”なつかしいもの” 中部地方

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昭和54年・名古屋駅

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 この頃の私は東京と関西や中国・四国地方を行き来していた時代でした。でも、なぜか、通過地点になってしまうのか名古屋周辺の記録って殆どないのです。

 この日は広島から「金星」で名古屋へ到着、少し駅撮りしてから新幹線で東京へ向かいました。

 「金星」は6時頃の到着だったような気がします。折角の名古屋なので朝食はホームできしめんを食べました。

 早速、画像の紹介です。

 上は乗ってきた「金星」。583系はブルトレの客車に比べて重厚な乗り心地が特徴。夜中の運転停車でも殆ど揺れず、よく寝られた記憶があります。しかもパンタの下は二段式になっていてお得感が強かったです。

 次は10系の寝台車が写っています。この列車が何だったか思い出せないのです・・・。「ちくま」だったのかな???この当時はまだ旧型客車10系の寝台車が残っていました。私は最後まで乗れず終いでしたが、寝台急行や寝台普通(当時は夜行普通寝台列車ってのがあったのです。「山陰」「南紀改め はやたま」「ながさき」等・・・)に連結されていました。設備的には20系の寝台車とそう変わりはありませんでした。

 最後は中央線の103系です。旧型国電の淘汰に京浜東北線から転属してきた電車で、色もそのまま使っていました。このスカイブルーは東海色に変わるまで名古屋口の中央線103系の色として使われていました。特徴は正面の方向幕を使わなかった事もさることながら、側面にサボを使っていた事でしょうか。

 撮影は一時間そこそこで終えて新幹線に乗りました。金星+新幹線の組み合わせはブルトレよりも便利だったような気がします・・・。

岐阜にて〜昭和56年

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 この時は飯田線に行くために豊橋で一泊することになっていました。

 関西から豊橋方面なら大垣からそのまま東海道線を乗って行けばいいのですが、この日は岐阜で降りました。岐阜から豊橋までは名鉄電車に乗りたかったからです。

 岐阜駅は冷たい雨が降っていました。列車を降り、跨線橋から外を下を見ると特急「ひだ」が止まっていました。

 絵入りヘッドマークになった特急「ひだ」。当然「ワイドビューひだ」になる前のキハ82系の頃です。この「ひだ」は最後までキハ82系で運行され「ワイドビューひだ」に引き継がれました。

 岐阜は市内電車が走っています。この辺りは名鉄の天下。市内電車も名鉄です。色がそれを物語ります。

 新岐阜駅には「パノラマカー」7500系の「高速」が止まっていました。当時の名鉄電車の「高速」という種別はいわば無料特急のようなものでした。関東の小田急ロマンスカーのような「展望電車」に料金不要で乗れる名古屋圏は凄いなって思いました。

 残念ながら一番前には座れなかったものの、二列目でも充分な迫力でした。

 笠松で臨時停車して「競馬帰り」のおじさん達で満員になった電車は新名古屋では乗客が入れ替わり、買い物客を乗せて豊橋へ走り出しました。

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 北陸地方の旅行の時、鉄道の記録が少ないことはこの前お話したのですが、その代わりになんだか駅前のバスの記録が多く残っています。なぜだかわからないのですが・・・。

 早速、画像の紹介に行きましょう。

 上は芦原温泉駅の京福バス。東尋坊から乗ってきたバスです。この日野車は富士重ボディのようです。

 次は金沢駅前です。北陸鉄道のバスはさすが北陸一番の大都市とあって、三菱のMPも日野の車も当時の「最新型」です。

 三枚目は富山駅前。富山地鉄のバスでしょうか。二台とも富士重工のボディのようです。

 最後の二枚は新潟駅前の新潟交通バス。日産ディーゼル車は新潟が地元の北村ボディ。一つ目のヘッドライトとその後姿、日産ディーゼル車4R独特のエンジン音が特徴でした。

 今、こうやって見ると、バスだけではなく「駅前風景」の記録として貴重なものになっていますね。満更、バスを記録しておく事も悪くないですね。バスを絡めた駅前記録、他にもあったかな・・・。

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 富山で一泊した後は富山地鉄で宇奈月温泉駅まで行ってみました。

 別に温泉に入りに行った訳ではなく、当時最新型の14760形という電車に乗りたかったからです。

 電鉄富山から宇奈月温泉まで、結構遠かったですね。

 終点、宇奈月温泉駅は深い雪の中にありました。

 この当時は「漫才ブーム」真っ只中。先日、松本竜介さんがご逝去されたばかりですが、その松本竜介さん・ビートきよしさん・島田洋八さんの漫才コンビのうなづき役の「うなづきトリオ」が歌う「うなづきマーチ」という曲が流行っていた頃で、どうしても「宇奈月」=「頷き」と思ってしまいました・・・。

 帰りは魚津駅から北陸線の普通客車列車で直江津へ向かいました。富山へは戻らなかったので、富山港線の72系は記録しないまま終わってしまいました。

 富山駅前も高い建物もなく、広々しています。今では富山港線は富山ライトレールとして生まれ変わっていくとの事。富山市内も様変わりしている事と思います。

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 「ひろみやのなつかしの鉄道」、本テーマ「西から東へ」に戻ります。

 昭和56年3月高校入学前の春休み、友人と北陸旅行をしました。

 私は高松、友人は東京に住んでいたので恐らく大阪辺りで待ち合わせをしたと思います。

 そこから「雷鳥」で福井の東尋坊、金沢の兼六園、富山と新潟で各一泊し181系の「とき」で東京に向かいました。

 この時はさすがに友人と一緒なのであまり“撮り鉄”をしていません。富山で富山港線も撮っていないんです。今、思うとちょっと残念ですね。

 今回はそんな中で撮れているスナップからの紹介です。

 上は583系使用の「雷鳥」です。ちなみに日付が一ヶ月間違っています。確か昭和53年10月の改正で登場した列車だと思います。それまで北陸へ乗り入れる581・583系は「金星」の間合い運用の「しらさぎ」だけだったと思います。

 次はこの頃としては数少ないヘッドマーク付列車で有名だった急行「能登路」。金沢駅が地平だった頃です。今は懐かしいキハ58系。確か近年リバイバル運転を行ったはずです。

 金沢が地平だったとわかる3枚目は急行「くずりゅう」。これもヘッドマーク付でした。この頃はまだまだ急行列車が多く走っていました。

 最後はボンネット形の「雷鳥」。すみません、駅はどこだったか失念してしまいました。直江津かな?この日の列車の乗り換えからすると、新潟「雷鳥」を途中駅で撮ったもののはずなんですけど・・・。

 次回も、数少ない北陸の記録の中からの記事の予定です。

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