”なつかしいもの” 関東地方

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 今日は昭和55年春の新宿駅に来ました。尚、小田急の過去ネタは(http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/11270239.html)に続き二回目となります。

 この頃の小田急線、まだ8000系も登場する前でした。5200系が一番の新車だった時代です。

 通勤車の顔ぶれは全てが「小田急顔」の電車ばかり。幅が狭く、長さの短い2400系以前の車輌もたくさんいました。

 今、残っている5200系以前の顔を勝手に「小田急顔」と称していますが、これは30代以上の方には納得してもらえるのではないかと思っています。2200系の初期型(現在も保存中)や2300系の登場時が二枚窓であった事を除けば、釣掛式の1900系なども「小田急顔」と言えるでしょう。

 並ぶ顔ぶれは2600系や4000系。意外に5000系列が少なかったのを覚えています。当時の小田急は今とは違い、優等運用ほど新車で運用していたので5000系列は急行運用が多かったです。ただ、当時は箱根湯本行には20メートルの大型車は使えず、2400系が入っていたと記憶しています。

 画像の一番上の4000系は当時は釣掛式。「HB車」と呼ばれる旧型車の機器を利用し、新製の車体を載せた更新車でした。運転台次位の戸袋窓の鎧戸が特徴的でした。また、こうやって見ると乗務員室の照明は白熱灯のようです。後年に高性能化されましたが、この手の車輌は京王・相鉄や東武(今でも現存)にも存在しました。ロマンスカーも7000系が登場した年ですので、この頃はまだ3100系が最新型でした。

 まあ、今の方が「顔ぶれ」は多彩だと思います。小田急は趣味的にも今が一番楽しい時期ではないかと思います。それに比べこの頃の顔ぶれは「画一化」されていたので趣味的にはイマイチでしたが当時を知るものにとって、「小田急はこの顔!」というのが確立したのはこの時代ではないかと思います。

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 さて、今回はちょっと違った趣向の記事にしてみました。

 定点撮影をしてみました。比較は東横線の武蔵小杉駅です。昭和57年と今の画像の比較です。(尚、過去記事にも東急線がありますので、宜しければご覧下さい:http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/11138242.html

 武蔵小杉駅は東横線と南武線の乗換駅として発展しました。南武線沿線にあまり住宅が無かった頃は程々の乗り換え客しかいなかったこの駅も、南武沿線の発展、東急目黒線の乗り入れに伴う複々線化などで発展し続けています。

 更に周辺を川崎の副都心にする計画もあるようで、横須賀線にも「武蔵小杉駅」をつくる話もあるようです。ますます発展が期待できそうな武蔵小杉駅です。

 上の画像が昭和57年、中と下が今の画像です。今では以前の東横線が使っていた内側の路線は目黒線が使っています。よく見ると、南武線を渡る橋梁が今も昔も同じですよね。

 さて、次回は東急線を離れ小田急線に向かいましょう・・・あれ、先週の「雨の日は撮り鉄!」の時と同じ展開だ・・・。

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 今回は昭和50年代後半の東急蒲田駅にやって来ました。ここは今も昔も変わらぬ雰囲気の駅。照明が多く、結構、夜でも明るい雰囲気の駅です。

 その利点はストロボ無しで撮影できる事。今でこそデジカメを使えば高感度撮影は決して難しいものではありませんが、当時はなかなかストロボ無しで手持ちで撮れる駅はありませんでした。

 目蒲線(今の多摩川線)の方が“多少”格上とされていたのか、新しい電車が多かったです。それでも18メートル車しか入らないので一番新しくても7200系でしたけど。

 「青ガエル」5000系もまだまだ頑張っていました。丁度、この頃が5000系最後の頃。この後、一斉に地方へ赴く事になります。

 3000番台の釣掛式旧型車も健在でした。車体は更新されていたので、古くてもよく整備された電車でした。この後、平成になる頃まで活躍しました。

 今も雰囲気の変わらない蒲田駅、顔ぶれも7000系をインバータ改造した7700系、同じく7200系を改造した7600系などが活躍しており、懐かしい顔をまだまだ見る事が出来ます。(参考記事:http://blogs.yahoo.co.jp/hiromiya_1638/25342750.html

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 さて、通常記事に戻りましょう。

 以前、電車の中でJRの横浜線を「ハマ線」って会話している方がいました。う〜ん、「ハマ線」ね・・・。どうも「横浜駅」に行かない「横浜線」、私は「ハマ線」ってちょっとピンと来なかった、そんな記憶があります。

 私は「横浜」の鉄道って言うと一番に京急、二番に相鉄を思い浮かべます。特に相鉄は横浜駅が始発駅。これこそ横浜が「地元」の鉄道と思ってしまいます。

 相鉄は、私が京急に住んでいた時代に友人が本厚木にいたので、その友人宅に行くときによく乗りました。

 本厚木といえば新宿からちょっと離れているイメージがありました。それに対し、横浜は品川からは比較的近いと思っていました。この両方を考え合わせると相鉄の横浜〜海老名間はかなり離れているように思えます。

 ところが相鉄の急行は二俣川以遠が各停にもかかわらず、横浜〜海老名を約30分で走ってしまいました。おお、これは結構近いなって思いました。

 おそらく厚木方面から都内へ行く場合は場所によっては相鉄経由の方が速いのかも知れません。まさにこれが相鉄が重要な路線である理由なんでしょうね。

 昭和50年代後半の相鉄線はご覧のような顔ぶれでした。6000系も新旧元気に活躍していました。新6000系はつい最近まで残っていて、引退時にはリバイバルカラーになって話題になった電車です。また、今でも残るアルミカーの7000系タイプの車両は当時の最新鋭、客室窓のパワーウインドーが特徴でした。

 相鉄線、20年以上乗っていないかもしれません。「横浜が地元」の人のための相鉄線、なかなか乗る機会がありませんが顔ぶれもかなり変わったみたいですので一度訪問したいと思っています。
 

屏風ヶ浦にて

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 昭和50年代後半、ひろみやが夢見る好青年(!?)だった時代、東京在住でなく、更に出身も東京の城西地区の人間にとって横浜は憧れの地でした。

 当時は○○ナンバーの車がいい!だの、○○ナンバーはダサい(う〜、死語!)だのそんな事を騒いでいた時代でした。

 そんな理由からなのか、この頃の画像は横浜地区のものが多く残っています。

 この日は横浜以南に出掛けています。

 屏風ヶ浦という駅、なんだか駅名が気に入ってしまい行ってみました。

 場所的には磯子の近く。駅の周辺は横浜らしく山の斜面に住宅が建っていました。

 ここは普通電車しか止まらない駅。快特、特急、更に「D急行」と呼ばれる神奈川新町〜逗子を走る線内急行までも通過していきます。

 ホームから横浜方面を望むと「横浜南部」らしい風景が広がっています。ここを走る京急電車、また、蒲田地区とは違った姿を見せます。

 当時は快特にも1000系が多く走っていました。快特の本数も増え、600系も性能的に苦しくなってきた時代でした。丁度この頃、2000系が登場しました。

 800系もオリジナルのツートンカラーでした。今では「優等色」とも言えるこの赤白のツートンは2000系が最初ではなく800系が最初だったのです。

 京浜間では国鉄とのハンデを克服するような走りを見せる京急電車も、横須賀線に比べ線形的にも有利な横浜以南では少し余裕をもった走りをしているようにも見えました。

 


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