”なつかしいもの” 関東地方

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 今回の記事の画像はあえて一枚のみです。

 もちろんこの風景、ご存知の方には「何てこと無い」風景なんですが、この駅をご存知ない方は「どこの駅なの?」って思うような風景かと思います。

 ここは新宿から約20分、中央線の武蔵境駅の昭和56年の画像です。正確に言うと中央線のホームを共用していた西武多摩川線の武蔵境駅の画像という事になります。まさか左側を201系が走っているとは思えない光景です。

 電車が西武電車の色をしていますが、クモハ451と画像のクハ1651のコンビはまるで「地方私鉄」の電車のようです。確かこの組み合わせで地方私鉄へ行った仲間もいるはずですね。

 今、この武蔵境駅は高架工事の真っ最中。西武の駅も中央線の間借りではなく、独立した駅へと変わっています。

 新しくなりつつある武蔵境駅を始発とする西武多摩川線。走る電車は「西武顔」の旧101系のみの路線です。今では地方私鉄で御馴染みの「西武顔」、ここではその最後の活躍が見られます。

 なぜ、ここで旧101系が頑張っているのか?これは今、武蔵境駅の工事中で西武線と中央線の線路が分断されてしまっていて西武本線との電車の行き来が出来なくなっているからなのです。その武蔵境駅付近の高架工事は2008年度頃には完成するとの事です。

 そうなると旧101系の活躍はあと2年ぐらいは大丈夫だとは思いますが、その後はどのように変化するかはわかりません。駅の完成予想図には2000系のイラストが書いてあるとも聞きます。

 今も昔も、ある意味「懐かしい西武」が残る武蔵境駅や多摩川線、その近代化の完成の日も、もうそこまで来ているようです・・・。



 

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 今年の初めに当ブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/21523825.html)で紹介した、東武の1800系通勤型改造車が昨日(7月3日)で引退しました。これは7月4日より開始された小泉線のワンマン化に伴うものです。

 3月のダイヤ改正で佐野線から引退した同車は、小泉線でその余生を過ごしていました。しかし結果、その活躍も4ヶ月にも満たないもので終りました。

 もっとも、通勤化改造時も最小限の改造で抑えられた同車の改造は、ゆくゆくは廃車になる前提の改造だったと思います。それでも「優等車」の「通勤化」改造はまるで昔の国鉄のようで、「見る者」も「乗る者」を楽しませて(!?)くれたと思います・・・。

 東武電車で珍しいものにはこの他では宇都宮線の5050系釣掛車がありますが、これも半蔵門線50050系の増備の影響で行く末が見えています。この二つが引退すると、東武の電車達のなかで実態として一番古いものは8000系になります。こうなると8000系の今後も気がかりになってきます。

 画像は今年の1月撮影のもの。独特の車内が特徴でした。

 ある意味「東武らしい」1800系通勤車は静かに引退していきました・・・。

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 今、巷では「国鉄色」の電気機関車が大人気。携帯の掲示板で「情報」を集めながら「追っかけ」をやっている方も多いと思います。

 そんな中に「茶ガマ」を追いかけている方も多いと思います。ご存知の通り、昭和30年代まで国鉄電機の色は「茶色」でした。EF58も登場時のデッキ付の時代を含め“ロクイチ”のような「茶色」が基本。また今では19号機のみが残っているEF60も登場時は「茶色」でした。EF62やEF63も登場時は「茶色」でしたね。

 その「茶色」は旧形電機の色から来ています。首都圏でも昭和50年代後半まで「茶色」の旧形電機が残っていました。

 ここは南武線の西国立。昭和57年だったと思います。確か翌年に青梅線のED16がEF64に置き換わるといった時期でした。ここに立川機関区(だったかな)があり、旧形電機が屯っていたのです。

 残念ながらパンタは上がっていませんでした。それでもED16はいっぱいいました。さらにEF58の貨物版のEF15も居たんですね。

 今から考えると当時は旧形国電にしか興味が無かったひろみや、もっとED16やEF15を撮っておけばと悔やんでいます。せめてパンタが上がった姿ぐらいは残すべきだったと思いますね。もっともEF15なんて山手貨物線で「飽きる」ぐらい見ていますから、なかなか食指がわかなかったのかも知れませんが・・・。

 記事を書いていて「チョッと後悔」のひろみやでした。

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 今年の年末から中央線の201系の置き換えが開始します。

 この201系が本格的に中央線に登場したのは昭和56年の事。私の初乗車は昭和56年の年末だったと思います。

 東京駅から特快の201系に乗りました。101系と103系だらけだった中に登場した201系、乗って最初の印象は「暖房が効く電車だなぁ」だったと覚えています。冬の寒い時期でしたから103系の暖房の効きの悪さと比べて「暖かい」と感じたのだと思います。あとは「揺れないなぁ」ってとこでしょうか。まあ、空気バネですから当然ですよね。

 その201系の停車している中央線の東京駅、今では高架になっています。上と下の画像ではなかなか「定点撮影」とはわからないですね。

 201系が消えるのと時期を同じくして、東京駅丸の内の駅舎の赤レンガは戦前の空襲前の赤レンガを「復活」させる工事に入ります。電車は新しくなれど、駅は昔へ戻る。うん、時代は変わったものです。

 あ、そういえば今の東京駅丸の内の駅舎の画像を撮っていない・・・。今度、仕事で丸ビルに行ったときでも撮ってきちゃおうかな・・・!

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 戦後、焼け残った数少ない電車で復興を始めた京王線。再建が危ぶまれた為に、元々小田急系の帝都電鉄(井の頭線)を統合して京王帝都として歩んできました。

 ある年齢以上の方は、新宿の甲州街道を「ゴロゴロ」と走る京王線を記憶していると思います。その京王が「変化」したのが昭和38年。今の地下の京王線新宿駅の完成・1500ボルトへの昇圧・そして5000系の特急車がデビューした時です。

 5000系特急車は以前(http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/11337660.html)でも紹介したように、緑の京王電車の中にあって颯爽とデビューしました。この5000系は同時期に誕生した井の頭線の3000系と共に「京王の顔」になっていきます。

 ところが未だこの時代の京王は経営的にはまだまだ苦戦を強いられていました。府中以遠は未だ住宅も少なく、多摩線は未だ「多摩川」を渡っていませんでした。

 その頃はアイボリーの特急車も5000系だけでは足りず、2000系のアイボリー車も登場しました。

 さて、この5100系は5000系と同じ時期に登場したものの、初期車は性能的には「釣掛式」を採用しているという電車でした。先述の小田急の4000系も釣掛式でしたね。やはり全車5000系の高性能車に出来なかった「懐事情」があったのでしょう。(注:この5121は後期車で高性能車になります)

 この画像の頃、特急はほとんど昭和47年登場の6000系になっていました。この6000系は今でも走っていますが、電車の出来としては5000系の方が良かったとの話があるくらい、苦しい時代の設計のようです。輸送力増強のため6000系以降の京王の標準車は20メートル・4ドアになっています。

 5000系も地方私鉄各地で活躍していますが、6000系には今のところ地方に行った車両は無いようです。今後、どうなっていくのですかね。

 5000系や6000系と共に京王の歴史を43年間見つめてきた新宿地下駅には、今では8000系の特急が「当たり前」のように乗り入れてきます・・・。


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