄時代は加古川から三木までの通し計算。当然その方が安く、しかも国鉄時代は列車の殆どが加古川線直通でした。このディーゼルカーは平成14年製。最近まで鉄道存続が基本だった証ですね。


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 三木鉄道は今でも「タブレット」を使っています。第三セクターになった関係で、反対にJRと比べてすっかり近代化に取り残された感じです。

 三木鉄道、ここまで23年間よく頑張ったと思います。地元の人が「今までよく残っていたよね。」と話すこの鉄道は、「第三セクターブーム」の落とし子なのかも知れません・・・。
 
 岸辺から新大阪で新快速に乗り換えました。新快速では姫路へ向かいます。

 新快速は快速や普通などいろんな電車を追い抜きます。明石付近では加古川行の221系の快速を追い抜きました。先代の新快速用221系はJR西日本の中でも私が好きな電車。でも、今回、まともに撮れていないんです。そこで加古川でこの221系の入線を撮るために新快速を降りることにしました。


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 加古川駅いつの間にか高架になっていました。そう言えば今は姫路駅も高架なんですよね。221系を撮った後は姫路へ向かう予定でした。

 これは昼食に姫路駅の「駅そば」を食べるためです。姫路駅の「駅そば」はチョッと変わっていて、関西のうどんのつゆに中華めんが入っています。知らない人が聞いたら、「えっ!」って思うでしょうが、これがとても美味しいのです。


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 その姫路の「駅そば」が加古川駅にもありました!これはラッキーです!姫路に行かなくても済みそうです。予定では姫路に行った後は加古川へ戻り、加古川からは加古川線で粟生へ向かい神戸電鉄に乗る予定でしたから・・・。


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 チョッと「気になる事」がありましたが、それはさて置き、早速「駅そば」を食べる事にしました。ちなみにここでは天ぷらそばが定番です。昔、大阪から岡山経由で高松へ向かう時、よ〜く姫路駅で食べたっけなぁ。

 「駅そば」を食べた後、先程の「気になる事」を調べました。その「気になる事」とは加古川線の列車発車案内の行き先が、全てが「厄神」だった事なんです・・・。

 すると「衝撃」の事実が判明したんです!

 「第4土曜日の昼間は厄神〜谷川間は運休」なんです!

 さて、どうしましょうか・・・。明石に戻ってバスで神鉄方面へ向かう事も出来ますが・・・。


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 加古川の駅員さんに「あること」を確認しました。そして「あること」が確認出来た後は取り敢えず加古川線で厄神へ向かったのでした。

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 今回の関西遠征の大きな目的は「消え行く夜行列車」の追っかけである事は以前の記事で述べたところです。

 その中には当然、寝台特急「日本海」も含まれます。今月15日の改正では「日本海」は減便され、一往復だけになってしまいます。

 ところで、今でも残っているブルートレインのヘッドマークで昭和40年代と同じ物を使い続けているのは「あけぼの」と「日本海」だけのはずです。「あけぼの」は当然撮影済みなんですが、「あけぼの」は実質的には以前の「鳥海」でEF81との組み合わせは最近のものです。

 それに比べ「日本海」はかなり以前からEF81が牽引していました。もっとも国鉄の合理化の余波で、昭和50年代はヘッドマーク無しで走っていましたけど。そんな理由で「ローズピンク」の「日本海」をなんとしても撮影したかったんです。

 昨日の「日本海」の牽引機は「トワイライト機」でした。これはこれで貴重なんでしょうが、やはり「ローズピンク」がEF81の基本!・・・と、言う事で二日連続で狙ってみる事にしました。

 二日連続での「トワイライト機」はありませんでした。「ローズピンク」の「日本海4号」は定刻より3分遅れで岸辺駅を通過しました。定番撮影地での一枚は、今回の遠征でも一、二を争う「お気に入り」になりました!

 ところで岸辺駅は山崎カーブと並ぶ関西の有名撮影地。通過する列車も多彩で楽しい場所です。またまた「連貼り」で車両をお楽しみください・・・。


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 岸辺での撮影が終了し、ホッとした所である事に気が付きました!・・・うちの子供達へのお土産を買っていない!!!・・・慌てて新大阪駅のみやげ物売り場へ向かったのは言うまでもありません・・・(笑)。

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