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新年早々、大変申し訳けありませんが「ちょっとブレイク」をしてしまいます。 |
”なつかしいもの” 関東地方
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皆さん、新年早々から「なつかしの鉄道」にご訪問戴き有難うございます。 |
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いつも「なつかしの鉄道」にお越し戴き、誠に有難うございます。 |
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前回の鶴見線の記事で予告した通り、今回はクモハ12の「大仕事」の記事を書きます。 |
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今、首都圏のJRの電車は全てが銀色になろうとしています。そんな中、路線別にボディカラーを変えた電車達が消えてゆこうとしています。中央線のオレンジも約50年の歴史を「色帯」に託して終えようとしています。 ところで色付きボディの前は、どの路線の電車も「ぶどう2号」と呼ばれる茶色の電車が走っていました。この色は、最近まで鶴見線や小野田線で見られた色の事です。 昭和46年頃まで、都心でもこの茶色の電車は中央線・山手線以外の各線で見られました。京浜東北線・総武緩行線・常磐線などでも見られ、それ以外の支線群では当たり前のように我が者顔で走っていました。 昭和50年代になると、都心の路線の冷房化で捻出された103系を使って、茶色の電車の置き換えが始まりました。昭和52年の青梅・五日市線や昭和54年の横浜線など、次から次へと101系や103系に置き換わって行きました。丁度、昨年、103系があちこちで引退したのと同じ状態でした。 最後に残ったのは鶴見線でした。これも昭和55年に101系に置き換えられます。ここには仙石線にいた103系の車体化へのアコモ改造車の第一号であるモハ72970という変わった電車がいました。このノウハウを仙石線用に生かしたのでしょう。ただ、この電車は103系化されずに他の仲間と一緒に廃車になりました。 但し、大川支線だけは線区の特殊事情から17メートル車のクモハ12以外の入線が出来ず、一番古いクモハ12だけが残るという現象が起きてしまいました。 ところがこの偶然残ったクモハ12には、JRの合理化の関係で昭和の終わりから平成にかけてとんでもない「大仕事」が待っているのです。 次回はその「大仕事」についての記事を掲載したいと思います。
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